重要度が高まるスポーツのデータ活用(写真:時事)

この3月、ユニークなスポーツ関連書が発刊された。『アナリティックマインド』。著者の森本美行氏は、スポーツのデータ配信などを手がけるデータスタジアム元社長で、現在はスポーツビジネスコンサルティングを行うfangateの代表取締役を務める。サッカーのデータアナリスト、指導者としても長年活躍してきた森本氏に話を聞いた。

日本野球の分析システム誕生の経緯

データスタジアムと言えば、NHKBSの人気番組「球辞苑」にデータを提供していることで知られる。その設立直後から、森本氏は参画している。


森本美行氏(写真:筆者撮影)

「2000年から欧米のネットコンテンツをアジアや日本でローカライズして展開する企業の日本法人の社長を務めていました。アメリカの主要メディアネットワークのひとつであるCBSが運営するCBS SportsLineのコンテンツの中に、初めて見たものがありました。

後述しますが、それが競技の詳細なデータを使って遊ぶ“ファンタシー・スポーツ”でした。データの豊富さと奥深さに感動して、日本でも同様のサービスを展開したい、と伝えたところCBS SportsLineの社長から『日本にアソボウズという会社がある』と逆に紹介されました。

アソボウズは、野球のデータ収集、分析をするシステムを開発し、販売する会社でした。元はゴルフのスイングのいいときと悪いときのフォームを比較するシステムを作っていましたが、これを西武ライオンズの打撃コーチが見て『野球でも使えるだろう』と言い、そこで野球向けに転用したのがプロ野球との関係ができたきっかけでした。

さらに球団スタッフが相手投手の特徴を調べるのに、いちいち昔のスコアブックを探すのが大変なので、自由に検索可能な電子スコアブックのようなものが作れないかという要望を受けました。これが今、野球界で普通に使われている分析システムの誕生の瞬間です。

このシステムが完成しアソボウズが野球界では知る人ぞ知る存在になったころ、住友商事、NTTデータ、日刊スポーツなどがアソボウズから営業権を取得してデータスタジアムが設立されました。そして間もなく僕が社長に就任しました」

森本氏が社長の時代にデータスタジアムはビジネスモデルを大きく変えた。

「NPB球団にデータ分析のシステムを売ったのは、データスタジアムが初めてでした。でも、当時システムは売り切りだったので以後は儲からない。そこでデータだけでなく映像も組み合わせて、気になるデータのシーンをすぐに見ることができるシステムにバージョンアップしました。

その際に売り切りではなく月々いくらのASPモデル(ソフトウェアをネット経由で提供する形態)に変えました。でもプロ野球は12球団しかないから、それ以上は広がらない。野球のデータは1球ごとに取得してアーカイブされていく。その特性を利用して1球ごとに配信するコンテンツを開発しました。それがYahoo!Japanで多くのユーザーを集めた『プロ野球1球速報』です。

さらに2002年には、NHKがデジタル放送を普及させるためのプロモーションとして、実際の試合映像を見ながら『dボタン』でデータを見せるサービスを行うことになり開発しました。サービスをテストする最初の試合で、投手があまり見たことがない変化球を投げた。テレビで解説者は『スライダーですね』と言ったのですが、データスタジアムのデータ分析スタッフは『カットボール』と入力しました。

解説者と入力データが異なってしまい現場がざわついたのを覚えていますが、試合後の選手インタビューで『カットボールを今日初めて投げました』というコメントがありました。これで信用を得てそれ以降、多くのメディアでプロ野球中継の1球速報が使われるようになりました。当時はまだiモードでしたが携帯電話でも『プロ野球1球速報』は人気コンテンツになりました」

野球データ分析で日本がアメリカに抜かれた理由

この時期まで、野球データ分析の分野では、日本はアメリカをリードしていた。しかし以後、スポーツデータの分野はアメリカで飛躍的に成長する。1990年代に統計学の手法で野球を分析するセイバーメトリクスが本格的に普及し始めたのだ。同時に多くの軍事技術が民間転用され、球速、球の回転、打球の軌跡が可視化されていった。

「先にふれた“ファンタシー・スポーツ”が、インターネットの普及によってさらに流行したことが大きいですね。そして2011年にセイバーメトリクスでチームを強くしたオークランド・アスレチックスのビリー・ビーンGMを描いた映画『マネー・ボール』がヒットしたことで、一般の人がセイバーメトリクスに注目するようになったのも大きかった」

「ファンタシー・スポーツ」は、参加者1人ひとりがチームオーナーになって、実在する選手を獲得して自分のチームを作り、その選手たちの実際の成績に基づいて勝敗を争う。参加者は、リアルなスポーツの結果に一喜一憂することになる。1980年代にMLBからスタートしたが、インターネットの普及とともに大人気となり、他のスポーツにも波及した。MLBの公式サイトには、「Fantasy」というコーナーが設けられ、最新のデータが提供されている。

