生きづらさを感じる人々16 訴えにくい男性の性被害 - 渋井哲也
※この記事は2018年05月10日にBLOGOSで公開されたものです
性暴力というと、被害者は女性をイメージする人が多いだろう。しかし、男性の被害者も存在する。例えば、法務省法務総合研究所の「性犯罪に関する総合的研究」(2016年)によると、05年~14年までの、強制わいせつの被害発生率(10万人あたりの認知件数)は、女性が10.0~13.0の間を推移しているが、男性でも、0.2~0.3の間で発生している。
*「性犯罪に関する総合的研究」第2章性犯罪の動向 p13ページ
また、内閣府の「男女間における暴力に関する調査」(2014年)によると、配偶者からの「身体的暴行」や「精神的な嫌がらせや恐怖を感じるような脅迫」「生活費を渡さない経済的圧迫」「性的な行為の強要」について「何度もあった」は女性が9.7%、男性が3.5%。「1、2度あった」は女性が14.0%、男性は13.1%。こちらも、男性も被害者になることがあると示している。
*「男女共同参画白書」(概要版)平成28年版
17年の刑法改正によって、強姦罪(強制性交等罪)の被害者に男性も含まれることになった。16年までは強姦の男性被害者は「法的に」存在しなかったが、今後は、男性被害者も認知される。ところが、男性は女性よりも性被害を訴えにくいとも言われている。中部地方出身の、浅田悠二(仮名、30代後半)もその1人だ。浅田の被害は幼少期のものだ。
「当時は性虐待とは思っていなかった」女の子が目の前で裸に…
「一時期、記憶は完全になかったのですが、今では、だいたいは覚えています。当時は性虐待にあたるとは思わなかったため、気にしないで生きていました。しかし、恐怖体験であり、逃げたいと思うようなこと。ただ、男性なので、被害だと思いにくいのです」
浅田が小学校4年生の頃、近所の年上の女の子と遊んでいた。女の子と浅田は仲がよかったといい、今でも実家に帰れば会うことがある。そんな女の子にある日、自宅の一室に呼び出され、室内で女の子は浅田の目の前で裸になった。そして「女の子の体に触りたいの?」と言ってきた。
「一気に裸になったのか、だんだん裸になったのかは定かではないのですが、ただ、突然の出来事で、フリーズしました。どうしたらいいかわからない。『うん』と返事を曖昧にしました。そう言ったほうがいい雰囲気だったからです。『触ってみて』とも言われたが、触りませんでした。それで終わったのですが、女の子には『このことは言ったらダメ』と言われたのです」
性暴力被害の取材をしていると、被害者が相手に口止めをされたという話をよく聞く。浅田も同じだった。
数日後に再度呼び出し。「胸を触ってごらん」
そして数日後、また呼び出しがかかる。今度は女の子の家だった。女の子は呼び出しを自然に感じさせるために、「面談をする」という形式をとった。他にも親類の子どもが一緒にいたからだ。浅田の順番になった。親類の子から「来い、って言っているよ」と伝言された。嫌な予感がしたので、親類と一緒に行った。
「自分1人では嫌だったんです。女の子の部屋に行くと、すでに上半身裸になっていました。でも、1人じゃなかったので、びっくりしていました。女の子には『1人で来い』と言われ、嫌だなと思いながら行くと、再び、上半身裸になっていました。横に座らされたのですが、そのときもフリーズしたんです。何を話したのか忘れましたが、何かを注意されました。そして『胸を触ってごらん』と言われたのです。自分の手を誘導されて、胸を触らせたのか、自分で触ったのか。それは定かでないが、ずっと固まっていました。会話にならないこともあり、しばらくして解放されたのです」
しばらくすると、女の子がまた自宅に来た。居間にあった大きめのコタツの中に入って来て、女の子は「中に入れ」と言ってきたという。
「真っ暗なのでよく見えませんでしたが、コタツの中で、また女の子は裸でした。『触りたいんだったら、触ってごらん』と言われました。そのときも嫌な感じでした。怖いと感じていたんです。固まっていると、女の子は「揉め、揉め」と言ってきて、1回、揉んだ記憶があります。そのあと、手を引っ張られて、どこか触らされました。おそらく股間だったと思います。知識がなかったので、よっくわからないまま、『気持ち悪いもの』を触らされました。動かすように言われたのですが、わかないので、固まったままでした。そのため、女の子はやめたのです」
浅田が覚えているのはこの3回だ。それ以降はなくなった。なぜ女の子はやめたのだろうか。
忘れていた出来事を大学生の頃に思い出す。「自分を否定していた」
浅田はこのことをずっと忘れていたが、大学生のときに思い出した。なぜなら、精神的に不安定で、気分障害になったからだ。
「すぐに死にたいと思うようになった。ちょっとした失敗でも自分を否定していました」
考えてみれば、小学生の頃の浅田はよく寝ていた。頻度は曖昧だが、授業中も現実逃避のように寝たふりをしていた。先生に保健室へ連れて行かれることもあった。他にも、運動会で自分の順番を待っている最中に寝たふりをする。教室で椅子を引っ張られ、床に倒されるようないたずらもされたが、それでも寝たふりをしていた。一方で、夜は眠れなかった。
中学のときは朝起きれなくなった。集団登校をしていたが、迎えが来ても、隠れていた。そのため、だんだんに学校に行かなくなる。「熱がある」などと嘘をついて学校を休むようにもなる。
