静岡学園高時代は10番を背負い、不動のエースとして君臨。写真:安藤隆人

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 川崎フロンターレで左サイドバックを経験し、DFとして東京五輪の最終メンバーに入った。旗手怜央は今回招集されたメンバーの中でも特殊なケースになるかもしれない。

 彼の出身は技巧派集団で知られる静岡の名門・静岡学園。高校時代、ストライカーとして君臨した彼のドリブルは、瞬間的なスピードと繊細なボールタッチを刻む一方で、低い重心と強靭な足腰を活かして、時には重戦車のような馬力溢れる野性的なドリブルも披露するのが特徴的だった。

 彼の父親は元高校球児。大阪の名門・PL学園が全盛期の頃で、清原和博と桑田真澄の『KKコンビ』の1学年上であり、ショートとして甲子園にも出場し、春夏共に準優勝を経験している。

 少し野球の話になるが、ショートというポジションは非常に技術が求められるポジションだ。旗手の父は上背こそ息子の怜央より低かったが、ベースとなる身体能力の高さに加え、努力で身に付けたボールの軌道を読む目としなやかな身のこなし、繊細なバッティング技術で名門の豪華ラインナップの中に名を連ねた。競技は違えども、彼のフィジカルコントロール能力の高さはまさに父親譲りと言えよう。

「父はいつも自分のやりたいこと、自分の決断を尊重してくれる。私生活の面やメンタル面でもすごく参考になるアドバイスをもらえますし、僕の身体能力は父から譲り受けたものだと思うので、本当に感謝しています」と語ったように、彼は尊敬する父の教えを大切にして、大好きなサッカーに打ち込んだ。
 
 順天堂大に進んでもFW、トップ下と前線のアタッカーとして、ドリブルやスペースへのランニングなど縦への推進力を磨き続けた。大学では前線からの守備のやり方、1.5列目で自由に動き回り攻撃全般に関わる働きを学んだ。

 そして川崎フロンターレに進むと、アタッカーとしての力も発揮したが、昨季の終盤に右サイドバックでプレーする機会を得た。そこで旗手は後ろから全体を見渡しながらボールを受けてドリブルを仕掛けるアプローチでも、十分に自分の力を発揮できるのではないかと、自分の新たな可能性を見出した。

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 そして今季は左サイドバックの一番手である登里享平の離脱などもあり、左サイドバックにコンバート。両足で正確かつ強度の高いキックを蹴れる特性を生かして、右と変わらぬハイパフォーマンスを見せると、U-24日本代表でも左サイドバックとして起用されるようになった。

 日本サッカー界全体を見ても、人材がなかなかいない左サイドバックのポジションをこなしながら、いざとなれば右も出来るし、かつ本職であるFWとトップ下に加え、ウイングと中盤全てをこなせるアタッカーとしての顔を持つ。

 18人という普段の国際大会より少ないメンバーで戦わないといけない五輪代表において、彼は一気に希少価値の高い存在となり、当落線上の存在から必要不可欠な人材となった。彼のメンバー入りに異を唱える人は少ないのではないかと、筆者は思っている。

「父から『良いプレーが出来なかったとしても、落ち込みすぎると、次のプレー、試合に影響するから切り替えることも大事だぞ』と常に言われてきました。それは自分でも大切にしている言葉で、悪い時に必要な課題の把握をしながらも、いかに引きずらないで次に繋げていけるか。この意識は本当にベースになっています」
 
 彼のプロに入ってからの成長ぶりを見ても、この気持ちは一切変わっていないだろう。むしろプロに入ってからの方が、ポジションが目まぐるしく変わる自分にネガティブな気持ちが生まれることもあったかもしれない。だが、それを切り替えて、時には受け入れて前に進んだことで、今回のメンバー入りを射止めた。

 偉大な父の言葉は自分の人生を照らす道標となる。それを改めて実感したであろう旗手の目には、自身が進むべき道がさらにクリアに見えているはずだ。

取材・文●安藤隆人(サッカージャーナリスト)