セレブ美女の遺品のプロポーズリング。贈り主は恋人ではなく…
見栄と承認欲求で作りあげられたインターネットの世界。
ここでは誰もが『なりたい自分』になれる。
ハイブランドで全身を包み、華やかな日々をSNSに公開していた謎の女・カレン。
そんな彼女が、突然、この世を去った――
死によって炙り出される『彼女の本当の姿』とは…？
◆これまでのあらすじ
突然この世から去った謎の女・カレン。形見分けを遺族から頼まれた玲香は、死の真相を探り出す。そして、玲香はカレンと関係が深かった男・森と会うことに成功したが…。
Chapter.9 たとえば、わたしが死んだら
表参道の路地裏にある、スタイリッシュな内装の隠れ家的なバー。
森はカレン亡き後、月命日には必ずこの店を訪れ、いつも座っていた席に彼女の好きだったワインを手向け、ひとり飲んでいるのだという。
森はその日も、いつもの席で彼女の弔いをするつもりだったようだ。
「申し訳ございません。私も最初にお断りするべきでした…」
「いえ、騙したのは私です。本当にすみませんでした」
少し離れたテーブル席へと移動した玲香は、謝罪するバーテンダーに逆に頭を下げた。ペリエだけで帰るのも心苦しいため、ジントニックを1杯頼むことにする。
カウンターでウイスキーのロックを傾ける森と、その隣のワイングラス。そんな“2人”の背中を眺めながら、玲香は森のカレンへの純粋な愛情を感じ取った。
かつてモデル仲間と2人の仲を勝手に妄想し、デマや悪口を言い合ったことを思い出して、玲香の胸はきつく痛む。
― あれ…でも…？
森の隣の深紅のワイン。カレンの為の一杯だが違和感がある。
「カレンさんって、確かお酒、飲めないんでしたよね」
玲香はジントニックを運んできたバーテンダーに尋ねた。
「たまに嗜む程度に飲まれていましたよ。普段は控えているみたいでしたが」
「へぇ…どうしてだろう」
その言葉を聞き取ったのか、カウンターに座る森の肩がピクリと動く。すると、玲香の前に静かに歩いてきたのだった。
「君は何がしたいんだ」
詰め寄られた玲香はついにあのことを告白する…
「え…あの、ただ、私は」
「下品な人間だな。故人の周囲をこそこそ嗅ぎまって何になるんだ」
まさにその通りで何も言えない。容赦なく彼は詰め寄る。
玲香は観念し、理由を正直に答えることにした。
「…私、カレンさんの形見分けをしているんです。その中に森さんの絵があったので、どうしても興味があって」
「形見分け？」
「妹の、明奈さんに頼まれました」
森の顔が少し穏やかになった。ここぞとばかりに、状況を丁寧に説明すると、一応は納得してくれたようだ。
「なるほどね…」
「はい。なぜ私が頼まれたのかよくわからないのですが…。というわけで、森さんも遺品を確認しに来ていただけませんか。貴方の絵を欲しいという方もいるんです」
森はその足でカレンの家を訪問することを了承してくれた。
しかし、気になることがひとつ。
「彼女の家ね…。この近くなんだっけ…？」
「そうですけど…？」
どこか森はそわそわしている。恋人同士であれば、行きなれているはずで、しかも部屋の場所も知っているはずなのに…。
◆
「実は…僕の一方的な片思いだったんだ」
カレンの部屋への道中。玲香がその疑問について聞くと、森は少し考えたようだったが、理由を教えてくれた。カレンは部屋に男性を入れたくないと言い張っていたそうだ。
「意外です。てっきり交際しているとばかり…」
「…別に大切な人がいたようだよ」
「え、でもずっと一緒にいたじゃないですか」
森はそのまま黙ってしまった。
彼は、口数が少ない男だ。わずかな言葉の奥に何かを潜ませ、放つ言葉を選んでいる気さえもする。
その沈黙の重みが、カレンへの愛の深さを思わせた。
部屋に到着した玲香は静かにドアを開ける。
すると、森は玄関に入るなり、膝から崩れ落ちたのだった。
「カレン…！」
視線の先には、リビングの中心に飾られた彼の絵があった。
森の作品だと言われなければ、玲香にとっては何の魅力も感じない絵だが、カレンにとっては大切な美術品だったのだろう。一番目立つ場所に飾られてある。
「…！！！」
声にならない声。森の目からは大粒の涙が流れている。男性がここまで号泣するのを玲香は見たことがない。しかも、あのニヒルな森が、だ。
