小さな町を牛耳る資産家が、大事な跡取り息子の恋人に加えた制裁
見栄と承認欲求で作りあげられたインターネットの世界。
ここでは誰もが『なりたい自分』になれる。
ハイブランドで全身を包み、華やかな日々をSNSに公開していた謎の女・カレン。
そんな彼女が、突然、この世を去った――
死によって炙り出される『彼女の本当の姿』とは…？
◆これまでのあらすじ
突然この世から去った謎の女・カレン。形見分けを遺族から頼まれた玲香は、死の真相を探り出す。過去が明らかになっていく中、カレンの部屋のチェストに残されていた錠剤の存在に気づいた玲香は…。
Chapter.10 秘められた関係
「わかった。一旦預かるよ」
次の休日。玲香は加賀の勤務先の病院近くにある喫茶店で彼と会っていた。
カレンの部屋にあった複数の種類の薬―。
その詳細がわかれば、病死にせよ、中毒死にせよ、自殺にせよ、はっきりとした死因を突き止められると思ったからだ。
錠剤はほぼ裸の状態で保管されていたこともあり、睡眠薬以外、何の薬なのかは見当もつかない。
総合病院の医師である加賀に確認するのが早いと考え、玲香は彼に無理を言って約束を取り付けた。
「薬剤部にも相談して確認してみるよ。じゃあ…」
仕事の合間を縫って来た彼の態度には、どこかよそよそしさが感じられる。
「ごめんね、忙しいのに」
加賀は安心したような笑顔を見せ、薬の入った封筒を手に取ると、足早に病院へと戻っていく。
玲香は寂しさをおぼえながらも、わざわざ時間を空けてくれた彼に感謝した。
冷めたコーヒーに口をつけると、白衣を小脇に抱えた病院関係者と思しき女がすぐ横を通った。ちらりと見えた名札には『薬剤部 竹脇』とある。
― このお店、病院関係者の御用達なんだ…。
そんなことをぼんやり考えながら、彼女の会計姿を見つめていると、どこか見覚えのあるモノが玲香の目に入った。
ジミーチュウの黒いロングウォレット。
持ち主は、小柄で長い髪を束ねた清楚な印象の女性だった。会計を終えた彼女は玲香の方に一瞬視線を向けた。だが、目が合うとビクッと肩を揺らして、なぜか足早に店を後にした。
その不自然さに、玲香も疑念を抱かずにはいられなかった。
加賀と玲香の逢瀬をのぞき見していた怪しい女の正体は…
― まさか、財布を贈った同僚って…。
追いかけて、関係を問い詰めようかとも思ったが、カレンに対する疑問で頭がいっぱいで、立ち上がる気力も起きない。
彼女の死因と、金の出処、そして―
森の言うカレンの大切な人とは、元同僚・小夜子が証言していた上京のきっかけとなった大失恋の相手と同じ人物なのか…ということ。
その相手は、多くのダイヤが煌めくブシュロンのリングを贈ることができる人だ。
玲香は、カレンの財産の出処は、その男である予感がしていた。
だが、家計も苦しく、真面目なアスリートだった彼女にそのような人物との接点はあったのだろうか。
玲香はカレンの本名『中田房子』をおもむろにネットで検索する。選手時代の活動状況が思いのほか多く結果に上がってきた。
それらを確認していると、あるサイトにたどり着いた。
玲香は思わず喫茶店の席から立ちあがる。
「接点、あるじゃない…！」
自然と体は駅へ向かって動いていた。
◆
「どうした急に。早く乗りなさい」
玲香は山梨のある町に住む祖父・為治の元へやってきた。
すでに隠居しているが、彼はかつて地域で一番大きな病院の院長をしていた。僅差で落選はしたが、首長選挙に出馬経験があり、地元では幅を利かせている。
為治は専属ドライバーの運転するクラウンで駅に到着した玲香を出迎えた。
顔をほころばせながらも、玲香を隠すように慌てて後部座席の扉を閉める。
「なんでよ。そんなに慌てて…」
「誰が見ているかわからないじゃないか。で、今日はなんだ？」
閉鎖的で噂もすぐに広がってしまうこの町。
このご時世、いくら親族という関係でも、明らかに都会から来たとわかる華やかな見た目の女と、町で有名な元医者が会うことに町民がシビアになってしまうのは仕方ない。
「ふふ。急においしいワインを飲みたくなったの」
弾んだ声で答えると、為治は呆れながらも、目論見通り三石酒造が運営するワイナリーレストランに車をすぐに向かわせた。玲香はにやりとほほ笑む。
ここには“ある仮説”を裏取りしに来たのだ。
「もしもし？今から個室大丈夫？」
為治は慣れた口ぶりで関係者に連絡し、すぐに席を確保した。そのレストランは地元でも人気もあり、予約さえ難しいというのに。
