『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督の新作映画はプレッシャーに打ち勝った一本 - 松田健次
※この記事は2019年10月24日にBLOGOSで公開されたものです
あの「カメラを止めるな!」で、制作費300万円という低予算映画を興収31億円に導く奇跡を起こした上田慎一郎監督の劇場長編第二弾「スペシャルアクターズ」を、公開初日(10月18日)、丸の内ピカデリーで観賞した。観終えて、人目はばからず「ああ、おもしろかった」とつぶやいた。ここのところ映画の話題は何かと「JOKER」一色で、カメ止め監督の第二弾と言えども「JOKER」が拡散する闇を切り裂き、前評判という閃光を走らせる気配は不明・・・。ざっくりと「気絶でカルト集団と戦う」・・・というごく少ない情報だけが頭の片隅にあった程度だった。
そんなほぼまっさらの状態で「スペシャルアクターズ」を観たのだが、「JOKER」観賞後の重々しいやるせなさとはまさに対極、ふわりと浮き立つかろやかな気分に包まれた。難しい理由はない。前評判に巡りあっていなかっただけで、上田慎一郎監督が上田慎一郎の仕事を果たし、その才をカタチにした作品そのものだったからだ。
上田監督を襲った「カメ止め」のプレッシャー
大変だったと思う。何しろ、あの「カメ止め」の次作だ。作品完成に至るプレッシャーは目盛りある何がしかで量れるものでは無かっただろう。< 「スペシャルアクターズ」公式パンフより 上田慎一郎メッセージ抜粋 >
上田「(今作の準備にあたって)いざ物語を考え始めたのだが・・・・・。大スランプに陥った。前作『カメラを止めるな!』のプレッシャーが突如として襲いかかってきた。どんな物語を考えても、すぐに行き止まりがくる。どれも『カメ止め』を超えるものには思えなかった。『カメ止め』を忘れようとしても、そうはいかない」
上田監督はクランクインの2ヶ月前、超能力者を題材にした構想を発表し、いざ脚本を書き始めたが、20頁ほどで頓挫して白紙に戻したという。もしかしたら「カメ止め」前の上田監督だったら、その構想で最後まで書きあげ撮影に入っていたかもしれない。
だが、上田監督を囲むステージはすでに大きな変化を遂げている。ハードルの高さが違う。それが「カメ止め」後の世界だ。そのハイプレッシャーに晒されながら辿り着いたのが「スペシャルアクターズ」という物語になる。
< 「スペシャルアクターズ」 STORY >
超能力ヒーローが活躍する大好きな映画を観てため息をつく売れない役者の和人。
ある日、和人は数年ぶりに再会した弟から俳優事務所「スペシャルアクターズ」に誘われる。
そこでは映画やドラマの仕事の他に、依頼者から受けた相談や悩み事などを役者によって解決する、つまり演じることを使った何でも屋も引き受けていた。
そんなスペアクに、”カルト集団から旅館を守って欲しい”という依頼が入る。
ヤバ目な連中相手に計画を練り、演技練習を重ねるスペアクの役者たち。
しかし、和人にはみんなに内緒にしている秘密があった。
極限まで緊張すると気絶してしまうのだ。
あろうことか、このミッションの中心メンバーにされた和人。果たして、和人の運命やいかに!?
気絶しそうになるようなプレッシャーに包まれながら、目的を成し遂げようと立ち向かう。その主人公を支えながらチームが個々の力を結集して前へ進む。上田監督自身もコメントしているが、この映画は「カメ止め」というプレッシャーに立ち向かう監督自身を投影した物語でもある。
そうして出来上がった今作は、「カメ止め」と比べてどうだったか? という最前列の興味に対し、言葉を返すなら、「カメラを止めるな!」も「スペシャルアクターズ」も、どちらも見事に上田慎一郎ワールドだったと言おう。
「カメ止め」は上田慎一郎による「映画愛」の炸裂だった。「スペアク」(※監督自身もそう略している)は上田慎一郎による「芝居愛」の凝縮だ。どちらも上田ワールドであり、その比較に必要なのは優劣ではなく、あるとすれば「愛」の好み。どちらかを選ぶより、どっちの「愛」も堪能してしまったほうがいい。
おそらく、ブームに背中を押されて「カメ止め」は見たが、そこまでに至らない「スペアク」はスルーという、映画的世間のムードも感じるが、だとしたらもったいない。上田慎一郎というエンターテインメントに徹するシネマパークの新作は、あの「カメ止め」のプレッシャーを経て公開されたのだ。監督を信頼していい。・・・と書きつつ、自分も観賞前は正直なところ半信半疑だったけど。
※ここから先はネタバレ注意
