なぜ財政赤字でも政府支出できる? 経済学者・松尾匡氏が語るMMT理論に対する誤解と疑問点 - 島村優

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※この記事は2019年12月16日にBLOGOSで公開されたものです

「財政赤字でも政府は財源を気にせず政府支出すべき」というMMT理論が国内外で注目を集めている。「反緊縮」経済政策を訴える政治家に援用される機会が増える一方で、懐疑的な見方も強い。

MMTとは一体どんな理論なのか、どういった点が注目を集めているのか。反緊縮政策を主張する経済学者で、同理論の第一人者L・ランダル・レイ氏の著書『MMT 現代貨幣理論入門』の解説も執筆する、立命館大学教授・松尾匡氏に聞いた。

「財政赤字なので政府支出できない」は間違い

-国内外でMMT理論が注目されています。MMTが耳目を集めている理由について教えてください。

私自身はMMTを信奉しているわけではないんですが、MMTの考え方とよく言われているものは、決してオリジナルなわけではなく、私から見るとマクロ経済学の常識、少なくとも反緊縮系の学派では共有されているものです。ただ反緊縮系経済学の常識とはいえ「政府にデフォルトリスクはなく、自分たちでお金を発行できるため、いくらでも政府支出はできますよ」というメッセージを強く打ち出したことには、大きなインパクトがあったのかなと思います。

この「政府は財源を気にせず支出ができる」というのは、収支のバランスをつけること自体に意味はない、という話です。市場にお金が出回りすぎると、世の中の購買力が高まり、供給能力を超えてインフレがひどくなる。そうならないよう国民から徴収して購買力を抑えましょう、というのが税金の機能です。つまり支出と収入を見たとき、全体としてインフレが管理可能なところに抑えられていれば問題はないんです。

-財政赤字でも政府支出を拡大すべき、という考えに驚く人も少なくありません。

近年は、「財政収支のバランスを取らないといけない」「財政赤字を膨らますのは悪いことだ」との考え方が金科玉条とされ、このことを理由に緊縮政策が国民に押し付けられてきた。福祉サービスや教育、医療など人々の役に立つ社会サービスが削減される流れがある一方で、国や地方自治体の資産を民営化する流れが続き、庶民の生活は厳しい状態に置かれるようになっています。

生産力が足りなくて生活が不便になって苦しくなるのではなく、緊縮でお金を使わないので、経済が停滞する。そのことによって失業者がたくさん生まれ、特にヨーロッパでは若者の失業率が高く、なかなか就職できないような状況があります。こうして庶民が犠牲になっている一方で、格差は拡大しており、公の政策によっても是正されない。社会サービスが削減されていくと、それを代替するために民間のビジネスチャンスは増える。このようにして一部のグローバルな大企業の経営者がさらに力を持ち、これまで以上に儲かるようになります。こうしたことに対する不満や怒りが世界中で高まっているなかで、オルタナティブとして「庶民にもっとお金を使え」「賃金を上げて、福祉や環境にもお金を使え」といったことを対案として打ち出す、そのことによって雇用も拡大していこうという反緊縮の動きが世界で広がっています。

-MMTを考える際に、よく「税収=財源ではないのか」という議論が上がります。

そうなんです。こういう話になると、一番言われるのが「財源をどうするのか」「国は赤字なんですよ」ということ。ヨーロッパでも、アメリカでも赤字という状況の中、「そんなことは心配する必要はないですよ」と一番表立って言ってきたのがMMT派だったために注目を集め、各国の政治家も口にするようになってきたんだと思います。

その「税収=財源」という誤解に関しては、そうではないと思ってもらうしかないんですが、最近納得してもらえた例としてこんな話があります。例えばあるスーパーが、従業員の給料を自分たちの店で使える商品券で支払うと考えます。違法ですが、一旦そのことは脇には置いておきましょう。すると、給料を受け取った従業員はその商品券で買い物をしますよね。店側は、そうやって使われた商品券はシュレッダーにかけても何も問題ない。紙がもったいないから次の給与支払いに使うかもしれないけど、それは単に紙がもったいないからであって、本来的に言うとシュレッダーにかけてしまってもいい。

それと同じで、おカネを出して政府支出をして、世の中に必要なことをやるけれど、やりすぎると人々の購買力が高くなりすぎ、国の生産能力を超えてインフレが進みます。そうならないよう総需要を抑える必要があり、税金を取ることになりますが、集めたお金はそのままシュレッダーにかけても何ら問題はないんです。つまり、支出は支出で別途やればいいという話なんですね。自分たちでお金が作れるのだから、そこに制約があるわけではない。制約は何かと言えば、国の生産能力を超えること。今の例えで言えば、スーパーの商品がなくなってしまう時だけなんです。

金利を動かしても設備投資は動かない?

