※この記事は2019年11月25日にBLOGOSで公開されたものです

徴用工問題や日本の輸出規制、韓国のGSOMIA破棄通告などを経て、過去最悪とも言われる日韓関係。両国がお互いに対して譲歩できないのはなぜなのか、その背景には日本と韓国のどのような意識の変化があるのか。韓国政治研究の専門家である神戸大学大学院教授の木村幹氏に話を聞いた。

「韓国が日本に関心がないわけがない」という期待

-木村さんは現在の日韓関係をどのように捉えていますか?悪いのか、それとも特別悪いわけではないと考えるのか。

今は悪いというべきでしょう。これまでは日韓関係がギクシャクしても「日韓の関係は重要で、様々な問題があっても努力しながら維持しないといけない」という意識が両国のどこかにありましたが、現在はその雰囲気さえ消えつつあるように見えます。

例えば日本ではメディアで「日韓断絶」といった用語が見られることも多くなりました。「韓国との関係が悪くなっても構わない」「改善しなくてもいい」という趣旨の話が当然のようにされており、これまでとは明らかに違う段階に入ったと考えています。

一方で韓国の側でも、文在寅大統領が8月15日の演説で「色々な問題はあるけれど、私たちは自分たちで技術を開発して、日本の圧力に勝つんだ」といった内容の演説をしています。つまり、日本に譲歩して輸出管理措置を解除してもらうのではなく、自分たち自身が力をつけて難局を乗り切るのだ、というわけです。自分たちが正しいことを言っているのだから、そこは曲げる必要がない、ということになりますね。政治家がこのように発言して、世論もこれに賛成していることは、韓国でも「日韓関係は大事だから、嫌なことがあっても譲歩しよう」という考えが影響力を失っていることを示しています。これまでになかった状況ですが、僕は今後これが元に戻ることは難しいだろう、と思っています。

-7月の輸出管理措置発表以降、韓国の人たちを取り巻くムードはどのように変化していますか?

世論を考える時には「好きか嫌いか」というベクトルと、「それがどの程度まで重要か」というベクトル、この二つのベクトルを区別して考える必要があります。最近になって少し変わってきましたが、7~8月の韓国では日本に旅行に行こうと計画してチケットを買っている人でも、キャンセル料を払って旅行を中止した人が多かった。日本が嫌いなわけではないけど、今のタイミングでは行きづらい、と考えたからです。例えば、SNSに日本旅行の写真をアップするといろんなコメントが来るかもしれないし、ちょっと今はやめておこう…という雰囲気は確かにある。

ただ問題はそれがどの程度、彼らの生活の中で重要なのか、ということです。例えば僕は9月末に韓国に行く機会があったので、日本でよく報道される「NO JAPAN」とか「NO ABE」と書いてあるポスターが街中にどの程度あるのか探してみました。それで、いろんなデモが行われている地域を中心に歩いたのですが、結局、見つかったのは元日本大使館前、もっとわかりやすく言えば、慰安婦像の隣に貼ってある1枚が辛うじて見つかっただけ。その夜に一緒に食事をしたとある新聞社の友人は、「ソウル駅の近くにも1枚貼ってありますよ」と言っていましたが、それがマスメディアの関係者の間でも話題になるくらいだから、実際にソウルで暮らしている人にとっては、これらのポスターを目にする機会はほぼない、と言っていい。当たり前だけど、普通の韓国の人にとっては、生活に直結する国内事情や経済状況の方がはるかに重要で、彼らが常に日本のことを意識して生きているわけじゃない。だからこそ、今はちょっと日本製品を買ったり、日本に旅行したりするのは雰囲気が悪いからやめておこうかな、くらいの感じで、ボイコットは続いていく。

-日本では、韓国国内では反日ムードが盛り上がっているように考えられていますが、実際はそうではないと。この認識のズレはなぜ生まれると思いますか?