ここから先は、少しのネタバレもありをご容赦頂きつつなので、どうぞお含みを。今作「スペシャルアクターズ」は「松竹ブロードキャスティングオリジナル映画プロジェクト」という企画の下で制作された。かつて橋口亮輔監督の「恋人たち」(2015年)などの傑作を生みだしているプロジェクトだ。オリジナル脚本による「監督の作家性」、ワークショップを通した「新たに発掘した俳優」による映画作りを掲げている。加えて、ローバジェット(低予算)という条件も含んでいるだろう。
上田慎一郎にとって、このオーデイション&ワークショップの方式は「カメ止め」と同様であり、上田ワールドを作るにあたり、自分の思いに寄せやすいものだ。その中で約1500通の応募があり、最終的に15人の出演者が決定した。
だが、「カメ止め」と決定的に違うのは「カメ止め」の公式的な封切がミニシアター2館からであったのに対し、「スペシャルアクターズ」はメジャー配給となり全国148館からのスタートであることだ。
「カメ止め」は監督も役者も何もかも無名なマイナー作品がクチコミで拡散、上映館を次々に拡大し、それこそ新宿ケイズシネマから始まってTOHOシネマズ日比谷にまで駆け上がるという前代未聞のインディーズドリームを見せてくれた。そこで、スクリーンに映る役者達がことごとく無名であることは、奇跡の要素として迎えられていった。「誰も知らない、だけど、とにかくおもしろい」と。
しかし、「スペシャルアクターズ」はメジャー配給でありながら、またしても無名の役者ばかりの映画になった。顔を見て誰なのか判別できる役者は誰一人出てこない。「カメ止め」で名を上げた上田組のアクターでさえも誰一人出てこない。自分が観賞した丸の内ピカデリーのスクリーンは普通にでかい。その大スクリーンに映し出されるのが見知らぬ役者たちというのは、「カメ止め」がまとった期待感とは別種の心もとなさを感じさせた。
< 上田慎一郎インタビュー 公式パンフより >
上田「一流の技術を持った役者さんはメジャー作品に出ているので、そこで(今作を)勝負してもしょうがないんですよ」
監督の意志はわかる。だが、「無名役者×大スクリーン×前評判不明」という状況は観る側にかなりの心もとなさをもたらす。しかも主人公は極度の緊張で追い詰められると気絶するという、心もとなさの結晶のようなキャラクターだったりする。
オープニングから気弱で頼りない主人公の背景を描くシーンを重ねていく中で、「で、大丈夫か、この映画」と正直心細くなっていくのだが、結局はそれも含め、すべてが上田慎一郎の手のひらの上だったと気づく時、心もとなさは心地よさに塗り替えられていた。
全国148館スタートのメジャー配給であろうと、上田のスタンスは変わらない。その揺るぎなさが大スクリーンを、エンターテインメントを志向する上田カラーに隅々まで染め上げていた。
追い込まれたときに垣間見える真実の姿
「スペシャルアクターズ」の根幹にあるのは、「芝居」が、リアルとフェイクの境界を行き来できるという特性だ。その特性に観る側は次第に飲み込まれていく。「芝居で相手をだます」という仕掛けは、古今東西の映画にドラマに舞台に無数にあるが、上田監督はそこで無名な役者たちが持つ無名というハンデをアドバンテージとして活かし、物語を構築していた。そして、リアルとフェイクの狭間で役者達が見せる芝居はおのずと可笑しみを纏う。それは、役者達がそれぞれの役を演じながら、この一作がすべてというような覚悟、誰もが上田組に全身全霊を投じている懸命さ、そういう熱情のようなものが、その役者が持っている許容量の向こう側をチラチラと見せてくるから、なのかなと。
上田監督は大詰めのオーディションで行ったエチュードで、事前に与えた課題をわざと直前に変更してハードルをあげて追い込み、「キャパオーバーしたときに見える、その人の素の姿で判断していき」、最終出演者となる15人を決めたという。
この「キャパオーバー」で見えたものが不器用さを伴いながら、それぞれの役にリアルとフェイクのプラスアルファを付加した・・・とすれば、それもまた上田監督の演出手腕なのだろう。
15人という数字を前にすると、今はどうしたってラグビー的なチーム感を連想するのだが、名も無き15人が芝居のパスを、ひたすらに懸命に、泥くさくつなぎ、成し遂げたものは、晴れ晴れしいラストをもたらしていた。そして思う。チーム「カメ止め」も良かったけど、チーム「スペアク」もいいね、と。
P.S. 個人的に一番印象に残っているシーンをひとつ挙げるなら、ある作戦を決行する場に、主人公の大野和人が姿を現し歩いてくる場面。心もとなさ、そのものが歩いているような、ぎこちなく、情けなく、それでも前へ進むと決めた愛おしい歩き。抱えている感情が全身から伝わってきて、込み上げてきながら喝采してしまった。
P.S.2 丸の内ピカデリーのグッズ売り場で「魔法のボールチャームストラップ」を購入した。映画を観てグッズを買うなんて何年ぶりだろう。