またアメリカには「FanGraphs」や「Baseball-Reference」などファンタシー・スポーツファン向けに巨大なスポーツデータサイトがいくつも開設されている。日本では何度もファンタシー・スポーツが紹介されたが、根付くことはなかった。この時期から、日本のスポーツ界はデータの分野では足踏みを続けていると言ってもいい。

こうして野球界でデータスタジアムの存在感は増したが、森本氏はもともとサッカー畑出身であり、データ分析のビジネスをサッカー界にも紹介した。

サッカーにもデータ分析を展開

「競技の横展開をしないと、データスタジアムは『野球会社』になってしまう。サッカー、ラグビーとひろげていったんです。でも、野球はプレーに区切りがあるので、ほぼリアルタイムでデータが表示できますが、連続する動きのサッカーなどでは流れを全部追いかけることはできない。

1つの動きのたびにビデオを止めて記録しなければなりません。それだけで7〜8時間かかり、さらにデータの確認作業も必要なので1試合のデータ入力に10時間以上かかりました。だからリアルタイムではサービスを提供できませんでした。

そのため野球とは異なるタイプのデータ分析ソフトにしました。当時横浜FCでシニアマネージャーを務めていた故田部和良氏に頼んでチームに通いながら信藤健仁監督、リトバルスキー監督らの助言をもとにシステムを開発しました。

その後、横浜Fマリノスの監督になった岡田武史さんにプレゼンさせていただきました。『俺もいろんなもの見てるからそう簡単には驚かないよ』と岡田さんは言いましたが、データが映像と紐づけされているのを見て『何か新しい発見があるかもしれないから1カ月使わせろ』と使っていただくことになりました。

1カ月後、岡田さんは『他のチームにも売るのか?』と冗談交じりに尋ねたあと『使うよ』と言いました。これを聞いたときは本当にうれしかった。そして、その年マリノスは優勝しました。

ただ、データ活用の本質を見抜いた岡田さんはすばらしかったけど、ほとんどはそこまでいかない。システムができたばかりのころ他のチームに売りに行くと分析の担当者が『すごいですね。でもこのシステムがあると、自分の仕事がなくなってしまいますよね』と反応されてしまった」

当時Jリーグの多くの分析担当者の仕事は、分析ではなく試合映像の編集が主だった。それがこのシステムによって大幅に作業時間と負荷が減るので、自分の仕事がなくなってしまうことを恐れたのだ。

映像編集作業を効率化すれば、その分、本来の分析作業に時間をかけられるはずだが、そういう発想はなかったのだ。やがて技術の進化によって、サッカーのような競技でもデータを活用できる時代が到来する。

「2004年ごろにトラッキングシステムが導入されて一変した。僕が最初に選手の動きを可視化できるシステムを見たのは、イスラエルの企業のミサイル追尾システムを改良したものでした。今、Jリーグが使っているのは導入当時、スウェーデンのSAAB社の子会社だったTracabという会社が開発したシステムです。


プロ野球練習施設に設置されたトラックマン(トラッキングシステム)(写真:筆者撮影)

SAABは日本では車の会社だと思われていますが、海外では輸送トラックや飛行機を製造する会社で、飛行機のレーダーシステムをもとに作られたシステムです。トラッキングシステムの登場でスポーツにおける分析の状況は大きく変わりました。

これまで、試合で起きた事象をいわば手作業でデータ化していたものが、人の目では追えないものまで瞬時にデータ化することが可能な時代になったのです。そして、そこで得られるデータを解釈するためにサッカーの知識だけではなく、統計をはじめとするもっと本格的な『スポーツ分析の考え方』が必要になったんですね」

スポーツのデータ分析の普及を阻む壁

森本氏は、ここ10年の間に、日本のスポーツはデータ分析の分野で、欧米との決定的な差がついたと感じている。

「スポーツのデータを普及させる過程でいくつかの壁があったことは事実です。1つは権利の問題。データスタジアムがYahoo!で『プロ野球1球速報』を開始した当初、データの権利についての問い合せがありました。

改めて調査するとアメリカで、テレビなど誰でもアクセス可能な公衆のメディアから情報をとってデータ化した場合、データ化した人の権利だという判例が見つかりました。スポーツデータの活用は自由にできることになりましたが、日本ではまだ広がっていない。

もう1つは、多額なコストです。データ作成のためのシステム開発費および政策コストを回収するために、ある程度の金額で販売する必要がありました。しかし、イングランドのプレミアリーグは2014年にそれまでプロしか買えなかったデータを一般公開しました。

アメリカでもMLBは公式サイトで、データ解析ツール『スタットキャスト』のデータをすべて公開しています。アメリカはファンタシー・ゲームもあるので、データを活用する人が圧倒的に増えて、さまざまな人がデータを使って独自に解釈を広げ、その結果、さまざまな分析が行われ、魅力的なコンテンツ開発など、いろいろな可能性が広がっていったんです」

