速く、美しく、挑戦し続ける女性ドライバーたち 
第3回 粟野如月 

近年、世界のモータースポーツを統括する国際自動車連盟(FIA)や自動車メーカーが若手女性ドライバーの育成・発掘に力を入れ始めた。いまだ男性中心の競技ではあるが、サーキットレース、ラリー、ドリフトなどで活躍する女性ドライバーは増加傾向だ。そこで、国内外のさまざまなカテゴリーで挑戦を続ける日本の女性ドライバーにインタビューした。

第3回は、ドリフトドライバーの粟野如月。「子どもの頃から人に夢や笑顔を与えられるエンターテイナーに憧れていた」と語る粟野は現在、D1ライツ選手権に参戦し、競技における最高峰のD1グランプリを目指している。国内だけでなく、海外のイベントにも積極的に参加し、注目を集める"ドリフトクイーン"に熱い思いを語ってもらった。


D1グランプリを目指すドリフトドライバーの粟野如月

 私がモータースポーツに興味を持ったきっかけは、佐藤琢磨さんでした。高校時代のある週末、自分の部屋で何気なくテレビを見ていたら、F1の中継が始まりました。当時ちょうど、佐藤琢磨さんがF1にデビューしたばかりでしたが、「日本人が世界のトップカテゴリーで活躍しているんだ。すごい!」と思ったんです。

 それからは、グランプリが開催される度にF1をテレビで見るようになりました。最初はルールなどがわからなかったけど、だんだんハマっていき、スポーツ新聞やレース雑誌を買うようになりました。生でレースを観戦したい一心で、ひとりで夜行バスに乗って、鈴鹿サーキットへ行きました。

 将来、何かクルマに関わる仕事がしたいと思って、整備士の専門学校を見学しに行ったこともありました。当時はそれぐらいしかクルマの仕事が思いつかなかったんです。でも、小さい頃から歌手になりたいという夢もあったので、結局は音楽の専門学校に進みました。


当初はレースへ通い詰めるファンだったという粟野

 専門学校に通いながらも、国内のレースをいろいろと見ていると、クルマ関係の仕事として、レースクイーンというポジションがあると気がつきました。歌手への思いが揺らいでいた時期だったこともあり、思い切ってレースクイーンのオーディションを受けてみたら、運よく採用してもらえました。

 私はそれ以前、F1を頂点としたフォーミュラカーのレースだけがモータースポーツだと思っていました。しかし、レースクイーンとしてさまざまなカテゴリーを見ることになって、日本にはスーパーGTやD1グランプリのように市販車ベースのマシン、いわゆる「箱車」を使ったモータースポーツがあることを知りました。

 特にドリフトで使用されているトヨタのチェイサーツアラーや日産のシルビアなどは当時、街中をよく走っていました。普通のクルマを使った競技があることに衝撃を受け、興味を持ちました。D1グランプリを生で見る機会もあり、面白いと思いました。派手なカラーリングとステッカーをいっぱい貼ったマシンが、タイヤからスモークをモクモクと出して、ドリフトを決める姿が純粋にカッコよかったんです!

 ドリフトを好きになり過ぎて、ファンとしてD1グランプリを1年間、選手と同じスケジュールで追いかけていた時期もあります。いわゆる「追っかけ」ですね(笑)。私が全国の至るところに出没するので、ドライバーの方とだんだん顔見知りになり、話をするようになっていきました。ドライバーの方は、私が当然ドリフト競技をしているんだろうと思い込んでいたようで、「愛車は何なの?」と聞いてきました。

 その時の私は自分のクルマを持っていなくて、イベント会場へはレンタカーで行っていました。そのように答えたら、「そんなにドリフトが好きならやってみれば? (F1などの)フォーミュラカーと違って、免許さえがあればドリフトのマシンには乗れるよ」と軽い感じで言われたんです。

 そこでハッと気づきました。「私でもできるモータースポーツがあるんだ。D1の舞台を目指してやってみよう!」、と。その瞬間、見る側からやる側へと気持ちがガラっと変わりましたね。レースクイーンやコンパニオンの仕事で貯めたお金で、今も愛車のクレスタを購入しました。練習を重ね、時にはぶつけ、時には壊しながら、ともにここまでやって来ました。

 最初はただただドリフトが「好き」、「カッコいい」というのが原動力になっていました。でも実際にドライバーとお話していると、キラキラしている世界にいるために、皆さんは普段からすごく努力されていることを知りました。

