「偉い人」はなぜ怒鳴るのか。逆ギレした森喜朗元会長と、28年前の川淵三郎氏
威張りたくもないし、威張られたくもない。おべっかを使いたくないし、使われたくもない。誰とでも常に対等な関係でいたい。敢えてそうした環境に身を置いているわけだ。
相手がたとえお偉いさんであっても、わけもなく叱られたりすると、許せない気持ちになる。なんでこの人に叱られなければいけないのか。かつての川淵さんや、最近の森元会長の振る舞いを見ていると不思議な気持ちになる。
そこで次期監督候補の名前「オシム」をポロッと漏らしてしまったのだ。その時、まだ交渉中だったにもかかわらず。
川淵さんはその時、協会の会長で、自らを「キャプテン」と称していた。周囲から愛されたかったのだろう。しかし一方でその時、サッカーファンの川淵さんへの反発は、必至の情勢だった。キャプテンは劣勢に追い込まれていた。
筆者はその時、ドイツで決勝トーナメント以降を取材していたので、その場には立ち会っていないが、記者会見後のニュースを見て、現地で唖然とした記憶がある。新監督オシムで話題が沸騰していたからだ。グループリーグ最下位という不成績を追及する、厳しい言葉はなし。メディアは、反省や検証をすっかり忘れ、差し出された新たな餌に簡単に釣られてしまった。
某スポーツ雑誌などは、情けないことに、W杯期間中であるにもかかわらず、オシムを表紙に飾る号を出してしまったほどだ。
現場にいなかったので絶対的な確信はないが、「オシム」は、うっかりミスではなく、川淵さんが世間の批判をかわすための作戦として、練られたものだった、と。
反省、検証は、進歩、発展のためには不可欠なもの。しかし、トップに立つ人にとってそれは追及を受ける行為になる。できればそこにあまり時間を割かずに、さっさと次に進みたい。その道具に「オシム」を使ったという印象だ。
「辞めれば、いいってもんじゃない!」と開き直りたくなる気持ちは分からないではないが、そこで取材者が、はいそうですかと従順になれば、この世の中は健全な方向に進まない。一介のフリーランスとして、さらに言わせてもらうなら、世の中は面白くならないのである。
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スポーツライター杉山茂樹氏の本音コラム。