※この記事は2018年05月18日にBLOGOSで公開されたものです

“Good afternoon, ladies.”
“Good afternoon, Ms. Tanaka. How are you?”
“I’m fine, thank you, and you?”
“I’m fine too,thank you”

高校の途中まではちゃんと勉強していました。

英語科に在籍していたので英語の授業がしょっちゅうあったのですが、授業のはじまりには先生と上記の挨拶を交わすというのが通例でした。

「こんにちはみなさん。」
「こんにちは先生。」
「お元気ですか? 元気ですありがとう。あなたは?」
「元気ですありがとう」

……なんと意味のないやりとりだろうと思っていました。

ほかの教科では授業の始まりに「お願いします」と頭を下げるのですが、それにはまだ少し心が乗ります。

教わる身としては、お願いします、です。
でも、いつ何時であろうと形を変えずに繰り返されるこの“この元気ですか?元気です”には、聞く方も聞かれる方もまるで心を乗せていないことが明白です。

マジで意味がない、意味がない会話は一往復で十分、二往復もする必要があるのか、と当時の私は思っていました。もっと言えば、英語の授業で”How are you?” を自己紹介と同レベルに最初のほうで扱う必要があるのかどうかといことにも、はなはだ疑問を感じていました。

だって会う人会う人に、今日の調子はどう?って普通、聞かないでしょう。元気です、と帰ってきたところで、へえ、です。

海外で「How are you?」の威力を知る

……と、長年にわたりHow are you? を軽視していた私ですが、先日家族でバンクーバーを訪れたところ、How are you? に土下座でもしなければならない、という事実に直面しました。

何しろ入国審査でも、コンビニでも、ビクトリアシークレットでも、いたるところで店員さんが私にHow are you?って聞いてくるのです。

実際のところ私は行きの飛行機の中で治療中の歯根が盛大に腫れ、恐らく微熱も出ていて、現地では毎日鎮痛薬漬けだったのですが、それでも学生時代に何百回と叩き込まれているのでやはりロボットのように言いました。

”I’m fine, thank you, and you?” すると店員さんの方もまあ無難に”fine”とか何とか答えます。

英語圏を訪れるのは決して初めてではないものの(でもとても久しぶりだったのですが)、こんなにも”How are you?”が頻出だったことに衝撃を受けました。学校教育、無駄じゃなかった! と思いました。

で、この”How are you?” が日に何度も飛び交う町で3日ほど過ごして思ったのは、このただの体調確認が、たまたまそのとき出会って、たった一言二言交わすだけの他人同士の距離を、驚くほどぐぐっと近づけているな、ということでした。

元気?の聞き合いが終わると今度は大抵、どこから来たの? とか、今日雨だね、とか、次の会話が始まるのです。それで他愛ないことを話して、ニコッと笑顔を交わして去ると、ただそれだけでおかしなことに、すごくいい気分になったりするんです。

コンビニのレジをしばらく観察してみると、店員さんと顔なじみと思われるお客さんが実際とても多いようでした。みんな「ヘイ、まだ仕事してるの?」とか「今日はこれを買いにきた」とか、友達のように話していくんです。

一瞬だけでも見ず知らずの相手の幸せを祈ってくれる

考えてみると洋画なんかでは、お客がカフェやバーの店員をデートに誘うシーンがとても多い気がします。
最近の映画では『ベイビードライバー』にもそんなシーンが登場したし、ちょっと前の映画では『セレステ&ジェシー』とか『アメリ』にも出てきました。

バンクーバー在住の従姉妹に「店員とお客ってそんなに恋愛に発展するものなの?」と尋ねると「お客側の願望も混じっているかも……笑」とのことでしたが、恋愛にまで発展せずとも、町にいる友達とは呼べない人、顔見知り程度の人との距離というのが、少なくともバンクーバーでは日本よりはるかに近く、そしてそれが全く不快ではなかったのです。

何しろ、何の利害関係もない人に、別れ際に「良い一日を」なんて言われて別れたりするのです。

明日以降、もう二度と会わないだろう人。私が生きようが死のうが全く関係ない人が、私が今日良い一日を過ごせますように、とその瞬間だけでも祈ってくれているのです。

たとえ一瞬であろうと、2秒後にどんなゲスいこと、ずるいこと、エロいことなど考えていようと、その見ず知らずの相手の幸せを祈る瞬間が、町のいたるところで当たり前に延々と繰り広げられていたら、私たちはもっと社会のこと、他人のことを、信用できるようになるんじゃないかと思いました。

例えば、むしゃくしゃしたからコンビニの店員さんを怒鳴りつけるような人には、その店員さんが人間であるという事実が多分見えていないんじゃないかと思います。

制服を着て、カウンターの中にいるというだけで、その店員さんが店のロボットのように見えているんじゃないでしょうか。当たり前ですが本当はそうじゃなく、保護者と過ごした幼少期があって、制服を脱ぐ休日があって、ご飯を食べたりお酒を飲んだりする人間なのです。

「調子はどうだい?」の一言が知らない人同士を結びつける

日本の、特に都市部の生活では、今、自分が対峙しているのが生身の人間であるという事実を、うっかり忘れそうになってしまう瞬間が、とても多いように思えます。

気遣いが不要になるから、サービスを受ける側には少なくともメリットがある、と思う人もいるかもしれないけれど、案外この、友達以外の知らない人との距離がやたら遠い社会に、無意識に緊張を強いられ、疲れている人の方が実は多いんじゃないでしょうか。

だから、日本にも“How are you?” のような役目を果たしてくれる言葉があるといいなとつくづく思いました。
「こんにちは」では定型文過ぎてだめだし、もっと言えば「いい天気ですね」でも、多分だめだと思うんです。

なぜならざっくりとした体調って、表に出しても大して当たり障りのないプライベートな情報で、それを聞き合うというのはただの一往復の会話で、表層部分の自己開示が達成されるということになるからです。実は、知らない人同士をローリスクに、それでいて一歩踏み込んだところで結びつけてくれる質問だと思うんです。

少し前までの日本では「ごきげんよう」が同じ役割を果たしていたのかもしれませんが、残念ながらこれ、現代ではなかなかカジュアルに使えません。

やはりここはステップバイステップで「今日は暑いですね、調子はどうですか?」と前置きを入れつつ調子を聞くというのが良いでしょうか。馴れ馴れしいやつと思われようが、がんばって近く挑戦してみたいと思います。