「変わってやる！」

そう思った瞬間から、人生はアップデートされていく。

10年前の恋愛の傷から、着飾ることをやめノーメイクで生きてきた春野菜月（29）。

そんな彼女が、変わることを決意したら―？

◆これまでのあらすじ

経営者・大翔と2人でディナーに行った菜月。大翔のことを腹立たしく思っていたはずだったのに、ディナーは案外楽しかった。そのことに、自分で驚くのだった。

▶前回：「こんな金額、返せない…！」高級ブティックの値段を知らなかった地味女は、慌てて男に電話して…




朝8時。目を覚ました菜月は、ぼんやりと昨日のディナーを思い返していた。

見たこともないような贅沢なフランス料理。大翔との尽きない会話。

― なんだか、楽しかったなぁ…。

別れ際にたやすく家に誘ってきたことだけは、頂けないと思った。だから思わずタクシーを止めて強制送還したわけだ。

しかし、そこまで嫌な気持ちにはなっていないのが事実。…そんな自分にも、驚くばかりだ。

「ダメダメ」

はっとした菜月は、ガバッと起き上がる。

― 私、舞い上がってるんだわ。

ベランダの方に歩きながら、ゆっくり深呼吸をした。

― そもそも私は、経験がなさすぎるだけよ。別に大翔さんが、特別なわけじゃない。

実際、留学仲間の恭一を除けば、男性との関わりはここ数年まるでなかった。

芽生え始めた好意は、耐性がないことによる勘違いに違いない。そう自分に言い聞かせる。

「ふう…」

窓を開けて春めいた空気を吸うと、気持ちが冷静になっていった。

― やっぱり、初めて会った日の大翔さんの態度を忘れることはできない！

…しかし、次に大翔に会う日を、楽しみに思う気持ちは消えないのだった。

そして3日後。

仕事の打ち合わせで、再び大翔のオフィスに呼ばれた。


菜月は、気持ちを誤魔化せなくなってしまう…


明治通り沿いにあるおしゃれなオフィスは、今日も活気に満ちている。

「大翔さん。先日は、ごちそうさまでした」

「いえいえ」

会議室に案内され、向かい合って座った。

「なんかさ、俺、菜月ちゃんとこの前話して、すっごく感動したよ」

「感動？」

「好きなことを仕事にしている子って本当にいいなって」

大翔は、真剣な表情で伝えてきた。

「その年で通訳としてちゃんと活躍している子は、そうそういないもん。芯が強くて、かっこいい子なんだなってグッときた」

菜月は「いえ…」と言ってうつむいた。慣れていないから、褒められるのには弱い。

「なんか菜月ちゃんって、俺の周りにいる女子とは全然違うんだよなあ」

「…それ、いい意味ですか？」

「いい意味だよ」

大翔の笑顔に、頬が火照る。

それから大翔は、自分の事業の夢を語り、菜月のキャリアについても親身になってアドバイスをしてくれた。

― ああ…なんか私、大翔さんにもっと好かれたい…。

話をするうちに、自分の気持ちの輪郭がハッキリとしてくる。

しかし、仕事仲間として好かれたいのか、異性として好かれたいのか…その答えは、自分の中で曖昧なままにしておいた。




翌日、茜と恭一と3人で食事をする約束があり、三越前の北京料理レストランに向かった。3月恒例の恭一の誕生日祝いだ。

「お待たせー！」

仕事が長引いたため遅れて顔を出すと、菜月を見るなり茜が「あ！」と声をあげる。

「菜月がちゃんとオシャレしてる！今日、なんか大事な予定があったの？」

「いや、ただの仕事よ。なんかね…最近、綺麗でいるのが楽しくなってきちゃって」

茜と恭一が相手であれば、めかしこむ必要など全然ない。それなのに、大翔を意識してしまうようになってから、可愛くありたいと自発的に思うようになったのだった。

茜は嬉しそうな顔で、恭一をつついた。

「どうよ、恭一。菜月、めちゃくちゃ変わったと思わない？」

恭一は、ポカンとした顔でこちらを見ている。

「…うん、かなり変わったね」

恭一は、褒めるでもけなすでもない、フラットな調子で言った。恭一は、他人に対して「良い・悪い」の評価をしない人間なのだ。

