保活や復職とは無縁の専業主婦をモヤらせた、ママ友の一言
結婚3年目の夫婦に、待望の第一子が誕生。
これから始まる幸せな生活に心を躍らせたのも束の間―。
ささいなことから2人の愛情にひびが入り始める。
すれ違いが続き、急速に冷え込んでいく夫婦仲。
結婚生活最大の危機を、2人は乗り越えられるのか？
◆これまでのあらすじ
昌也や義両親から、たっぷりの愛情を注がれる彩佳と結衣。だがどういうわけか、彩佳は幸せを感じることができずにいた。
― 彩佳、相当疲れてるみたいだったな。何か甘いものでも買ってあげよう。
新橋のオフィスを出た昌也は、銀座に向かって歩き始めた。
大通りを一本入った路上には、黒塗りの車がずらりと横づけされている。
一時はゴーストタウンのように真っ暗だった銀座。戻ってきたきらびやかな雰囲気に、銀座はこうでなくっちゃと、昌也のテンションは上がった。
仕事終わりだし、少しくらいぶらぶらしていっても良いだろう。
銀座三越に入り各フロアを回っていると、子ども服のコーナーに目が留まった。
― 彩佳と結衣とおそろいで買っちゃおうかな。おそろいのポロシャツ着て旅行なんて、最高だな！
ベビー用ラルフローレンのかわいさに、つい妄想が広がる。
これもプレゼントしようと、昌也は購入を決めた。
― それから、彩佳のためにスイーツ、スイーツ。
三越を出た昌也は、『キルフェボン』に向かって歩き出す。
彩佳の大好物であるフルーツタルトを買って帰れば、喜ぶに違いない。
昌也は、結衣が生まれたことで、父親として、夫として、これまで以上に頑張ろうと心に決めていた。
育児を頑張ってくれている彩佳への感謝も忘れないようにしている。
「ああ、彩佳と結衣が愛おしくてたまらない」
昌也は、浮かれた気分で銀座を闊歩していた。
彩佳が喜んでくれると思っていた昌也だが、実際の反応は…
ズレた夫
「ただいまぁ！」
上機嫌で帰宅した昌也は、リビングへと急ぐ。
タイミング良く、結衣は眠っているらしい。ソファに座っていた彩佳に、ケーキを差し出した。
「毎日、本当におつかれさま。これ食べて元気だしてよ。それから、今日は…。じゃーん！」
続けて、さっき買ってきた、家族おそろいのピンクのポロシャツをテーブルに並べる。
「パパ、ママ、結衣ちゃん用。銀座ブラブラしてたら見つけちゃって。かわいくて買っちゃったよ」
だが、昌也の予想に反して、彩佳は浮かない顔をしている。
「ブラブラ…。そっか、ありがとう」
― ピンクはちょっと派手すぎたのかな。ポロシャツだし、無難に白にすべきだったか？それとも、一緒に買いに行きたかった？
昌也は、なぜ彩佳が悲しい顔をしているのか、全く見当がつかなかった。
◆
翌日。
「こんにちは。きゃあ、結衣ちゃん、かわいい！初めまして」
友人の玲子がやってきた。
彼女は、5月から職場復帰を予定している。仕事が始まる前に遊びに来てくれたのだ。娘のあゆは、現在慣らし保育中だという。
彩佳は、最近、ほぼ昌也としか会話をしていない。久しぶりに玲子と話せると思うと、彩佳の心は弾んでいた。
「どうよ、育児は。寝れてる？」
「なんとかやってるけど、想像以上に大変。全然寝られなくて、クタクタ」
彩佳の答えに、玲子が「だよね」と、頷く。
「まずは3ヶ月が勝負かな。3ヶ月経つと、かなり楽になるから。ファイト」
「先輩ママ、頼りにしてます」
2人は、目を合わせて笑い合う。テンポ良く会話が進むのは、ストレスがなくて心地良いものだ。
彩佳は、『テオドー』の紅茶をヘレンドのティーカップに注ぎながら、玲子をソファに促した。
昨日昌也が買ってきたケーキとともに出すと、玲子が「気遣わなくて良いのに」と、申し訳なさそうな顔をしたので、彩佳は補足する。
「昌也が買ってきたの。たくさんあるから、良かったら持って帰ってよ」
すると玲子は、「いいなあ」と、羨ましそうにケーキを眺めた。
「なんて出来た旦那さんなの！直樹とは大違い。私なんて、毎日のように旦那にキレてるわ」
玲子は、彩佳の反応など目もくれずに話し続ける。
「私、保育園の関係で早めに復帰せざるを得なかったけど、もう少し休みたかったもん。
彩佳は育児に専念するんでしょう？羨ましいよ。それでいて協力的な旦那とか、彩佳、恵まれすぎ！」
「そ、そうだね。まあ、私も色々あるけど」
苦笑いしながら、暗に自分も大変だと訴えるが、玲子は気づかないようだ。
― 昌也の愚痴、言いにくいな。