「さすがお爺ちゃん。この町での一番の実力者ね」
大げさに持ち上げると、為治は上機嫌に笑った。
「なにを言っている。一番はあの家に決まっているだろう」
車は、まだ休眠期である3月のブドウ畑を抜け、緑あふれる広大な敷地へ入っていった。しばらく行くと、中世ヨーロッパの城を思わせるクラシカルな建物がある。
そこが三石酒造のランドマークと呼べるワイナリーとレストランだ。
「三石なぁ…ここ十数年で急成長してなぁ。玲ちゃんも昔、御曹司とお見合いしただろう。彼が次期社長の真吾だよ」
大会社の御曹司とカレン。二人の関係は…
玲香は苦笑いをしながら思い出す。
お見合いの際、会長に自分の家を町医者と蔑まれたことは黙っておくことにした。
「覚えているわ。でも、お父様がインパクトある方で驚いちゃった」
「豪快だったろう。まぁだからこそ、ここまで会社を成長させられたんだろうな。結局、息子も強引に議員の娘と結婚させて…。それもあって今やこの地域の全てを牛耳っていると言ってもいい」
玲香の脳裏にはカレンの選手時代の検索結果から辿ったサイト画面が浮かんでいた。
ページの中にあった写真。スポーツウエア姿の彼女の横に、コーチや監督の他、なぜかいつも姿を現している男がいた。
三石の御曹司・三石真吾だ。
食事会でカレンが玲香のお見合いの話題で前のめりになっていたのは、会長ではなく彼と深い繋がりだったからなのだろう。
「三石酒造って、駅伝でも有名よね」
「ああ、真吾の力の入れようはすごいからな」
為治によると、三石真吾はかつて早稲田で箱根を走ったランナーであり、将来の活躍を期待されていた選手だったようだ。
だが、三石の会長は家業のため、彼に無理矢理競技を諦めさせた。
そのガス抜きとして会長は、真吾主導の駅伝部を15年前に創部したのだという。
レストランに到着し、玲香と為治はブドウ畑を一望できる一番上等の個室に案内された。
甲州信玄豚など、地元食材をメインに使用したアラカルトとともに、三石酒造の『可憐煌房』なる銘柄のフルボディのワインをひとまず楽しむ。
国産ワインには明るくない玲香だが、その名前はどこかで目にしたことがあった。おそらく、カレンの部屋のワインセラーの中にあったものだ。
「綺麗な色…」
一口飲んだあと、グラスを掲げて、深紅のバラのような深い色合いに玲香はうっとりする。生産している中で最上級銘柄のヴィンテージ付きワインだという。
その名の『可憐』や『房』という文字を見て、当然ながらカレンのことが頭をよぎる。どちらが先かはわからないが、縁を感じざるを得ない。
時系列的に真吾が結婚する前だが、この疑問をはっきりさせたいと玲香は思った。
果たして、“真吾はカレンの恋人だった”のか…。
「ねえ、お爺ちゃん。例の御曹司さん、独身時代に女子駅伝部の選手と噂があったりしない？」
「聞かないな…」
拍子抜けしたが、当然と言えば当然だ。チームメイトさえ知らなかったことをこの老人が知っているわけはない。
だが、しばらくして、含みのある口調で静かに為治は口を開いた。
「あの家のことだ。選手といえども半端な者は許さないだろう…ま、あったとしても『ないこと』にできるだろうがな。会長なら」
「ないことに、って」
「彼なら金の力で女を黙らせられるだろう。以前は会長にも妾がかなりいてなぁ。今でも噂は聞くよ」
外部から人が来ただけですぐ噂が広まるような、1つの大会社の存在だけで成り立つ小さなこの町。トラブルをおこせば、居場所を失うのは避けられない。
― つまり、カレンこと中田房子は、手切れ金と引き換えに町を追い出されて、真吾との関係も封印されたということ…？
房子の性格上、手を付けることも憚られたのだろう。青山のマンションは当時殺風景だったという小夜子の証言から、仮住まい感覚で使われていたのだと思われる。
だがそこで引っかかるのは、なぜそんな彼女が2017年に突然、カレンへと変貌し、その富を急に浪費しはじめたのかだった。
ワインを眺めながら首を傾けていると、加賀からLINEが入る。
『薬の種類、わかったよ』
メッセージを見て、玲香はグラスの中にあったワインを一気に飲み干した。
ワインの味は切ないほど深く、ほのかな苦みが胸の奥にしみた。
▶前回：セレブ美女の遺品から見つかったカルティエのプロポーズリング。贈り主は、恋人ではなく…
▶1話目はこちら：画像加工とブランドに彩られた、SNS女王の哀れな最期
▶Next：4月6日 水曜更新予定
ついにカレンの死因が判明する。その奥で彼女が抱えていた想いとは…