「でもなんで？なんか、きっかけがあったの？」

大翔を見返したくて綺麗になったのだと、茜がすかさず説明する。

恭一は首をかしげた。

「ああ、あの日ひどいことを言った男？」

「そう。あの最低なヤツ！だから菜月は、見返してからバッサリ縁を切ったわけ。ね？」

当然のように言う茜に、菜月はつい固まってたじろぐ。

…大翔との縁は、切れたどころか深まっているのだ。

「いやあ…」

「え？」

「縁は、切れてない…」

茜は目を丸くした。

「なんで？連絡とってるの？」


茜に、大翔との関係をすべてを話すと…


厳しい表情をした菜月に、すべてを話した。

「…で、大翔さんの会社から定期的な仕事をもらったから、これからも週に1回くらい会うかな」

すると茜は、さすがの鋭さで質問してくる。

「菜月…もしかして、大翔さんのこと、気になってる？」

「……」

思わず黙り込むと、茜のため息が聞こえた。

「あんなこと言ってきたヤツだよ？忘れたの？」

「忘れてはないけど…」

「ダメよ！大翔さん、友達の間でも評判悪いんだから。偉そうだとか、口が悪いとか」

「でも、優しいよ？」

何度か言い合いをしたところで恭一が話題をチェンジし、その後は、いつものように思い出話に花を咲かせる夜になった。

そして帰り道、同じ方向である恭一と2人きりになる。

空いている電車に座ると、恭一が口を開いた。

「…好きなんだ？あの男のこと」

突然の質問に戸惑いながらも、頷くほかなかった。実際、気持ちがどんどん大きくなっている。

「そっか。菜月にあんなこと言った男なのに？」

「うん。わかってはいるんだけど…」

「へえ…」

恭一の乗り換え駅である永田町まで、無言で電車に揺られた。そして、もう降りるという時、席を立った恭一が振り返って言う。

「俺は、菜月を1回でも傷つけたヤツは、嫌いだな。…なんていうか…友達として許せない」

いつになく真剣な目を見て、菜月は驚いてしまった。

開いたドアに向かって「じゃ」と急いで去っていく彼に、慌てて言った。

「え？ありがとう…。あ、誕生日おめでとう！」

恭一は、力なく笑って「ありがとう」と手を振った。

ひとりになった車内でLINEを開くと、茜からは「大翔さんは、マジでやめときなよ」というメッセージが入っている。

親友2人から、ピシャリと止められたわけだ。やめるべきだよなと、菜月自身も頭のどこかで理解している。

― でもね、そこまで悪い人じゃないかもしれないじゃない…？

周囲に止められれば止められるほど、大翔をかばいたくなる。

そんな天の邪鬼的な自分の性格に驚きながらも、大翔を嫌いになることがどうしてもできないのだった。




結局大翔とは、毎週金曜に1時間ほど打ち合わせをすることになった。

オフィスを訪問すると、大翔はさりげない笑顔を添えて言う。

「なんか菜月ちゃん、どんどん綺麗になるね」

仕事は面白く、大翔といる時間も楽しい。

あっという間に感じる打ち合わせを終えた菜月は、オフィスを出たあと、隣のビルにあるカフェに寄った。

達成感とときめきの混じった、満たされた気分だ。うっとりとホットコーヒーに口をつけたそのとき――。

「あのぉ…」

若い女性が声をかけてきた。

小ぶりのハンドバックを隣のテーブルに置き、立ったまままっすぐにこちらを見ている。

大きな目に、白い肌が印象的な女性だった。

「どうしました…？」

首をかしげながら答えると、女性は一歩歩み寄って、うつむいた。

「あの…ウチの大翔くんと、どういった関係なんでしょうか？」

白い薄手のニットの肩が開いていて、つややかな肌がのぞいている。

― ウチの大翔くん…？

親しそうにそう呼んだ彼女の表情は、マスクのせいでうまく読み取れない。

質問の真意を測りかねた菜月は、黙ったまま、女性の次の言葉を待つのだった。

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