ナイキの動画に賛否両論が集まった理由とは(写真:REUTERS/Valentyn Ogirenko)

11月30日、ナイキジャパンは心揺さぶる2分間のCMをリリースした。タイトルは「動かしつづける。自分を。未来を。The Future Isn't Waiting, #YouCantStopUs」。この動画では、3人のティーネイジャーたちが学校でいじめの対象になっている架空のストーリーを通して、日本の若者の試みと苦難を描いている。

この動画はSNSなどで瞬く間にシェアをされたので見たという人も少なくないだろう。数多くの人が「素晴らしい」と賞賛する一方で、「日本には存在しない人種差別を作り上げている」と批判する人もまた多くいて、中にはナイキの不買運動を訴える人さえいた。

ナイキは間違いを犯したのか? 私はまったくそう思わない。それどころか、ナイキは日本に素晴らしい問いを投げかけた、と思っている。その理由を伝える前に、見ていない人のために動画の内容を紹介しよう。

日常的に起こる人間性を剥奪する行為

登場する1人の少女は父親が黒人、母親が日本人の、異なる人種の血を引いており、周囲に溶け込むために苦しみ、「私って普通?」と悩む。一方、クラスメートたちは、そんな少女に廊下で意地の悪い視線を投げ、トイレで彼女を取り囲んで好き勝手に髪の毛に触るのだ。

こうした相手の人間性を剥奪する行為が、日本では、実は日常的に起こっている。異なる人種の両親の元に生まれた子や、アフリカ系子孫で非日系の子たちは、自分たちの苦しみを訴えてきた。私もその1人だ。

CMでは、この少女が大坂なおみの動画を見ているところも登場する。大坂はハイチ人と日本人の両親を持つテニスの全米オープン覇者で、これまでアイデンティティと日本のいじめ問題について率直に話してきた。動画で大坂は、自分にしばしば向けられる次のコメントに応えている。「で、あなたはアメリカ人?日本人?」。

別の場面では、在日韓国・朝鮮系と思われる女子学生が「在日問題」について討論するネットの記事を読んでいる。日本では、韓国人系は厳しい差別の対象にされている人種グループの1つだ。実際、私が16年間日本で暮らした中で聞いたヘイトスピーチのほとんどは韓国人や関連コミュニティに向けられたものだった。このCMでは、この女子学生は通りで身の危険を感じるほどジロジロ見られ、もう少し目立たないようにすべきか、そうすれば人に好かれるかもと考える。

3人目の少女は周りと同じようにちゃんとしなければという思いに悩む典型的な日本人らしいが、そうした思いは少女が周りに溶け込むのも、学校の成績に対する両親の期待に応えるのも難しくしているため、「私って期待外れなのかな?」と自問する。また、母親と口論して他の子と比べないでほしいと懇願する場面も登場する。

この3人の少女はみんなサッカー選手で、ナイキの伝えたいメッセージはスポーツがあらゆるバックグラウンドの人々を1つにするということ、そしてスポーツの力を通して、人はあらゆる障害を克服できるということだ。なぜなら、CMの最後には、3人の少女がみんな「我慢なんてしなくていい」と結論づけるからだ。

彼女たちは、いつか遠い未来に我慢しなくていい時がやってくるのを待つ必要なんてない――自信を持って、戦うことによって、自分のやりたいことを全力でやることで、自分の人種やありのままの自分を、誇りをもって愛することで、今すぐ変えていけるのだと。少女たちを止めることはできない。

批判が起こったのは驚くことではない

特に、日本で多文化のバックグラウンドを持つ日本人の子供たちを育てている非日本人の両親たちから賛同の声が寄せられた一方、多くの日本人や海外の白人たちからは怒りや批判の声が集まったことは、驚くことではなかった。

こうした批判や中傷を行う人の中には、他者の話を徹底的に無視したり、日本での生活の現実を無視しながら、ナイキがありもしない問題をでっち上げているとさえ言って批判し、ナイキ製品のボイコットを呼びかけた人々もいた。日本人は同一の人種から成るとされており、ほんの少数のマイノリティのみに影響するだけの小さな問題であるはずなのに、ナイキのような企業が言及することで問題を誇張しているのだと言うのだ。

一部の人がネット上で、ナイキの広告は「日本の誤った印象を作り上げている」としてナイキ製品のボイコットを呼びかけている事実は、非常に多くのことを物語っている。

八村塁、宮本エリアナ、大坂なおみ、吉川プリアンカ、副島淳、また最近では杤木愛シャ暖望などを始めとして、2つの人種の血を引く日本人のほとんどが、いじめについて話してきた。