昨日も、昌也のズレた気遣いにイライラしたばかりだ。
銀座をぶらつき、買い物してくる暇があるなら、一刻も早く帰ってきて、結衣の世話でもしてくれれば良いのに。
怒るのも面倒だったのでやり過ごしたが、完全に消化不良。
そのモヤモヤした気持ちを玲子に吐き出したかったが、なんとなく言いにくくて、彩佳は口をつぐむ。
その代わり、玲子がノンストップで話し続けた。彼女は、昔からとにかくよくしゃべるのだ。
彩佳は、それをニコニコ、時折気まずい笑顔を浮かべながら聞く。
熾烈な保活、のしかかるローン、時短勤務への不安など、彩佳にとっては無縁のことばかりだった。
恵まれているはずなのにモヤモヤする彩佳。ついに夫の優しさに対して…
夫婦のパワーバランス
「彩佳はさ、昌也さんと喧嘩することとかあるの？」
しゃべり倒した玲子が、一息つくように紅茶を啜りながら尋ねた。
― 喧嘩か…。
思い返してみれば、彩佳と昌也は喧嘩という喧嘩をしたことがなかった。
少し言い争いになることはあっても、昌也が仲直りと称して何かプレゼントしてくれて、それで終わる。
彼から文句を言われることは滅多にないし、欲しいものはすべて与えてもらえるのだ。
「あんまりないかも」
彩佳の言葉に、玲子が「お宅はいいわね」と呟き、ケーキをつつきながら続けた。
「昌也さん、彩佳のこと、本当にかわいがってるもんね」
何気ない一言だった。
だが、彩佳の脳裏には、“かわいがってる”という表現が、こびりついて離れなかった。
玲子の帰宅後。
彩佳は片付けをしながら、彼女の言葉を反芻していた。
“かわいがってる”
そうなのだ。昌也は、とにかく自分を愛してくれるし、尽くしてくれる。
それはとても心地よく、幸せなこと。
だが、言い換えれば、彩佳はすべてを昌也に委ねている状況だ。
― 私たち、対等な関係じゃないってことだよね？
こんなことを考えたこともなかったのに、今日はネガティブな思考がぐるぐると巡る。
「だめだめ。こんなこと考えてる暇があるなら、夕食の準備でもしなくちゃ」
彩佳は考えるのを半ば強制的に止めて、キッチンに立った。
◆
「ただいまぁ」
19時過ぎ。
帰宅した昌也は、「お腹すいたあー」と連呼しながら、リビングに入ってきた。
その声に、彩佳はソファでハッと目を覚ます。結衣を寝かしつけた後、うっかり自分も眠ってしまっていた。
「おかえり。ごめん、寝ちゃってた」
「疲れてるもんな。いいよ、休んでて。テーブルにあるもの、適当に食べさせてもらうわ」
そう言った昌也だが、テーブルの上に用意された夕食を見るなり、「…ん？」と、目をパチパチさせた。
お漬物に冷奴。それから、きんぴらごぼう。
「メインは、冷蔵庫に入ってる？」
「ごめん、今日はそれだけ。きんぴらごぼう作った後、結衣が泣き止まなくて…」
会話が途切れて、その場が静まり返る。
「まあ、そういう時もあるよな。りょーかい、りょーかい。まあ、食欲なかったからちょうどいいかも」
さっき昌也は、散々お腹が減ったと言っていた。
彼なりのフォローなのだろうが、バレバレの嘘に、彩佳はみじめな気持ちになる。
「ごめん、夕食すらまともに作れなくて」
彩佳が俯きながらポツリと言うと、昌也が何かを察したのか、ソファに近寄ってきた。
そして彩佳の肩を抱きながら、優しく諭す。
「なあ、彩佳。俺は、彩佳に家事をやってほしくて結婚したわけじゃないんだ。
家事なんて外注すれば良いし、お袋だって、手伝いに来るって言ってる。だから無理しないで」
彩佳の頬に触れた昌也は、子どもをなだめるように続けた。
「彩佳がつらそうな顔してると、俺もつらいよ。彩佳には、いつも笑顔でいてほしい」
そして昌也の手が、彩佳の体に伸ばされる。まさか、出産直後にそんなことはないだろう。
だが、彼の優しくも何かを狙うようなその視線に、ひどい嫌悪感を抱いてしまう。
「やめてよ！」
力いっぱいに昌也を突き飛ばした彩佳は、そのまま寝室へと駆け込み、ひとり涙を流した。
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▶1話目はこちら：出産の“ご褒美”はダイヤモンド。夫の愛に浸るセレブ妻の大誤算
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どんどん冷え込んでいく夫婦仲。それでも昌也は、歩み寄ろうとするが…？