-マクロ経済学的には標準的な見方も多いというお話がありましたが、MMTの新しさはどこにあるのでしょうか。

MMTは反緊縮の経済理論の中でも、割と標準的な考え方を取り入れています。論争している本人がアピールする「違い」も、実は他の学派と比べて大して変わりはない。しかし、一番大きな違いは何かと言えば、MMT派は「金利を動かしても設備投資などの支出はあまり反応しない」と主張していることです。

標準的な考え方では、金利が低いとお金をたくさん借りられるので、沢山の設備投資が行われ、景気が良くなると言われています。逆に景気が加熱して、インフレが加速すると、金利を上げてお金を借りにくくなる。そうすると企業が設備投資をしなくなって、景気が抑えられて、インフレも落ち着いていくという話になっています。しかし、MMTは金利によって企業が設備投資を増やしたり減らしたりすることはあり得ない、むしろ逆に動くかもしれないと言っている。

これに関しては「金利を低くしても不況時には設備投資がなかなか増えないでしょう」というのはたしかに多くの人が納得できる話ではあります。ただ「将来的に物価が上がるとみんなに思わせましょう」という、いわゆるリフレ論を考えると、将来の物価が上がるとは、借金が目減りすること、学問的にいうと実質金利が低下することで、それで企業や家庭が支出を増やすことはあり得るだろうと思います。

-確かにそうですね。

物価や賃金が上がるなら、今借金をしても将来返すことは容易になる。企業にとっては製品の売値が上がります。借金自体は金額で決まっているので、売値が上がれば返すのも簡単になる。庶民にとっては名目賃金が上がれば借金を返すのが簡単になっていく。私の親も、私が小学1年の時に家を買ったのですが、ほどなく石油ショックと狂乱物価がやってきて、平社員でしたが、あっという間に返済することができた。当時は同じような人が多くいたと思います。こういうことが見込まれると「借金をして家を建てましょう」という人がたくさん出てくる。

企業にとっては将来的に売り値が上がり、一般の家庭にとっては名目賃金が上がるという予想がつく。こういう政策をすべきだという考え方が「リフレ論」になります。そのために何をするかというと「リフレ論=金融緩和」という単純化した図式が出回っていますが、金融緩和というだけではなく、もちろん金融緩和も重要な手段ではあるけど、その目的は物価上昇の予想をつけることだから、最低賃金を引き上げたり、財政支出を行ったりと様々な方法があります。

-金融緩和だけでなく、最低賃金引き上げや財政支出も、将来予想に影響する、と。

今の政府・日銀は、インフレ目標2%に向けて金融緩和を進めましょうと言ってますよね。そうでなくてこれを達成するのが「目的」とするより、この数値に至るまでは増税せずに政府支出できる「歯止め」と位置づければ、政府はどんどん政府支出するでしょう。企業や家庭も、政府が歯止めの上限の2%まで支出を続けるだろう、とインフレ予想がつく。つまり、政府支出そのものによって総需要が拡大するという効果もあるんですけど、加えて実質金利が下がることによって支出が増えるという効果もある、というのが私の主張なんです。しかし、MMTはこの考えを認めない。

現実では一人の企業家が投資判断をする訳ではない

金利を下げても設備投資が増えない、というのはよくある主張ですが、景気が過熱した時に金利を上げることでインフレを抑える効果自体も否定する点は非常に特異です。多くの人がこれは違うんじゃないかと思うところで、極端な話50%の金利にしたらデフレ不況に叩き落されるでしょう、と。

-これについて、MMT側の反論としてはどのような議論がありますか?