「両親は共働きなので、学校へ行ったりふりをして、自宅に帰りました。この頃は性被害のことは忘れていたし、言わないように言われていたので、誰にも言わずにいました。そんな状態で、睡眠障害になっていたのです。不登校の理由は、性被害だったのではないかと、大学生のときに思いました」
学校に行かないことで父親からの仕打ち
ある時、ズル休みしていたことを父親に怒られた。学校に行ったふりをして屋根裏部屋にいたのがバレてしまったのだ。
父「学校へ行ったのか?」
浅田「行きました」
母「正直に言ったほうがいい」
結局、浅田はその日の夜に、本当のことを言った。すると父親はさらに激昂した。
浅田「すいません。間違ったことを言いいました」
父「なんで嘘をついた」
この日は雨だったが、浅田は父親に引きづられ、外に出された。裸にされて、顔をビンタされた。近所の女の子から性的被害を受けて、心理的ダメージを引きずっている中で、さらなる仕打ちをされた。それが大きなトラウマとして心に残るようになったのではないか。ただ、その後も、学校に行けるようにはならなかった。別の日、両親が仕事に行ったときに、学校へ行けず、裏山に逃げた。そのときも父親に見つかり、連れて帰られた。ただ、このときは父親は怒らなかった。
「この頃は周囲の期待にそって動いていました。復学したら学校を休んじゃいけないとも思っていたんです」
大学進学後に一人暮らし。生活は破綻する。そして自己否定
結局、高校は無事卒業。大学に進学すると、一人暮らしを始めた。
「生活はすぐに破綻しました。無茶な単位の取り方をしたし、サークルはいくつも掛け持ちました。無理がたたって、再び、死にたくなりました。遺書も書きました。いま振り返ると、双極性障害のような状態で、全能感と自己否定感をジェットコースターのように繰り返していました。自己否定の波に入ると死にたくなり、外からの連絡を一切遮断して引きこもったのです」
ただ、あるサークルで、アルコールと薬物の依存症を患う人と出会った。そこで、アダルトチルドレン(AC)や性的虐待のことを知った。そして、幼少期のことを振り返った。自分自身もACだろうと思い始める。
「自分もあのとき、虐待されたんだ、と思い出しました。すぐに死にたくなるのは性虐待経験が影響しているのではないかと考えるようになったのです。反面、恋愛依存でもあった。大学の屋上に登って、死を考えたりした。また、凍死をしようとも考えました」
また、付き合った女性から性虐待体験を聞き、珍しいものではないとわかった。異性との距離の取り方や、性的な意味でのお互いの身の守り方も知る。
「この女性との付き合いから学ぶなかで、付き合っていても、結婚したとしても、望まない妊娠を避けるために、両者が『妊娠してもよい』という段階にならなければ、性器の挿入はしないことにしました。コンドームも100%避妊できるものではないので、コンドームを装着して挿入するということもしません。こういう極端な考えにたどり着き、実践していました。これも性虐待経験の影響から生じた性の感覚のブレ、過剰な反応かもしれません」
恋愛への影響。付き合い方がわからない
性的被害を経験すると、性に関しての感覚がブレることがある。浅田もそうしたことがあった。
近所の年上の女の子に性的に被害を受けた浅田。それをきっかけに女性に対する恐怖心があるのだろうか。
「うーん。(加害行為をした女の子と同じような)年上の女性は緊張しますが、恐怖心はありません。ACとしての恐怖心は、父親からされたことから生じているような気がします。なので、どちらかというと、男性のほうが怖い」
「もちろん、好きな人にアプローチして付き合った経験もありますが、自己否定感が強いので、付き合い方がわからないのです。相手を傷つけないようにして、嫌とは言えない。好意がなくてもいい顔をしてしまいます。そのため、相手は踏み込んできます。一緒に寝たりするけど、何もしない。すると、困惑するのか、次第に連絡が取れなくなったのです」
付き合えたとしても、恋愛依存になってしまい、相手にモラハラ的なことをしてしまうことがあった。付き合っている最中に精神的に不安定となり、「死ぬ」「死ぬ」と言ったこともあった。今では自分の問題を振り返るために、ACや依存に関する自助グループに参加している。
「生きづらさはずっとあります。自助グループでは恐怖心や対人関係について話し、そうした問題を振り返っています」
家族へカミングアウト。と同時に、加害性を振り返る
実は家族に性被害についてカミングアウトしたことがある。
「姉と妹はなんとなく察していたのですが、家族旅行で食事をしているときにおもいきって話をしました。言うタイミングはふさわしくなかったかもしれません。父親は戸惑ったと思います。『過ぎたことは振り返ってもしょうがない』と言われました。それで話は終わり。それ以降家族にこの話をしたことはありません」
実は、被害体験を通じ、自身の加害者性を振り返ることもあるという。浅田は子どもの頃、お風呂に入っていたときに、妹のお尻を触って、親に怒られたことがあった。
「小学校のときだった。興味本位で遊ぶ感じで、妹は『やめて』とは言っていませんでした。ただ、親が見たら激怒するような状況になったことがあります。マイルドに言えば、『お医者さんごっこ』です。妹が寝ているときで、やはり、遊びだった。反応はありませんでした。もしかすると起きていたのかもしれませんが、今では申し訳ないという気持ちがあります。どこかのタイミングで謝りたい」
こうした経験を通じて、浅田は援助職に就いた。
「自分の体験なんて大したことではないと思うことがあります。死にたいとか、絶望感もありました。そういう思いがある人の力になりたい。やりたいことが見つかってからは精神的にも落ち着きました」