彼らの中には、何としてでも成功してやるという衝動に動かされて現在の立ち位置を手にしており、成功すればいじめ問題について発言することができる、そして今苦しんでいる人を助けられるかもしれないと話す人たちもいる。彼らはみんな、国内、あるいは国際的な舞台でこれらのことをやってみせたのだ。

なぜ、批判する人々は、ナイキが提示するまでこうした問題に気がつかないままでいたのか。本当に謎としか言いようがない。このことは、日本による「すべての日本人は親切で礼儀正しい」という強烈なプロパガンダによるところが大きいだろう。少なくない日本人(そして外国人も)は、日本のような素晴らしいおもてなしの国に人種差別など存在するわけがないと信じて疑わず、そこに議論の余地はないのである。

非伝統的な日本人の生活や考えは、耳を傾けられず、無視されるか、あるいは無関係だとかウソだとか言われて軽視されてしまう。世界的な視点からみても、このことかからもさまざまなことが見えてくる。

残念なことだが、日本に対して批判的なことなら何であれ、こうしたタイプの反応は普通のことだ。ことわざにも言われているように、「No good deed goes unpunished(いいことをすると必ず罰を受ける)」ということなのだ。つまり、ここで言ういいことはナイキのCMのことで、センセーショナルで挑発的なために、取りくんでいる問題について批判を呼び起こしてしまった。

ナイキにも問題点はあるが

1988年以来、ナイキは「Just do it」という広告キャンペーンを掲げており、同社は感情を喚起して感銘を与えるCM作りで知られており、こうしたCMは簡単に忘れたり無視したりできないものだ。今回も例外ではない。CMは痛みのような印象を残し、その感覚はしばらく続くだろう。

ただし、ここで明確にしておかなければならないのは、広告のメッセージは立派なものだが、こうしたメッセージを発しているナイキ自体がこれまでいくつもの問題とされる行為にかかわってきている。例えば、アメリカでは、企業が新疆のウイグル人やその他のムスリム系マイノリティの強制労働に依存することを禁止する法律が提案されているが、ニューヨーク・タイムズ紙は先ごろ、ナイキがこの法律発効時の効果を弱めることを求めていると報じた。

つまり、ナイキの人権問題に関する記録はまったく無傷、というわけではない。人権問題の認知度を高める広告の出している一方、同じ土俵でナイキは偽善行為の批判を集めているのだ。

しかし、ナイキはその批判にもかかわらず、これまで多くの社会的善行、あるいは少なくとも社会的善行に見える行為に従事してきた。少なくともアメリカで法律によって定められている企業の社会的責任(CSR)の基準を超えるほどに。いくつかの企業は、生態学的および社会的見地からその企業と環境を維持しているコミュニティに対する責任感を示すことでよく知られているが、これをコーポレートシチズンシップと呼ぶ人もいる。

このCMで起こって欲しいと私が願っている議論がある。覆い隠された問題を明らかにした海外企業を攻撃するのではなく、世界中の顧客(数百万人の非日本人、異なる人種の両親をもつ人々、多文化背景をもつ日本人で、日本を故郷と呼ぶ人たちなど)から愛され、利益をえているような日本企業が、こういう問題提起においてどのような役割を果たすか話し合うことである。

議論に参加した場合、ナイキと同じように「口出しすべきではない」「自分たちの専門に集中すべき」と言う人もいるだろう。そして、こうした社会的問題は「専門家に任せろ」と言うのである。

ナイキのような企業は「孤立」しない

しかし、考えてみて欲しい。前回私がYouTubeでこのCMを見たときは、すでに3万以上のディスライクと、何千もの否定的なコメントが集まっていた。つまり、ナイキは痛いところを突いたのだ。ナイキは成功したのだ。

このことは、さらにCMと企業アクティビズムが必要なことを示している。多くの人がいじめや人種差別の事例をもっと目にするようになるほど、もっと力のある人々や、政府でさえも問題を認識してその解決に乗り出すのではないか。

個人的には、企業の社会的責任を実行する企業は、より幅広い社会問題に関心を持っており、ただ利益への影響に興味があるだけではないと信じている。もっと多くの日本企業がこのトレンドに続くのであれば、同じ価値観を持つ顧客を引き付けるだろう。これは多くの顧客にアピールできるだけでなく、持続する価値でもある。

もちろん、ナイキの広告のように、この価値を共有ぜず、ナイキやどの企業もいじめやレイシズム、女性やLBGTQI、年齢や障害への差別について声を上げるべきではない、という考えの人はこうした動きに反発を示すだろう。だが、それは仕方がない。企業が企業として、(収益を上げることは別として)何を支持するかを決断し、そのスタンスはどのようなものかを顧客に明確に示すことは重要なことだ。

何かを支持している企業は、けっして孤立しないだろう。しかし何事も支持しない企業は、何も支持しない人々と同じで、どんなことにも騙されてしまうだろう。