MMTの主張としては、設備投資するかどうかは金利以外の様々な要因によって決まるとしています。特に将来どれくらい儲かるかによって決まり、金利はそれに比べれば影響を与えない、と。その説明としては、一つにはインフレを抑えるために金利を上げようとすると、金利も生産コストですから、企業は売値を決める時にコストに上乗せする。そのことで、かえって物価が上がるよ、という考え方をしています。あるいは、金利を上げると利子収入が増え、そうした人たちが支出を増やすことでますます景気が過熱する、という言い方もします。そういった可能性もあると言っているわけです。

ただ、私は設備投資が金利にどれくらい反応するかは、最終的には実証で決める問題だと思っていて、数字を出さずに今の段階であれこれ言っても仕方がない。だから、私は現時点では「金利をいくら上げてもインフレは抑えられない」というのは信じられません、と言うしかないです。

-松尾先生は、金利と設備投資の関係についてどう考えていますか?

MMTに限らず、ポストケインジアンなどにも多い考えだと思いますが、主流派の人たちは、金利によって設備投資がどう反応するかについて、起業家が金利を見て「上がったから儲からないので設備投資を減らしましょう」と考えたり、「金利が下がったので、利払いしても儲かるから設備投資を増やしましょう」と考えたりして決定すると捉えた上で、「現実はそうはなっていませんよね」と主張しているように思います。

ただ、理屈の問題としても言っておきたいのは、こんなケースがあると思います。世の中には容易に資金調達ができる立場の企業と、なかなか資金を得ることができない会社があります。例えばある金利で大企業は有利な融資を受けていても、なかなか資金にアクセスできない、銀行ではお金を貸してもらえない企業はあると思います。ただ、その時点よりも金利が下がったら、一般的に今までだったら高い金利でしかお金を借りられなかったのが、そうじゃない相手から借りられるようになった。だから、これで投資しましょう、ということはあり得る。

つまり、ある一人の企業家が金利の動きを見て投資するかどうかを判断するイメージが主流派にはあって、「しかし現実はそうじゃない」という批判をするわけですが、世の中には一人の企業家だけいるわけではなく、様々な企業がある。有利な条件で資金の借り入れができる大企業から、経営が苦しい小さな企業まで大小様々で、将来予想の仕方もバラバラです。設備投資の判断も、ギリギリでやっている小さい企業にとっては金利が下がれば変わることがある(リカード的限界原理)。このように考えれば、金利の上下が与える設備投資への影響はやはりあると思うんです。

量的緩和とMMTはデフレ不況時には「実践的には変わらない」

-『MMT 現代貨幣理論入門』の解説の中で、松尾先生は「デフレ脱却するまでの実践的方針としては、あからさまに通貨を発行することによる政府支出を求めることについて、クルーグマンら左派ケインジアンとMMTの間に違いがあるとは思えない」と書いています。

不況の時に何をするかの私の主張は、MMTと同じ主張だと言うことができます。MMTの創始者の一人であり「Modern Monetary Theory」という名称の名付け親でもある、豪ニューカッスル大学のビル・ミッチェル教授は「ゼロ金利に固定せよ」と言っている。

MMTの考え方によれば、国債を発行する目的は一般に考えられている財源の調達手段ではなく、金利の調整のためにあります。もしゼロ金利に固定すれば、そもそも国債を発行する必要がなくなる。つまりミッチェル教授が主張しているのは、国債を発行するのではなく、中央銀行が作ったお金でそのまま政府支出すべきだ、ということなんです。

ゼロ金利を維持し、中央銀行がお金を作るとすれば、これは世の中で言われている「金融緩和」ですよね。MMTは口では金融緩和を嫌いながら、実はこのことを主張している。もちろん今は法律的には国債を出さず、中央銀行が作ったお金で直接政府支出することはできません。同じことをやろうとすれば、ルール上政府が財源として国債を発行しなければいけません。ただ銀行が買ったままにしてしまうとゼロ金利が維持できないため、その国債を中央銀行が買うという話だから、結局現在行われている量的緩和と同じようなことになります。だからミッチェル教授が主張していることは、国債を発行して政府支出して量的緩和を行なう施策と、実践的には何も変わらないわけです。

-結果として行われていることはMMTの主張と重なる部分があるんですね。

そう。ゼロ金利の不況下では私のような財政支出派のリフレ論者であるニューケインジアン左派とMMTは何も変わらないことを主張していることになります。

もう一つ、反緊縮の経済学派としては、信用創造を廃止してヘリコプターマネーに変えるべきだと主張する信用創造廃止派がありますが、これも中央銀行の作ったお金で政府支出すべきという考え方なので、結局主張は同じなんです。不況の時に何をすべきかについては、どのグループも同じことを考えているわけです。

