老後も自分らしく暮らすには。90歳・曽野綾子さんに学ぶ生きるヒント
家庭や仕事における役割に追われて、自分らしい毎日を送って来なかった……。ふと、そんな風に後悔することってありませんか? でも、人生はいつでもスタートライン。ここでは、「年を重ねても自分らしい人生を歩みたい」「自分のために思い切って何かを始めたい」そんな気持ちをあと押ししてくれる曽野綾子さんの言葉をご紹介します。
御年90歳の曾野先生
作家で、『誰のために愛するか』など名エッセイストとしても知られる曽野綾子さんの言葉は、どれも芯があって、力強く私たちを支えてくれます。きっと、あなたの背中を押してくれる言葉が見つかりますよ。
※曽野綾子さんの言葉を集めた新書『自分の価値
』(扶桑社)から抜粋しています。
先日も、老後の暮らしについて話が出た。一人の高齢者は、若い時から自分の自由になるお金を好きな贅沢に使ってきた。社交ダンスだったか日本舞踊だったか、とにかく自分も出演できる場に派手にお金を使った。そして老後の今、生活保護に頼っている。身内や周囲の友人に、小遣いをたかるのも非難の的だ。
しかし毎日、自分の居間のソファに座り、何の変化もなく暮らしていることが安泰な老後といえるかどうか、ということになると、同年配の高齢者の見方はさまざまに分かれたのである。
私はどちらかというと、月日は巻き戻せない。だからその時々、濃密な生き方をした方が勝ちだ、という無頼派に近い考え方をしている、という自分に気がついた。
つまり一生の最後に近くなって考えてみると、「ゴメンナサイ」と言って、自分の好きなことをして逃げてしまう方が得をしたように思えるのである。
(後略)(『死生論』より)
(前略)
植物は誰にも迎合しない。他者の都合では生きない。権威にも屈しない。芽を吹くときも葉を落とすときも、自然というか本性というか、あるべき姿に従って、それを運命と思う。堂々たる生の営みであり、命の終わり方である。
知人から贈られてきた渋柿に、まだ渋が残っていたりすると、私はすぐ焼酎で渋を抜く。都会育ちの私はそんな方法も中年まで知らなかったのだが、今ではたくさんの単純な生きる知恵を覚えた。(『人は怖くて嘘をつく』より)
私は時々、日本の女性たちが、男女同権にならないのは当然だと思うことがある。多くの女性が、私が少し辺鄙な土地へ行く旅に誘うとすぐ、「そんなとこ、怖いわ」と言うのである。もっとも男にもほとんど勇気のない人はざらにいて、暑いから(寒いから)、汚いから、病気が蔓延しているから、政治情勢が危ないから、遠いから、酒が飲めないから、食べ物が口に合わないから、医療設備が悪いから、などあらゆる理由で、安全な日本にだけいたがる人が多い。
私の実感によると、人生の面白さは、そのために払った犠牲や危険と、かなり正確に比例している。冒険しないで面白い人生はない、と言ってもいい。(『人生の収穫』より)
四十代から五十代は、人間は急がねばならない。その間になすべきことをしておかないと、もう肉体がついていけなくなる。四十になって、なにか打ちこむものを持たぬ人は、人生を半分失敗しかかっている。しかしまだすぐ思いたって始めれば、時間は充分にある。ゆっくりした老年に入る前には、充実したきびきびした壮年時代が必要である。(『完本 戒老録』より)
(前略)
もし予測した通りの答えが私の未来に待ち受けているとするなら、私はその結果を狙って「善行」をしたり「努力」をしたりするかもしれない。それは私が一生涯の保険にお金を出すようなものだ。計算ずくの行動というものは、商行為と同じで、褒めるに値するものでない。
人間が、計算でも動き、全く計算以外の情熱ででも動くということは、すばらしいことだ。だから人間の可能性は、誰にも読みきれない。そこが私たちが生涯を生き尽くすことの意義なのだろう。(『自分流のすすめ』より)
大きな決断をする際には、どうしても不安が頭をよぎるもの。何かと理由を付けて結局は現状のまま…とならないように、自分の道しるべとなる言葉を見つけるのも行動への第一歩です。ひとつの言葉が人生を変える、そうした例はたくさんあります。曽野綾子さんの言葉をチャレンジのきっかけにしてみてはいかがでしょう?
