プロからアマチュアまで幅広く浸透している「送りバント」。しかし、その礼賛ぶりは日本球界の“遅れ”も表している(写真:時事通信)

今年のプロ野球は入場者数が制限され、相変わらず静かなスタジアムで淡々と試合が行われている。こうした中、テレビ中継では番組を盛り上げるためにいろいろな企画を行っている。

ある地上波局は、サブチャンネルで「セイバーメトリクスとは何だ?」というテーマで中継をした。セイバーメトリクス(SABRmetrics) とは、統計学に基づいた野球のデータ分析だ。

この番組では、野球解説者とセイバーメトリクスの専門家が試合展開とともに解説をしていた。走者が出てバントで送ろうとした場面では、専門家が「セイバー的には送りバントは勝ちにつながる作戦とはいえない」と指摘すると、解説者は「そうなんですか!」と驚いてみせた。

また、アナウンサーが「今日はOPS(後述)という特別のデータをご紹介しましょう。(阪神の)大山悠輔のOPSは1.000を超えています。これはすごい数字なんです」と補足していた。

いつまで「セイバーメトリクスとは何だ?」なのか

筆者は「まだこんなことをやっているのか」と思った。

スポーツライターのビル・ジェイムズがセイバーメトリクスを考案したのは、もう40年以上も前だ。メジャーリーグ(MLB)ではセイバーメトリクスは野球記録のスタンダードになり、いくつかの指標はすでに陳腐化している。

しかし日本では、いまだに根付いていない。テレビの野球中継でセイバー系の指標が紹介されるのは、上記のような例を除き、ほとんどない。

スポーツ紙や一般紙は、相変わらず打率、本塁打、打点、防御率である。野球そのものは進化しているのに、それを語る言葉・数字は「昭和のまま」なのである。

これはメディアの知的怠惰というべきではないのか。日本野球は「ガラパゴス化」が目立っているが、とりわけ記録面ではそれが著しい。

野球は「数字のスポーツ」である。19世紀半ばには、すでに野球の記録方法が考案されていた。

早い時期から野球ではリーグ戦が行われてきた。1カ所ですべての試合を見ることが可能なトーナメントとは異なり、リーグ戦は複数の球場で同時に行われることが多い。そのデータを比較するために「野球記録」が発達した。

驚くべきことに、初期の段階でヘンリー・チャドウィックによって「打率」「防御率」が生まれている。以後、野球界は膨大な数字とともに発展した。

かつてアメリカでは4年に1度、マクミラン社から「ベースボールエンサイクロペディア」という記録集が発行されていた。19世紀後半以降、MLBの公式戦に1試合でも出場した選手の成績を網羅した記録集だ。

日本にも輸入され、筆者は今はなき銀座のイエナ書房で購入していた。1996年の第10版にHideo Nomoの名前が載ったときには感動したものだ。

この3000ページ近い大著は、野球記録を大事にしてきたアメリカのファンの愛の結晶ともいうべき本である。ほかにも多くのMLBのレコードブックが発刊され、多くの野球記録ファンを醸成してきた。セイバーメトリクスは、こういう形でMLBの公式記録に誰でもアクセスできることを前提として発達した。

セイバーメトリクスが導き出した驚きの結論

セイバーメトリクスとは、ビル・ジェイムズらが創設したアメリカ野球学会(Society for American Baseball Research)の略称SABRと測定基準(Metrics)を組み合わせた造語である。

前出のOPS(On-base plus slugging)は初期の代表的な指標だ。出塁率+長打率という簡単な数式でありながら、貢献度の高い打者を評価する有効な指標となった。

OPSは考案されて30年近いが、MLBの公式サイトに表示されるなど、今でも信頼性が高い。はるかに複雑な数式を用いてはじき出されるRC(Run Create)やWAR(Wins Above Replacement)と、打者のランキングがほとんど同じになるからだ。

初期のセイバーメトリクスは、野球記録や統計学の知識があれば、誰でも新たな指標を作ることができた。1990年代に入って表計算ソフトMicrosoft Excelが普及したことも大きかったと思われる。

