※この記事は2018年06月19日にBLOGOSで公開されたものです

山田洋次監督の新作映画「妻よ薔薇のように　家族はつらいよⅢ」を公開週に観た。山田洋次作品を映画館のスクリーンで観るのは久しぶりだった。

1995年に「男はつらいよ」が第48作でピリオドを打ってからは渥美清という特別なシンボルの喪失に伴う、山田作品へのひとつの区切りもあり、その後、山田監督が手掛ける作品は比較的シリアスな人情譚に軸足を置く――「たそがれ清兵衛」「武士の一分」「母べえ」「おとうと」等――喜劇を入り口としない作品が続いていたこともあり、時期を問わないDVD鑑賞にとどめていた。

今作「妻よ薔薇のように　家族はつらいよⅢ」は、信頼する年輩の映画見巧者による勧めが背中を押しての鑑賞だった。まず、観ながら率直に感じたのは描かれる「現代」への違和感だった。

主題となる家族の問題は、確かに現代的なそれを題材としている。だが、キャラクターの何人かは平成末期とは思えない、昭和中期を匂わせる立ち振る舞いや、丁寧さが過ぎる言葉使いをする。この、ノスタルジックで前時代の典型を残した人々がまざるちょっと歪んだ現代で、このまま現代の物語が成り立つのか、そんな不安を半身で抱きながらスクリーンを見続けた。

そして前半の仕込みを終え、後半に物語が動き出すと、喜劇要素や登場人物たちの可笑しみが一気にふくらみ、山田洋次作品がこんなにも面白いものかと笑いころげてしまった。

ひとつは自分自身の加齢によって、山田洋次作品に描かれる大人たちの行動、そこで発せられる台詞一つ一つを「そうそう、あるある、いるいる」と切実に受け止めるストライクゾーンが広がっていたからと自覚する。

もうひとつは、繰り広げられる笑いがおおむね「ベタ」で、それこそ日本の喜劇映画史を彩ってきたようなパターンが並び、おそらく10年前の自分だったら「昭和…」と、一歩引いていただろうが、年々「ベタ」に対する認識が一周二周まわって自分の中で変わっており、――下手なベタは救いようがないが上手いベタは味わい深く笑える――という今の自分に、山田組の笑いはツボを突くものがずらりと並んでいた。

ちなみに「ベタ」という笑いのワードは、「やりつくされた」「古い」「パターン化された」「つまらない」という意味を帯び、否定的に、（そして、おおむね浅いジャッジでマウントを取るように）使われるが、「ベタ」を成立させるのは芸の有無にあり、ベタだから、やりつくされた古いパターンだからつまらないと、ひとからげに判じてしまうのはもったいない。

むしろ、「ベタ」で本当に笑わせるのは高い能力を要することで、演技力、存在感、間、総じて芸の力が問われる難しい笑いだと思う。それは時代の進捗ごとに変わる相対的なもので、前時代にメインだった笑いが後世には「ベタ」となる時間的な宿命を持つ。例えば自分自身が子ども時代に笑った幾つもの笑いは、大人になって同じものに接すると「ベタ」だと捉えがちになるという話だ。

という「ベタ」への認識も踏まえてなお、山田洋次監督の職人的ベタは、幾つも可笑しかった。

ではなぜ、この映画で「ベタ」と言える笑いが成り立っていたのか？　それは、この映画が現代を借景にしながらも、その実質、そこにいる人々は、古典的世界の住人だから…か。

先述した――ノスタルジックで前時代の典型を残した「現代」は、文字通りの「現代」ではなく、現代と古典の合間にある山田洋次のオリジナルワールド、例えば「半古典」と言えるかもしれない。

これは「男はつらいよ」シリーズを評したときに言われがちな「失われた家族の原風景」とも違う。現代と古典の狭間に描く、現実にはどこにもない世界だ。

ゆえに登場人物がどう振る舞おうとどんな口調で喋ろうと、人物たちは「半古典」という現実にはない世界にいるので、山田洋次のオリジナルワールドにある笑いを堂々と振る舞える。だから「ベタ」が成立していた！…と、「ベタ」とはなんだ的な論考をこねくり回している自分が、どんどん現実世界から離れていく気配を察しつつ、「家族はつらいよ」について付け加えるならば、これは山田洋次が作りあげた「山田歌舞伎」なのではとも記しておきたい。