月命日に馴染みのバーで弔うくらいだから当然かもしれない。死を知った途端、狼狽したひろみを見たときもそうだったが、玲香の胸はなぜか痛くなった。
自分がもし死んだら、ここまで泣いてくれる人はいるのだろうか…。
そう感じてしまったから。
「ほかの遺品もあるので…どうぞ」
森が落ち着いたところで、玲香は彼に声をかけ、きらびやかな遺品がまとめられているスペースへ案内した。
すると、そこにあった真っ赤な箱を見て、森はさらに目を見開いたのだった。
森が見つけたカレンの遺品、それは…
リボンで包まれたままのカルティエの小箱だ。
おもむろに森は手を伸ばし、紐を解いた。そこに添えられた小さな封筒の中に一枚、カードが入っていた。
『結婚して欲しい 森亮輔』
中は、ケースにずっと入ったままの指輪だった。プロポーズの指輪だろうか。彼の手は震えている――
「…」
そして、すぐに気持ちを切り替えたように天を仰いで微笑んだ。
「僕は、これを引き取るよ。絵は欲しいという方に差し上げて。僕は、彼女が部屋にこの絵をずっと飾ってくれていたという事実だけで十分だ」
いつもは気難しそうな印象の顔が、すがすがしいほど爽やかに見えた。
「森さん…」
「去年の初め、これをあのバーで渡したんだ。一方的にだけどね」
森からのアプローチを断り続けていたカレン。そんな彼女の気持ちに納得しながらも一緒にいた森だったが、結局、最後は愛を押し付けるような形で口論になったまま別れてしまったという。
自身の海外渡航やコロナ禍もあり、カレンからの答えを聞けぬまま、数ヶ月。食事会からも遠ざかっていた上に、SNSを一切していない森は、そのまま明奈を通じて訃報を耳にしたそうだ。
「亡くなる前、彼とは会えたのかな」
森は静かに呟いた。
森の言う、カレンの大切な人。その人は、小夜子の言う上京のきっかけとなった相手と同一人物なのだろうか。
初めて自分の作品を買ってくれたカレンの神秘的な魅力に惹かれ、愛するようになったという森。
彼の愛を受け入れはしなかったものの、森の才能に惹かれていたカレン。
2人はよく行動を共にしていたが、彼女の指にはその男から受け取ったという指輪がずっと輝いていたという―。
「ブシュロンのキャトル、ですか」
「ああ。人差し指というのが救いだったけど」
遺品の中にはその指輪もある。森は意図的に目を逸らしているようだった。
「そうだ、ワインでもいかがですか？」
玲香は献杯を提案する。いくつかの高級ワインは飲んでしまったが、かつてカレンが所属していた会社の国産ワインがまだ数本残っている。
「カレンさん、ワイン好きだったのに食事会では控えていたんですよね。なぜかわかりますか？」
玲香がそう呟くと、彼はハッと我に返ったような顔を見せた。
「いいじゃないか。別に」
渋い森の顔。まずいことを言ったのかと玲香は焦るが、思い当たる節はない。
「カレンは好きなものに囲まれて、幸せだったよ。僕と一緒にいた時期はこの上なく輝いて、美しかった。そして綺麗なまま逝ったんだ」
言葉は強く、玲香に言い聞かせるような口調だ。
そしてそのまま彼は帰ってしまった。
「なんでだろう…」
玲香は会話を反芻し、森が急に態度を変えた理由を探ってみる。
バーで詰め寄られた時のことを思い出した。あのときも、カレンが酒を控えていることに言及したことがきっかけだった。
― まさか…？
ふと気になって、玲香は錠剤が多数入っていたチェストを覗いた。
最初見たときは睡眠薬しか目に入らなかったが、それ以外にも複数の種類の薬がメディシンケースの中でむきだしで管理されている。
玲香はつばをごくりと飲み込んだ。
明奈が言った『遺書』という言葉のイメージから、カレンの死因は自殺だと思い込んでいたが、それ以外の理由でも、死を覚悟した人がしたためる文書のことは遺書というはずだ。
玲香は、自分が抱いていたカレンに対する悪意や軽率な好奇心が真実を見えなくさせ、物事を思いたい方に捻じ曲げていたことにやっと気づいたのだった。
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玲香はカレンの過去を探るため、ある場所へと向かう…