 その点は、私が歌手を目指した理由とリンクしていたのかもしれません。私はエンターテイナーのように、夢や笑顔、希望を与えられる人がカッコいいという憧れがずっとありました。小さい頃はただ歌やダンスが好きでしたが、年を重ねるうちに、エンターテイナーはその世界にいるために、必死に頑張っていることを知りました。だからこそ、光り輝いているんですよね。

「エンターテイナーは歌手やダンサーだけじゃない。モータースポーツの選手も一緒なんだ」と感じるようになり、私もやってみたい、私にもできるかもしれないと思ってしまいました。今思えば、その自信の根拠はどこにあったのかなって(笑)。

 いざ競技を始めると、苦労は多かったです。特に何を苦労したかといえば、はっきり言って、お金です。どんな競技も練習すればするほど技術は身についていくと思います。でもモータースポーツは、練習したくてもお金がなければサーキットに行けません。しかも、練習中にミスをしてマシンを壊せば、修理費用がかかります。さらに消耗品のタイヤやオイル、サーキットまでの高速代にガソリン代......。ドリフトの練習に集中したいのですが、そのためには仕事を頑張らなければならないというジレンマがありました。

 正直言って、コンパニオンやレースクイーンの仕事で稼いだお金をかなりつぎ込みましたね。でも、ありがたいことに少しずつスポンサーがついてくれるようになりました。
 
 2015年にD1レディースリーグ(女性のD1競技大会)に参戦し、現在はD1ライツまでステップアップしました。最高峰のD1グランプリが近づいてきましたが、そこにいくためには、ドライビングの引き出しをもっと増やす必要があると感じています。

 例えば、1人ずつ走行して得点を競う「単走」の時は、機械のように正確なマシン操作をすればいいのですが、先行車の走りに後追い車がどれだけ合わせられるかを競う「追走」では、それだけでは勝てません。相手の走りによって状況が刻々と変わるので、瞬時に判断してドライビングする必要があります。引き出しが多くないと対応できません。

 さまざまなスキルを身につけるためには実車で走るのが一番ですが、今年はコロナ禍の影響で、なかなかサーキットで練習できませんでした。練習環境を整えるのもドライバーの仕事のひとつだと思いますが、そこはまだ足りないところだと感じています。

 ドリフトを始めたばかりの頃、業界の関係者から「どうせ、女はすぐやめちゃうよ。絶対にうまくならない。クルマがもったいないから、すぐに売れ!」と、面と向かって言われたことがありました。しかし、女性だからできないというのはないと思っています。技術的にもメンタル的にもまだまだ不足はありますが、それは自分自身の問題です。

(関係者からの発言で)もちろん当時は周りからはそんな風に思われているのかと、ちょっとへこんだこともありました。でも今思えば、あの言葉のおかげで強くなれた。いつか、あの人を土下座させてやろうと思って、頑張ることができましたから(笑)。

 3年前にアメリカのドリフトカテゴリーのフォーミュラ・ドリフト(FD)を生で観戦する機会があったのですが、日本とは走らせ方や見せ方が全然違うと感じました。日本のドリフトは審査基準のメインが技術で、お客さんはドライバーの走りを見守っている印象です。

 対してアメリカは技術よりもお客さんを盛り上げたドライバーが勝ちという感じです。観客も席にじっと座っている人なんか誰もいなくて、皆立ち上がり叫びまくって応援しています。エンターテイメント性が高いです。あの盛り上がりの中で私も走ってみたいと思うようになりました。今は、アメリカのドリフトへの参戦も見据えて英語の勉強をしています。ただ、まずは日本でD1グランプリに昇格することが目標ですね。

 今年でドリフトを始めて8年ほどになりますが、まだまだ夢の途中です。最終的には、世界で通用するドライバーになることを目指していますが、ドリフトを始めたばかりの頃に「女性では無理」と言われたことは、今でも忘れられません。その経験がエネルギーになっているのは確かなのですが、「女性だからできないということは何もない」と証明するのが私の一番の夢かもしれません。ドリフト競技の最高峰D1で活躍する姿を見せつけたいですね!

【profile】
粟野如月 あわの・きさらぎ 
大阪府出身。モータースポーツ好きが高じて、高校卒業後にクルマに関わる仕事としてレースクイーンとなる。ドリフトに出会い、D1ドライバーを目指し活動を始める。2015年にはD1レディースリーグに参戦、18年からはD1ライツにステップアップした。今季はTeam KISAから参戦し、最高出力700馬力を誇るトヨタ・クレスタ(JZX100)をドライブ。