「家族はつらいよ」で光った林家正蔵

あらためて、映画「家族はつらいよ」を俯瞰してみる。このシリーズの発端となったのは小津安二郎の名作「東京物語」（1953年）を現代にリメイクした作品「東京家族」（2012年）だった。

ここで、橋爪功、吉行和子、西村まさ彦、夏川結衣、中島朋子、林家正蔵、妻夫木聡、蒼井優という面々が山田組に集う。この座組が山田監督に離れがたい創作意欲をもたらしたのだろう。座組と家族構成をそのままスライドさせ、シリアスモードだった「東京家族」から四年後、一転して喜劇モードの作品として立ち上がったのが「家族はつらいよ」（2016年）となる。

山田監督にとって代名詞である「男はつらいよ」のタイトルを継承した「家族はつらいよ」。そこからも思い入れの強さが読み取れるが、現在86歳である山田洋次の監督人生を締めくくる、ファイナルワークに位置付けられることは間違いない。（ちなみにアメリカ映画界の現役巨匠クリント・イーストウッドは山田洋次の一歳年上。おそるべし日米の80代…）

物語の中心となる平田家の登場人物は前述の座組がレギュラーで、その脇を小林稔侍、笹野高史、笑福亭鶴瓶らが毎回役を変えて登場する。一話完結で年間一本ずつ制作。今作までにそれぞれ「熟年離婚」「無縁社会」「主婦の労働価値」という現代的な問題をテーマに据えてきた。

この平田家に起きるトラブルにより巻き起こる右往左往、身につまされるような場面への共感、随所に挟まれる（時に唐突な）「ベタ」な笑いに抱腹となる。

とにかく役者が揃っている。平田家のトラブルに際し、苛立ち、愚痴り、毒づく、独善的な面々と、そんな彼らを、なだめ、すかし、とりなす、融和的な面々。この両者が展開によって「ああ言えばこう言う」の攻守を瞬時に入れ替える山田洋次と平松恵美子の脚本も巧みだ。

この芸達者な面々の中で、とくに目を引いたのが林家正蔵だった。平田家では、普段は持ち前の調子の良さで平田家の潤滑油的役割を果たしているが、いざという場面ではオロオロとなって頼りないキャラクター「泰蔵」を見事に果たしていた。「家族はつらいよⅢ」の中では笑いのゴールを何本も決めていて、その頼りなさが頼もしかった。

オロオロ役がハマっているのは、「だって林家こぶ平だから」ということだけでは、もはやない。「モグモグGOMBO」（日本テレビ　1993年～2003年）でヒロミにいじられていたあの小弱なキャラクターだけでは、この山田組での要役は担えない。

山田組での林家正蔵は、パブリックイメージとしてのあの（明るくも打たれ弱い）キャラクターを内側に溜めたうえで、芝居する役者としての外側を成立させ、内外のバランスを拮抗させることで演じる泰蔵役の可笑しさを醸している。

これまで、こぶ平時代から正蔵の落語高座には幾度も接してきたが、芸能一家出身というタレント性を先行させたこともあり、こと落語家としての当代正蔵は晩成型だろうと距離を置いて眺めていた。だが、ここで役者としての林家正蔵に心つかまれてしまうとは。

山田洋次監督が「東京物語」で林家正蔵を指名し、「家族はつらいよ」でシリーズを重ねながら正蔵の役者スキルを鍛え、正蔵も監督の要求に応じてきた結果がきちんとフィルムに見てとれた。

正蔵は物語が切羽詰まる場面で、とくにスキルを感じさせた。「家族はつらいよⅢ」では、そのひとつに平田家の台所で小火が起き、その報告を電話で受けるというシーンがあった。