相手国の状況はそもそもそう見えるものだから、というのが一つの理由でしょうね。対外関係について考える時、例えば、アメリカの場合でも、日本人は日米関係に主な関心があるから、関連するニュースを中心に報道がされる。だから、ニュースだけ見ていると、トランプ政権が常に安倍政権のことを考えているかのように見えたりもする。韓国も同じで、日本人が韓国について議論をする際の主たる関心が日韓関係にあるから、その部分ばかりがクローズアップされる。だから、あたかも、韓国にとって日本が全てであるかのように錯覚してしまう。

もう一つは日本人が持っている韓国に対する「期待」でしょう。例えば日本人の中には、一方的に「韓国が日本に大きな関心がないわけがない」という人が数多くいる。でも、実際の状況は全く違う。例えば日本の書店にはたくさんの嫌韓本が並んでいるけど、韓国の大型書店に行っても、日本に関する本は極めて少ない。でもそういう話をしても、多くの人は信じようとすらせず、「そんなわけがない」という。事実は動かしようがないわけですが、一部の日本人はその事実を認めたくない。

矛盾した「嫌韓論」のメッセージと韓国に対する諦め

-韓国には日本に関心を持っていてほしい、と。

日本人にとって台湾と韓国というのはある意味ワンセットになっていて、台湾は日本が好きで、韓国人は日本を憎んでいる、というステレオタイプな認識を持っている。その前提には、この二つの国の人々は日本に関心を持っているはずだ、という考え方がある。だから例えば、サウジアラビアやトルコの人が日本に関心を持っていない、と言われても仕方ないか、と思えるけど、韓国と台湾の人に対してはそう思えない。実際には日本は所詮、彼らにとって一つの外国に過ぎませんから、彼らがずっと日本のことを考えているわけではないのだけど、それがなかなかわからない。

-逆に韓国の人は同じように「日本は韓国が好きなはずだ」という期待を持っていないのでしょうか。

ここはちょっと微妙な所ですね。例えば、今の韓国では多くの人が「7月の輸出管理措置発表あたりから、日本は急に変わってしまった」と考えていることです。そしてその背景には、「政府や一部の右翼的な人たちはともかくとして、普通の日本人は日韓関係が重要だと思っているに違いない」という漠然たる期待がありました。韓国では、日本人が韓国に対して差別意識を持っているという理解もあるので、日本人が韓国人を「好き」だと思っている、と考えているかどうかは微妙ですが、「日本人は少なくとも建前としては、日韓関係は重要だと言ってきたし、その建前までを潰すようなことはしないだろう」とは、思ってきた。

でも、今回の輸出管理措置とその後の状況で、韓国の人々は、今の日本に「日韓関係なんてどうでもいい」という考えが広がっていることを知った。だから、「どうしてそんなことになったんだ?」といぶかしんでいる。実際には、日本のこの状況は10年以上の時間をかけてゆっくり進んだのですが、そのことはほとんど理解されていない。

-そういう日本イメージがあるんですね。

簡単に言えば、日韓両国は共に、1990年代頃の古いイメージで相手を見ている。当時は日本人にとっては、韓国はまだまだ力を持っていない弱い国で、しょっちゅう経済危機に陥って、日本に助けを求めてきた印象が強く残っている。韓国が嫌いな人たちが「どうせあいつらは金が欲しいんだ」的なことをよく言いますが、そこには当時の弱くて不安定だった韓国のイメージが如実に表れている。

でも、それから30年近くを経た今、僕らの目の前にある韓国はそういう存在ではなくなっている。輸出管理措置により、日本から特定の産品が輸入できない可能性がある危機に直面しても、「もうそれでいいよ。自分たちで作るから」と開き直る状況になっている。多くの人が何となく思っている、最後は頭を下げて来るだろう、と思っている韓国はそこにはない。こういう日本人の韓国に対するイメージは、歳とった兄弟の関係に似ているかもしれない。兄や姉は、弟や妹がまだ小さくて弱かった時のイメージを引きずったまま、「あいつは昔と違って、最近は言うことを聞かない」「でも昔は言うことを聞かせられたんだから、今もきっと最後にはそうなるはずだ」と思っている。でも実際には弟や妹も、立派な大人になっていて、昔のように兄や姉に簡単に屈服することはない。

