9月20日、タイの首都バンコクで、前日の反政府集会に引き続き、王宮近くでデモ行進に参加する学生たち(写真:AP/アフロ)


(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 微笑みの国、タイ。日本にも馴染みがあり、観光先としてインド洋大津波(2004年)の発生した頃は、出稼ぎに来る隣国マレーシアに次いで、日本人の入国者数が2番目に多かった。だが、昨今は圧倒的に中国人、その次にマレーシア、インドと続く。

 また、水産加工品をはじめ、もともと日本へ供給される食料も多い。そこへ中国輸入食材のいわゆる“毒食”問題が発生する度に、食品製造業のサプライチェーンは一時的にタイへの依存度を高めた。チャイナ・リスクに備えたプラス・ワンの役割を果たしていた。

 私も、タイの食料供給基地をはじめ、インド洋大津波の災害現場など、取材でほぼ毎年のようにタイを訪れていた。

 そのタイで異例の事態が起きている。学生たちを中心に抗議デモが相次ぎ、20日には首都バンコクで王宮に向かって大規模な行進が行われた。地元メディアによると、その参加者は約5万人とされる。

 そこでもっとも驚かされること――というより前代未聞なのは、現政権への批判に加えて、王室改革を叫んでいることだ。

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国歌演奏中の「咳払い」も不敬罪に

 国王を国家元首とする“王国”であるタイには「不敬罪」がある。

 例えば、映画館で映画が上映される前には国歌と国王の映像が流される。観客は立ち上がってこれを静聴する。ある日本人がこの最中に痰が絡んだことがあった。それだけでたちまち警察に連行されてしまった。外国人で事情を知らなかったということで釈放されたはいいが、タイとはそういう国だと現地で長年暮らす在留邦人から、教訓として聞かされたことがある。

 また、バンコクの要所では午前8時と午後6時に、国歌が流される。私が体験したところでは、ルンピニー公園で朝、散歩どころかジョギングをしていた人ですら、そこで立ち止まり、直立不動で国歌を聴く。夕刻のラッシュアワーには、BTS(バンコク・スカイトレイン)の改札に急ぐ人たちも一斉に立ち止まる。異邦人の私はどうしていいかわからないまま、つられるようにいっしょに歩みを停めた記憶だ。

 もっとも、行きすぎた不敬罪の適用には、西洋諸国からの批判の声もあるが、それだけタイの人たちは国や国王を尊んでいた。それも4年前に崩御したプミポン前国王は、国民から敬愛されていた。

 第2次世界大戦が終結した翌年、1946年に即位したプミポン前国王は、自ら土地や農業の改革をはじめ、王妃と全国を視察して歩き、国民との接点を多く持ったことから、国王としての尊敬と信頼を集めるようになった。政情不安が続き、クーデターが繰り返される国内政治に、直接介入することはなかったが、それでも国内が混乱する事態に接すると、積極的な言動で沈静化を図っている。有名なのは1992年の軍事クーデターのあとの流血事件の仲介だ。民主化を求めるデモ隊に軍が発砲して300人以上の死者が出ると、前国王は王宮に双方の指導者を呼び出し、双方を諫めて事態を終息させている。

「情勢不安になっても、国王が“お前たち、いい加減にしなさい”というふうに、なだめることで、この国はいつも落ち着きを取り戻す」

 数十年、バンコクに暮らす在留邦人が語った言葉だ。それだけ国民に対する影響力も大きかった。そんな国王が2016年に崩御するまで70年間も在位していた。

前国王は国民からの敬愛を集めていたが

 ところが、それこそ不敬罪にあたるから現地でも声を潜めるが、遠回しに言えば、「商売に成功した大旦那の2代目がどら息子」という話は日本の落語にもよくある筋書きで、王位を継承したワチラロンコン国王の評判は、前国王の存命中から聞いていた。前国王亡き後の混乱を予測する声すらあった。

 日本の主要メディアも不敬罪を怖れてか、報道はほとんどされていないが、よく知られているのは奇行だ。

 現国王は3回の離婚をしている。そのうち元ストリッパーとされる3番目の妻を、愛犬の誕生パーティーにおいて、人前で裸にさせている映像がネット上に流出している。4年前には、ドイツの空港で短いタンクトップの下の刺青がはっきりとわかる写真がメディア配信されている。飼っていたプードルに空軍大将の称号を与えたことでも知られる。

 昨年7月には30歳以上も離れた元看護師の女性に陸軍大将と「高貴な配偶者」の称号を与え、一夫一妻制が長年続いた王室で、事実上の側室にすると、その3カ月後には「不誠実で恩知らず」として称号を剥奪。ところが、先月にこれを取り消している。

2019年5月、タイの農耕祭でのワチラロンコン国王とスティダー 王妃(写真:AP/アフロ)


 1年の大半を海外で過ごすとされ、それまで王室財産管理局が運用していた王室の資産が、2018年に70年ぶりに改正された法律で「財産は国王の意思によって運用される」とされた。傍から見れば、やりたい放題だ。

岐路に立たされるタイ王室

 プミポン前国王の時代にはあり得なかった王室批判のデモ。王室を批判するというよりは、先王と比較して燻っていた現国王への不満に火が付いた、と見たほうが正しい。いまのところ不敬罪を楯に、現政権もデモに厳しい姿勢では臨まない。

 現在の首相は、2014年の軍事クーデターを指揮したプラユット司令官がそのまま首相の座に就き、昨年の総選挙を実施したあとも、再び首相に選出されている。形式的には民政に移行したが、議会は軍部の意向が反映されやすい構造で、総選挙では反軍政を掲げる「新未来党」が議会の第3党に躍進するも、憲法裁判所から解党を命じられている。

 こうしたことから、プラユット政権を独裁として、繰り返されるデモではプラユット首相の辞職と軍政下で制定された憲法の改正を叫び、8月のデモから王室改革を求める声が加わった。20日の大規模デモでも、集会参加者はその3つを叫び、警備の警察にワチラロンコン国王あての公開書簡を手渡している。しかし、現国王に期待できるだろうか。

 20日のデモ行進参加者5万人には、タクシン派も加わったと報じられている。

 サッカー欧州リーグのチームを買い取るほどの富豪としても知られるタクシン元首相は、2006年に国連総会に出席するためニューヨーク滞在中に軍事クーデターが起き、帰国できなくなった。地方を優遇するいわゆる“ばらまき政策”に、都市部の富裕層やインテリ層から不満が噴出していたり、汚職の疑惑が後を絶たなかったりした。その後、赤シャツを着たタクシン派と黄色いシャツを着た反タクシン派に国内は二分され、反タクシン派が座り込みをはじめたスワンナプーム国際空港が機能停止に陥るなど国内が混乱した。やがてタクシン元首相の妹のインラック女史が首相に就くも、両派による混乱は止まず、治安悪化の恐れがあるとして、2014年の軍事クーデターにつながっていく。タクシン・インラック兄妹はタイの検察当局から訴追されているが、現在も海外逃亡中だ。

 タクシン派がバンコク市内で抗議活動をするときには、優遇されて人気の高かった地方から人が集まってくる。それも「バンコクに入るところでカネを渡している」と現地で聞いた。

 プミポン前国王は名指しこそしなかったものの、タクシン元首相の金満体質を嫌っていたとされる。

 いまの議会では憲法改正へ向けた動きもあったが、少数政党が濫立するなかで、それも頓挫しかけている。

 このまま抗議活動が続いても、前国王のように事態を収拾する存在はいない。いまの国王に期待したところで、矛先はそこに向かっている。時代は着実に変化している。

筆者:青沼 陽一郎