森本氏は、データに関する日米の格差が、ビジネスだけでなくスポーツ教育、指導の格差にもつながっていると話す。

「欧州では上位の指導者ライセンスを取得するためには、レポートや論文を書く必要があります。例えばサッカーで3・5・2のシステムが機能的だという趣旨で書くとすれば、そのシステムがなぜ機能的なのかを論理的に示す必要があります。そのためには当然公開されたデータや独自に取得したデータ、その他多くの文献をもとに論考しないとできない。

欧米では選手に考えさせる前に指導者自身が考えるという習慣が出来上がっている。選手も“なぜ?”と日常的に指導者に尋ねるし、指導者もその答えを用意できている。

日本ではいまだに、指導者に『教えられる指導、教育』になっていて、ほとんどの人が指導者の考えを鵜呑みにしています。選手がわからないことがあるとき“なぜなのか?”確認するプロセスが抜けてしまっている。その差は大きいですね。

サッカークラブにデータ分析のシステムの販売に行った当時、多くの顔なじみの指導者から『森本どうしたんだよ、サッカーはこれ(胸叩いて)、ハート、ハートだよ』と言われたものです。残念ながら頭を指さす人はほとんどいませんでした」

日本と欧米の「差」とは、データ分析を活用する際の姿勢、考え方の差だと言える。森本氏が言う「アナリティックマインド」とはこのことだ。

データをいかに現場に落とし込むか

森本氏は、著作で、欧米のデータ開発者やアナリスト、現場の責任者、研究者にインタビューをしている。彼らが重視しているのは「新たなテクノロジーの開発」よりも、むしろ「データをいかに現場に落とし込むか」ということだ。どんなに優れたデータでも、指揮官や選手がそれを理解して活用することができなければ、価値はない。

「データに対する拒否反応は確かにあると思います。日本のスポーツは非認知能力(忍耐力・自己抑制・目標への情熱、社交性など人間が生きていくうえで必要とされる能力)をすごく評価しています。確かに非認知能力は重要です。

スポーツをするうえで“がんばること”は大事ですが、それだけじゃなくて、認知能力、そして自分で考えることがなければいけない。日本のスポーツ界は教えること、学ぶことを重視しすぎて“考えること”に関してはかなり軽視してきたと思います」

森本氏は、全日本野球協会の山中正竹理事長が主催する野球指導者講習会(BASEBALL COACHING CLINIC=BCC)で、スポーツマンシップの講義を行った。森本氏は日本スポーツマンシップ協会の理事でもあるのだ。スポーツマンシップとデータはどんな関係にあるのか。

「スポーツでいちばん楽しいのは勝つことです。勝つためには、やみくもに頑張るだけではなく考えるべきことが多くあります。あきらめない気持ち、意志、勇気、仲間をリスペクトすること、そうしたことを考えずに何が何でも勝てばいいというのはスポーツではありません。

スポーツは不正をして勝っても、不公平な条件の下で買っても面白くないことはスポーツをしたことがある人ならみんなわかるはずです。ルールという公平な条件の下で勝つために、他の人やチーム以上の努力や工夫をするものです。

私がインタビューした欧米のデータ開発者、研究者なども異口同音に語っていますが、スポーツのデータ化の促進と普及が積極的に行われている前提には、公平さ、公正さが不可欠です。スポーツマンシップは、スポーツデータ活用の大前提でもあるのです」

日本のスポーツ界に必要なもの

新型コロナ禍を経て、日本のスポーツ界は大きく変貌すると思われる。

Doスポーツは学校の施設や公園、民間のスポーツクラブなどで行われることがほとんどで、主に自分の判断を基に行われる。


「プロ野球は入場者数の上限を決めてチケットを販売していますが、すぐに売り切れるかと思ったらそうでもない。これまで球場に野球以外の楽しみを求めて来場していたようなファンは、コロナ禍による緊急事態宣言を機に行動変容が起き、入場者数は中期的に減少すると思います。

そうしたファン層の変化に対応するためにも、スポーツ界にとってデジタル化のさらなる推進は必須になるでしょう」

NPBでも12球団本拠地にはトラッキングシステムが完備され、最近は新しい機器への換装も進んでいる。さらに甲子園球児でさえも投球の「回転数」「回転軸」に言及するようになった。

しかし、日本野球界、スポーツ界の「本格的なデータ活用」は、世界と比較して大きく後れを取っているという印象だ。スポーツに必要なものとして相変わらずの「精神論」が幅を利かせ、これがスポーツの進化の妨げになっている。

ポストコロナの日本スポーツ界にとって必要なのは、まさしく森本氏の言う「アナリティックマインド」ではないかと思う。