-特に日本にとってですが、韓国が期待通りにならないことのストレスで嫌韓が盛り上がっているとも見ることができそうです。

今の日本の嫌韓論には明確に矛盾する二つのメッセージが込められています。一つは輸出管理措置が発表された時に噴出したように、「日本は韓国を屈服させることができる」というもの。「韓国は力がないから、言えば従うはずだ」という考えですが、ここまで述べて来たように、ここには昔の韓国のイメージが反映されている。60代、70代の中にこういう人が多いのは、彼らの韓国に対する理解が古いからですね。

これに対して、「韓国との関係なんか断絶してしまえ」という意見もあります。ここでの韓国は簡単に屈服させられない存在であり、また屈服させる手間をかけるべきものではない存在として現れている。これまでの長い対立の経験から、そう簡単には屈服させられないイメージがあって、その事実に対して、あらかじめ予防線を張っているようなロジックになっている。典型的な、手の届かない高い所にあるブドウを前にして、「あのブドウはきっと酸っぱいから美味しくないに違いない」と言ってごまかすやつですね。こういうのは時に「合理化」なんて言ったりします。

先ほどの例えで言えば、兄や姉が、既に成人して独り立ちした弟や妹に対して、「自分は何時でも彼らに言うことを聞かせられるんだ」と思っていたのが、いつの間にかできなくなり、結果、諦めて「あいつらがおかしい」と言い放つ状況ですね。屈服させられると考えるのと、屈服させるのを諦めて状況の責任を相手に一方的に押し付けて合理化するのでは天と地ほどの差があるわけですが、嫌韓を自負する人たち自身がその違いに気づいてないことも含めて、今の日本の韓国に対するある種の認識を典型的に表していると思っています。

日本人と韓国人がお互いに持つ関心の大きさが逆転した

-以前に、木村さんは「韓国にとって日本の重要性が下がっている」と指摘していました。

韓国にとっては、1970~80年代から今日まで日本の重要性は下がっています。70年代後半までは韓国の貿易の40%は、日本が占めていましたが、そこから同じ比率は下がり続け、現在では7%前後にまでなっている。日本が重要だった80年代ぐらいは、日韓で何かしら問題が起こると韓国財界の人たちが動いて解決を模索したり、韓国の新聞が「日本との関係は大事だ」「日本から学ぼう」といったキャンペーンを打ったりして、状況の収拾を図った。でも、重要性が下がった今では日韓関係改善のためにそんなことをわざわざする人は、ほとんどいない。

例えば今年のケースであれば、輸出規制を発動した後、韓国で大規模なボイコットが発生し、韓国人観光客が日本旅行を自制する動きも見られました。そうなると当然、航空会社をはじめとして韓国企業の活動にも影響が出るわけですが、現在の状況では「自分たちは被害を受けているから何とかしてほしい」とは言いづらい。韓国財界の有力者が大挙して日本にやって来て、日韓関係改善のために働きかけたり、新聞にお金を出して特集を組んだりすることもない。細かい所を見れば依然として重要な分野がないことはありませんが、全体で見れば、日本の重要性が確実に下がってきていることは明らかです。

-そういう時代があったんですね。

重要性が下がったことによって、日本に関する書籍なども減っています。昔は日本関連の書籍がたくさんあって、例えば僕が最初に韓国に留学した90年代初頭では、一般書店でも日本語のファッション誌やインテリア誌が翻訳されずにそのままで売られていた。日本のファッションの方が進んでいるという意識、先進国である日本は模倣の対象だという意識があったからです。

でも今の韓国では、日本を目指すべき将来のモデルであると考える人はほとんどいない。だから日本では嫌韓本を中心に多くの韓国に関する本が書店に並んでいるけど、韓国では日本人が考えるような、書棚にずらっと反日本が並んでいるような状況は、全く見られない。どこかの段階で日本人と韓国人がお互いに対して持つ関心の大きさが逆転したことになります。