1931年9月、東京生まれ。聖心女子大学卒。幼少時より、カトリック教育を受ける。1953年、作家三浦朱門氏と結婚。小説『燃えさかる薪
』『無名碑
』『神の汚れた手
』『極北の光
』『哀歌
』『二月三十日
』、エッセイ『自分の始末
』『自分の財産
』『揺れる大地に立って
』『親の計らい
』『人生の醍醐味
』『人生の疲れについて
』(扶桑社刊)『老いの才覚
』『人間の基本
』『人間にとって成熟とは何か
』『人間の愚かさについて
』『夫の後始末
』など著書多数。
御年90歳の曾野先生
いくつになっても力強く背中を押してくれる。曽野綾子さんの5つの言葉
※曽野綾子さんの言葉を集めた新書『自分の価値
』(扶桑社)から抜粋しています。
●何の変化もなく暮らす─安泰な老後といえるのか
先日も、老後の暮らしについて話が出た。一人の高齢者は、若い時から自分の自由になるお金を好きな贅沢に使ってきた。社交ダンスだったか日本舞踊だったか、とにかく自分も出演できる場に派手にお金を使った。そして老後の今、生活保護に頼っている。身内や周囲の友人に、小遣いをたかるのも非難の的だ。
しかし毎日、自分の居間のソファに座り、何の変化もなく暮らしていることが安泰な老後といえるかどうか、ということになると、同年配の高齢者の見方はさまざまに分かれたのである。
私はどちらかというと、月日は巻き戻せない。だからその時々、濃密な生き方をした方が勝ちだ、という無頼派に近い考え方をしている、という自分に気がついた。
つまり一生の最後に近くなって考えてみると、「ゴメンナサイ」と言って、自分の好きなことをして逃げてしまう方が得をしたように思えるのである。
(後略)(『死生論』より)
●誰にも迎合しない、他者の都合で生きない植物
(前略)
植物は誰にも迎合しない。他者の都合では生きない。権威にも屈しない。芽を吹くときも葉を落とすときも、自然というか本性というか、あるべき姿に従って、それを運命と思う。堂々たる生の営みであり、命の終わり方である。
知人から贈られてきた渋柿に、まだ渋が残っていたりすると、私はすぐ焼酎で渋を抜く。都会育ちの私はそんな方法も中年まで知らなかったのだが、今ではたくさんの単純な生きる知恵を覚えた。(『人は怖くて嘘をつく』より)
●払った犠牲や危険があるから人生は面白い
私は時々、日本の女性たちが、男女同権にならないのは当然だと思うことがある。多くの女性が、私が少し辺鄙な土地へ行く旅に誘うとすぐ、「そんなとこ、怖いわ」と言うのである。もっとも男にもほとんど勇気のない人はざらにいて、暑いから(寒いから)、汚いから、病気が蔓延しているから、政治情勢が危ないから、遠いから、酒が飲めないから、食べ物が口に合わないから、医療設備が悪いから、などあらゆる理由で、安全な日本にだけいたがる人が多い。
私の実感によると、人生の面白さは、そのために払った犠牲や危険と、かなり正確に比例している。冒険しないで面白い人生はない、と言ってもいい。(『人生の収穫』より)
●思いたって始めるに遅いことはない
四十代から五十代は、人間は急がねばならない。その間になすべきことをしておかないと、もう肉体がついていけなくなる。四十になって、なにか打ちこむものを持たぬ人は、人生を半分失敗しかかっている。しかしまだすぐ思いたって始めれば、時間は充分にある。ゆっくりした老年に入る前には、充実したきびきびした壮年時代が必要である。(『完本 戒老録』より)
●生涯を生き尽くすことの意義とは
(前略)
もし予測した通りの答えが私の未来に待ち受けているとするなら、私はその結果を狙って「善行」をしたり「努力」をしたりするかもしれない。それは私が一生涯の保険にお金を出すようなものだ。計算ずくの行動というものは、商行為と同じで、褒めるに値するものでない。
人間が、計算でも動き、全く計算以外の情熱ででも動くということは、すばらしいことだ。だから人間の可能性は、誰にも読みきれない。そこが私たちが生涯を生き尽くすことの意義なのだろう。(『自分流のすすめ』より)
●道しるべとなる言葉を見つけるのも行動への第一歩
大きな決断をする際には、どうしても不安が頭をよぎるもの。何かと理由を付けて結局は現状のまま…とならないように、自分の道しるべとなる言葉を見つけるのも行動への第一歩です。ひとつの言葉が人生を変える、そうした例はたくさんあります。曽野綾子さんの言葉をチャレンジのきっかけにしてみてはいかがでしょう?
【曽野綾子(その あやこ)さん】
1931年9月、東京生まれ。聖心女子大学卒。幼少時より、カトリック教育を受ける。1953年、作家三浦朱門氏と結婚。小説『燃えさかる薪
』『無名碑
』『神の汚れた手
』『極北の光
』『哀歌
』『二月三十日
』、エッセイ『自分の始末
』『自分の財産
』『揺れる大地に立って
』『親の計らい
』『人生の醍醐味
』『人生の疲れについて
』(扶桑社刊)『老いの才覚
』『人間の基本
』『人間にとって成熟とは何か
』『人間の愚かさについて
』『夫の後始末
』など著書多数。