-世界では、そうした反緊縮の経済政策が成功している事例はあるんでしょうか。

今のところ、反緊縮の経済政策が本格的に取り入れられている国はありませんが、似たような政策を進めている国はあります。例えば、アイスランドが金融危機に陥ったとき、政府は大量の国債を出しました。国が破綻したと騒がれているくらいだから、そんな国債を買う人は誰もいないと思いそうですが実際には中央銀行が大量に買っていた。発行した国債のほとんどを中央銀行に買わせて、それを元に政府支出をして危機を脱却したという話があります。また、危機のせいで通貨が下落したので魚など輸出が増えて、観光客も増えて、経済が劇的に復活。その後は景気が良い状態が続いているという例があります。

スウェーデンやカナダも反緊縮的な政策をとっていて、カナダは金融緩和と政府支出と両方進めてかなり景気が良くなりました。ポルトガルは通貨がユーロなので本格的な反緊縮政策とは言えませんが、反緊縮財政で景気は好調。ほかに「ロクでもない政権の国」が成功している例もあります。ハンガリーは極右政権ですが、中央銀行の独立をやめ金融緩和を行い、インフラ投資を進めて超好景気になりました。あまりに景気が良いため総選挙で3回圧勝し、さらに強権支配を進めることができています。

日本の野党が「緊縮」を訴えてきた背景

-日本では長らくリベラルな野党が緊縮政策を訴える“ねじれ”のような現象が続いてきたように思います。

MMTが登場する前から私は反緊縮の経済政策を行うべきだと訴えてきましたが、なかなか受け入れられない経験をしてきました。その理由として、一つには古いタイプの自民党が、公共事業を多く行なって、潤った土建業者が集票マシンとして働くという仕組みを作ってきたことが挙げられます。こうした施策で財政赤字が膨らんだため、野党がこうしたことを批判の対象にしてきた。

もちろん70年代くらいまでは社会党をはじめ革新政党と言われる政党は、国が経済のためにお金を使う必要があることは前提にしていました。違いは、そのお金を公共事業ではなく、福祉などの分野に使うべきだということ。しかし80年代以降、新自由主義の流れが始まり福祉などが削減されていった。その後、ソ連・東欧体制の崩壊を経て、冷戦の終結と同時に自民党の一党支配が揺らいでいきましたが、その流れで自民党に対抗する勢力が「自民党は公共事業のためにお金を使って、赤字を膨らませところがいけなかった」という線でまとまったように思います。

最終的に民主党になりましたが、その過程では小沢一郎さんも当時は新進党で「小さな政府」を売り出していました。民主党は安全保障問題でも立場がバラバラで、本来相容れない人たちの集まりでしたが、その結集軸が何か今考えてみれば「国の赤字を膨らませてきた、あの自民党ではありません」ということだったのではないかと思います。

-以前に比べると反緊縮的な政策を掲げる党も出てきているように思います。

私も反緊縮の「薔薇マークキャンペーン」といった運動を行なってきましたが、キャンペーンが始まる前と比べると、野党議員の反緊縮の受け入れ方が変わってきたような気がします。もちろん、れいわ新選組の登場も大きかったと思いますが。

-山本太郎さんの登場はやはりインパクトがありましたか?

あそこまでハッキリと反緊縮的な政策を訴える人は今までにいませんでした。その結果、これまでとは違う層の人にウケていると思います。支持者の世代構成が、旧来の立憲民主党、社民党、共産党といった政党を支持する人に比べると若い。そういった点もインパクトがあったのかなと。

雇用でインフレを調整する方法についての議論

-話が前後しますが、『MMT』の中では、インフレ調整のための策として就業を望む人すべてを政府が雇う「就業補償プログラム(JPG : Job Guarantee Program)」というアイデアが紹介されています。この考えは目新しいものだったのでしょうか。

繰り返しになりますが、MMTをはじめとする反緊縮派は財政赤字だとしても必要であれば政府支出をしましょうという立場です。そのときの制約が何かと言えば、それはインフレです。世の中の供給能力を超えてお金が出回ると良くないので、それを抑えるために税金を取ったり、政府支出を削減したりする必要がある、と。

そうは言っても、インフレになったからと言って政府支出は簡単には削減できないのでは、という批判があります。増税案を議会に通す間にもインフレは進行するし、社会保障は一旦制度化されるとすぐには削減できない。こうした疑問へのMMTからのスタンダードな回答がJPGなんです。