日本人が好意的ではないのは「安倍が悪い」

-政治に話を戻すと、よく韓国の政権が反日感情を盛り上げているんじゃないと考えている人がいる一方で、韓国では反日カードがそれほど有効ではないという話も聞きます。

2012年くらい、李明博氏が竹島に上陸した頃くらいまでは、日本批判には政権の支持率を押し上げる効果がありました。この2012年8月の出来事の際には、大統領の支持率は5%から9%程度上昇しています。但し、当時でも、その効果は長続きせず、2、3か月ほどで消失していますので、決定的なものでなかったことも重要かもしれません。そしてそれから進んだ朴槿恵政権以降は、少なくとも歴史認識問題では、韓国の大統領や与党の支持率は、ピクリとも動かないようになりました。

今回は日本側が出したカードが輸出規制という経済に関するもので、多くの人が自分たちの生活に直結すると考えたためか、瞬間的には1~3%程度、支持率が動きました。統計的誤差の範囲か否かすら微妙な小さな動きですが、その動きも1週間程度で消えてしまっています。つまり、今の韓国において日韓関係は、大統領や政党の支持率に影響を与えて選挙に影響するようなものではないのです。

少し複雑な話になりますが、とはいっても、これは対日関係を訴えることに全く政治的効果がないことを意味しません。何故なら、政治家は時に自陣営の結集力を高めるために「支持者向けのサービス」をすることもあるからです。但し、この場合、自らの支持者が望んでいることをするだけですから、支持している人がその支持を強めることはあっても、支持者が増えるわけではないので、支持率は変わらない。こういうのを「結集効果」をねらった行動、と言ったりします。

重要なのはこの場合、政権が何らかの意見を煽っている、というよりも、支持者があらかじめ何らかの意見を持っていて、政権はこれを追認する形になっていることです。つまり、政権が煽った結果、反日感情が高まっているのではなく、最初から反日感情があるので、政権側も自らの支持者の意見に合わせる形で日本を批判する構造になっている。教育の話も同様です。日本では時に「今の韓国人の日本に対する認識は反日教育の結果だ」と言ったりします。でもここで考えなければならないのは、そもそもどうして彼らは、例えば、日本の植民地支配に対して否定的な教育を行っているのでしょうか。当然のことながら、それは彼らが既に日本の植民地支配に対して否定的な認識を持っているからです。例えば、韓国では1948年に独立した直後から、日本の植民地支配に対して極めて否定的な教育が行われてきたわけですが、当然のことながらこのような教育を行うことを選択した当時の人々は、日本統治下において教育を受けた人々であって、「反日教育」なんて受けたことはありません。つまり、最初に日本の植民地支配に対して否定的な認識があって、植民地支配に対して否定的な教育があるのであり、その逆の因果関係ではありません。

-逆に、韓国の人は安倍政権をどのように見ていますか?

日本人が韓国人に反日的であれ日本に強い関心を持ってほしい、と考えているとするならば、韓国の人たちは日本人が自分たちに好意的であってほしいと考えている。小渕・金大中のパートナーシップ宣言の頃のように、日韓関係は大事だと言ってほしいし、日本人は本来そういう人たちだと信じたい。

でも、現状はそうなっていない。だから彼らの頭の中には、どうしてこんな状況になってしまったのか、という疑問が浮かぶことになる。そして、この疑問は「(首相である)安倍が悪い」からこうなったんだ、という単純な認識へと人々を導くことになる。もっと言えば、彼らはそう信じたい。だから「NO JAPAN」ではなく「NO ABE」、つまり日本人は信用できるけど、安倍政権は信用できない、という形で運動を行ったりもする。これはある意味では、「文在寅政権とは話ができない」という日本と似た状況です。例えば、私が国際学会等で、日本では安倍政権を支持していない人の間でも、安倍政権の韓国に対する強硬策は支持されている、と説明すると、韓国の人々は「それは日本人が安倍に騙されているから」だと考える。安倍政権によって状況が悪くなっているのだから、この政権がなくなれば状況が改善する、と思いたい。

-日本人と政権を同一視するような見方はないんですね。

韓国の人たちは、一方に良心的な市民がいて、もう一方に邪悪な軍国主義をねらう右翼的な人々や政権があって、両者の対立によって政治や社会が動いている、というステレオタイプな枠組みで日本を考える傾向があります。今の安倍政権に対する理解もこの枠組みがそのまま適用されていると言っていいと思います。