＜　映画「妻よ薔薇のように　家族はつらいよⅢ」より　＞ 泰蔵（林家正蔵）「（電話を受ける）はい、金井税理士事務所です…、
火事？　いや、うち消防署じゃありませんよ、すぐに119番に。
え…お父さんですか？
じゃあ、うちが燃えてるの？
（気が動転してあわてふためき）お父さん、あの、落ち着いて話をしてください！！
いま燃えてる最中なの！？
あの、じゃあ火の中で電話してるの！？
熱くないですか？
すぐ逃げなきゃー！
違う…違う？　
もう収まった…なに、損害は、鍋とおたまじゃくしが少し焦げただけ…
じゃあそりゃ、たいしたことないじゃないですか。
びっくりした…（自ら電話を切る）」
電話を受けて落ち着きを失くし、テンションを乱高下させながら一人で暴走する芝居である。とくに中盤で「じゃあ火の中で電話してるの！？　熱くないですか？」という思い込みの芝居は、かなり難しいものだと思う。まさに演じ手のキャラクターと演技、その両輪が台詞の説得力を決める。正蔵だからこそのあて書きだろうが、このシーンは可笑しかった。

しかも「熱くないですか？」なんて、とびきりシュールだ。かつて、スネークマンショー（アルバム「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対！」1981年）で、戦地で咲坂レポーター（声：小林克也）が負傷兵に対し「痛いですかー？」と問いかけるシュールの傑作が思い出される。

そしてこの電話の場面、後半は泰蔵が平静を取り戻しているようでイカれていて、自分一人納得して電話を切ってしまうのがオチとなる。この強引にとぼけた一人芝居を可笑しく成立させていた林家正蔵に、只ならぬことだと感じ入った。

正蔵の演技スキルの推移を確かめたく、「家族はつらいよ」「家族はつらいよ2」をDVDで見返したが、基本的に山田監督が正蔵自身のキャラクターを活かすため、あて書き的な台詞を必ず渡していることがわかる。まずそこから馴染ませて、平田家の泰蔵を作りあげていこうという監督の意図か。

1、2作目は台詞先行だったが、3作目では動きのボケを幾つか託されている。バランスボールに腰掛けてずるんと引っくり返ったり、一同が揃う居間で不用意につまづいたり。こういうアクセントとなる「コケ」がキャラクターにハマっていて、可笑しみがにじみ出ていた。おそらく1作ごとに山田監督は役者・正蔵への要求を高くしているようだ。

そしてこの、山田組での正蔵の存在感を早くから目に留めていた同業者がいた。立川志らくだ。
＜「ボクらの時代　立川志らく×林家正蔵×柳家花緑」（フジテレビ　2018年5月20日放送）＞

立川志らく「私は（林家正蔵に）驚いたのは、映画とそれからお芝居、このふたつは、『家族はつらいよ』のワンを見た時にびっくりしたんですよ。あまりにもコメディアンとして素晴らしくて、（山田洋次）監督にも言ったけど、『正蔵さんの芝居は、もう大好きなんですよ！』って言ったら、監督のマネージャーが、『だけど志らくさん高座でもって正蔵さんの悪口ばっかり言ってるじゃない』って。いや、それは愛情の裏返しなんですって（笑）」
志らくは映画通で山田洋次ファンで「男はつらいよ」のマニアで、ことあるごとに山田洋次へのリスペクトを口にしていた。それゆえ、山田洋次の寵愛を先んじて受けた正蔵に対し、「なぜ監督は正蔵アニさんを山田組に…」と、その真意を知りたい思いがあっただろう。値踏みまじりに正蔵出演場面を観たかもしれない。その結果、上述の高評となった。

高座では「愛情の裏返し」として長年たびたび正蔵いじりをしてきた志らくだが、「家族はつらいよⅢ」でまさしく憧れだった山田組に呼ばれ、刑事役で正蔵とのからみのシーンを果たしている。落語ファンが気になる両者共演シーンの実現と相成ったが、これはもしや、山田洋次による大岡裁き…かもしれない。

ともあれ山田組での林家正蔵、得難い位置をものにした。今後はこの「泰蔵」という役柄のイメージを透かして（少なくとも自分は）その高座を眺めることになりそうだ。現在、落語協会副会長であり、その知名度を含めて落語界の要として欠かせぬ顔がどんな晩成を果たすのか、その先々、これまで以上に林家正蔵だからこそという演目が熟し姿を現したとき、「あ、来た、泰蔵効果」とつぶやくことだろう。