景気が悪いと失業者が多く生まれるため、こうした人を雇わなければいけません。その際に最低賃金で雇うことになるんですけど、そうすれば政府支出が増えるので景気が良くなる。また、もし景気良くなりすぎれば、民間でJPGより高い賃金で職が多く募集されるため、JPGを辞めていく人が増えて自動的に景気が縮小しインフレが抑えられる、そういう自動調整のためのプログラムだということです。もしも景気が良くなった時にプログラムを辞める人が少なく、インフレ抑えるには弱いという状況であれば、最低賃金を下げるなど賃金を調整すれば、インフレが自動調整される水準が見つかるという考えですね。

-それが、MMTが主張する「就業補償プログラム」だと。

ただ、このように削減されても問題ない事業とは何かという疑問はあります。例えば公園の清掃のような仕事であれば、景気が良くなった時に公園が以前ほどキレイではなくなるくらいかもしれないけど、公園の清掃が景気の調整ができるほど大きな事業かといえば、そうではありません。そのため私はこのJPGに関しても非常に懐疑的です。

部分的に取り入れることはできると思うので、職業訓練のような形で一種のベーシックインカムを補完するものとして行ってはどうかと考えています。現実の問題としては、MMTの提唱者からも、住宅投資にしても公共事業にしても、特定の大規模な事業のためにMMT論を使うという議論が出てきて、じゃあ景気が良くなった時にどう撤退するのかという問題から逃げることができない。JPGだけで行くのか、そうではない考えがあるのかよく分からないんですね。

増税は社会全体の労働配分に手を加えるもの

-先ほどから「税金は需要を抑える機能がある」という話が何度か出ていますが、10月の消費税増税についてはどのように考えていますか?

税金の役割を考えれば、仮に完全雇用で生産量ギリギリ、これ以上お金を増やすとインフレがひどくなるという状況で政府支出しようとすれば、税金を取らなければいけません。ただインフレが加速していないこのタイミングで、何のために増税するのかは疑問です。消費税を上げると消費が抑えられ、景気は悪くなります。つまり、今のタイミングの増税は経済にも大きな打撃になります。

また、需要と言っても世の中には様々なものがあります。税金を取るということは、そのどれかを選択してそれに対応する需要を抑えることになるわけです。例えば消費税を上げて、介護・福祉に支出するとすれば、消費財を作ったり流通させたりする労働を減らし、介護やそれに関係する労働を増やすことを意味します。人手を減らすところは、それで本当に良いのか、という議論はしないといけない。

-経済への影響だけではなく、そうした税金の面についても議論が足りなかった、ということですね。

私は同僚と、世の中の労働全体で何を作っているか計算するという共同研究を進めています。世の中の様々な労働で作られる最終生産物は、何がどれだけの割合の労働で作られているか、その計算をしたら、設備投資(民間の固定資本形成)のために割かれる労働の割合が、高度成長末期の70年から今まで変わっていないことがわかりました。当時から約2割をずっと維持しているんです。

現時点で国際比較をすると、中国は公的セクター含めそれは30%以上あります。一方で成熟した先進国はこの数字が減っていく。それが普通なのに日本は高度成長期以来の労働配分を続けている。この数字はもっと減らして良いと考え、私たちは、インフレが高まったら法人税を増税して設備投資を抑制すべきだと主張しています。税金というのは、社会全体の労働配分を減らすべきところにかけるものなんです。

-最後に松尾先生が考える、取るべき反緊縮政策について教えてください。

どういう合意レベルで考えるのか、という問題はありますが、まずは教育の無償化や社会保障の充実など財源を気にせず、できることを進めること。これは国債を発行してやることになりますが、国債は中央銀行が買ってゼロ金利を維持するということなので、事実上中央銀行の作ったお金でやるということです。こうしたことに着手すれば景気が良くなる。消費税も下げたら景気が良くなるでしょう。景気が良くなればやがて税収も増えて、インフレ気味にもなっていきます。

一方で、大企業に対する法人税の増税、金融所得に対する課税の強化といったことも進める必要があります。こうした分野は抵抗も大きく、立法も必要になるので時間もかかりますが、公正な税制実現のためにプロセスとして着手します。様々な抵抗を乗り越えて、それが実現する頃には景気が良くなってるはずで、ちょうどインフレの抑制をしなければならないときと同じくらいに新しい税制ができる、と。すると累進課税や法人税が強化されて、総需要が抑えられるタイミングになるのではないかと考えています。