日本語では間違えがちな韓国の「正しくない歴史」

-もう一つ、韓国では当たり前とされる領土問題や歴史についての認識が、日本から見ると反日的に見えるのはどうしてなんでしょうか。

「韓国は日本の植民地支配に対していつも否定的だ」という人もいますけど、これは当たり前のことなんですよね。だって韓国は支配された側ですから。「韓国の教科書には反日的な内容が書いてある」「植民地支配のことばかり書いてある」というのも、実際に植民地だったので仕方がない。インドの教科書だってイギリスの植民地支配について、厳しく批判していますし、インドネシアの教科書もオランダの植民地支配について同じ姿勢です。褒められる、と期待する方が間違いなんですよ。

他方、韓国人からすると理解しにくいのは、日本の教科書に植民地支配に関する記述が多くないこと。でも、日本人にとって朝鮮半島に対する植民地支配は、「日本史の一部」にしか過ぎないから、その記載が限定されるのは仕方がない。逆に韓国人にとっては、自分の国全部が植民地支配されたわけですから、植民地期における「韓国史」の内容は、当然、植民地支配の話だらけになる。それ以外に書きようがない。

もっと言えば、そもそも日本人が言う「反日」って何なのかという問題もある。例えば、豊臣秀吉の朝鮮出兵一つとっても、「出兵」された韓国側からすれば、この事件が悲劇でないはずがない。日本が突然攻めてきて、多くの人が殺され、家が焼かれた、という話になるのは当然で、「なんでそんな話をするの?」と言われてもどうしようもない。

-韓国の街中を歩くと竹島の写真が多くあります。だからと言って、別に反日的なメッセージではない、と。

今の韓国人にとって竹島は、日本人にとって富士山がそうであるような、韓国の象徴のような存在、いうなれば、「韓国の景色」になっています。だから街中でも当たり前のように竹島の映像が流れているし、小学生が竹島の絵を描いたらそこに目鼻をつけてしまうような「愛される存在」にもなっている。また、韓国では竹島は1910年の韓国併合の前になる1905年に奪われた領土という理解になっているので、歴史認識問題の象徴的な意味もある。だからこそ、どうしてもクローズアップされることになります。

もう一つは、日本には領土問題の相手が他にもあるけど、韓国にとっては実質的に日本しか相手がいないことも重要です。理屈上は中国との間の領土問題もあることになっているのですが、間に北朝鮮をはさんでいるので、「理念上の領土問題」でしかない。だからどうしても竹島に関心が集中する。

-歴史問題に関して、韓国が主張する「正しい歴史」は、日本語の「正しい歴史」と違うという指摘があります。

これは言語の問題ですね。韓国語では歴史に限らず「正しい(オルバルン)」という語は、「正しい民主主義」「正しい生活」といったように色々な言葉について使われる特殊な用語です。例えば、「正しい歴史」の反対語は「歪曲された歴史」になるのですが、この「歪曲」には2種類の意味があったりします。

一つは日本人が考えるような「正しくない歴史」。事実に適っていない歴史、事実を捻じ曲げた歴史ですね。そして、もう一つが「我が国の歴史が歪曲された」というように使う場合。本来進んでいくべきものが、日本やアメリカといった大国によって力で捻じ曲げられた場合に使います。こうした場合も「歪曲された歴史だ」、「正しい歴史ではない」という表現が用いられます。つまり、韓国で言う「正しい歴史」というのは、本来あるべきだった歴史であり、また、それを基準に解釈されるべき歴史を意味しています。

もちろん歴史に何を書いてもいいわけではありませんが、韓国の人が「正しい歴史」を考える際には、まずどういう歴史が本来あるべきであって、またそれがどう書かれるべきか、がまず考えられた上で、それに則った形で過去の事実が並べられていきます。歴史的事実は無数にあるから、その選び方によっては、「正確な過去の事実」を使って様々な歴史が書けます。日本ではあまり意識されずに行われる歴史記述ですが、韓国ではそのストーリー性が明確に意識されていることに大きな違いがありますね。

-韓国の理解が深まりました。今日はありがとうございました。