セイバーメトリクスは野球界にさまざまな波紋を巻き起こしてきたが、その中で最もインパクトが大きかったのは、20世紀末にボロス・マクラッケンが発表した「BABIP(Batting Average on Balls In Play)」だろう。

マクラッケンは多くのデータから「投手が本塁打以外の安打を打たれる率は、だいたい3割前後になる」ことを発見。ここから「本塁打を除く安打は『運の産物』」という結論を導き出した。

BABIPは、本塁打を除くグラウンド内に飛んだ打球が安打になった割合であり、長期的に見れば、打者のBABIP、投手の被BABIPは能力にかかわりなく、ほとんど3割前後になる。

野球選手の最高の栄誉は打率1位つまり首位打者になることだったが、マクラッケンは、これを「運の産物」と決めつけた。賛否両論が飛び交ったが、今に至るもこの説を覆す有力な反証はない。

その結果として「打率」「得点圏打率」「防御率」、さらには「打点」など「運」の要素が絡む指標は、セイバー的にはあまり意味のないものだとされるようになった。身もフタもない考えだが、今ではこの考えがMLBの主流になっている。

セイバーメトリクスが一般社会に認知されたのは、マイケル・ルイスの小説『マネーボール』がベストセラーになったのが大きい。弱小アスレチックスのゼネラルマネージャー(GM)ビリー・ビーンがセイバーメトリクスに注目し、出塁率が高い無名の選手を掘り出して中軸に据え、優勝したという実話をもとにした小説だ。

2011年にはブラッド・ピット主演で映画化されたが、アスレチックスの成功以降、MLB球団ではセイバーメトリシャンを顧問として雇い入れ、その考えに基づいてチームを構築するようになった。

進化を続けるアメリカのデータ野球

当初はMLBの公式記録を加工するだけだったセイバーメトリクスは、しだいに試合のビデオなどを基に独自のデータを採取するようになった。こうなると、素人の記録好きには手が負えなくなってくる。

そしてついに、セイバーメトリクス系指標の集大成ともいえるWAR(Wins Above Replacement)が考案される。これは投球、打撃、守備のさまざまな指標を組み合わせてできたものであり、投打を含めたあらゆるポジションの選手を同列で比較できる。

WARは現在では、Baseball ReferenceとFangraphsという2つのデータサイトから別個に発表されているが、そのランキングはほぼ同じだ。そして、MVPなど記者投票で決まるMLBの主要な表彰は、WARが基準となることが多い。近年はほとんどの年でWAR1〜2位の選手がMVPやサイ・ヤング賞に選ばれている。

MLBのデータ野球はさらに進化している。各球場では特殊カメラやGPSを利用して選手のプレーの一つひとつを数値化し、評価するトラッキングシステムが導入され、投手の球速や回転数、回転の方向、打者のスイングスピード、打球処理の速さ、的確さなどが逐一記録され選手の評価に直結する。

MLBの公式サイトのSTATS(記録)欄には、通常の成績に加えて、STATCASTという外部サイトとリンクされている。このサイトでは、トラッキングシステムなどで計測された選手の打球速度や飛距離などのランキングがずらっと並んでいる。

今や旧来の成績の重要性は薄れ、こうしたデータで上位に来る選手が高年俸を得るようになっている。さらに、アマチュア野球でもトラッキングシステムが使用され、選手のポテンシャルが契約に結び付いている。

わずか30年ほどで、アメリカの野球のデータ化は想像以上に進んでいるのだ。

1990年代までは、データ野球では日本も引けを取らなかった。

「記録の神様」と呼ばれた故・宇佐美徹也が記録に関する多くの著作を出版。中でも『ON記録の世界』(読売新聞社)は、王貞治、長嶋茂雄という不世出の大打者のデータを1打席1打席分析した空前の大作だった。

ほかにも、毎年『プロ野球全記録』(実業之日本社)という子供向けの冊子を出したが、そのレベルは非常に高かった。さらに『プロ野球記録大鑑』(講談社)という集大成も刊行した。

宇佐美徹也はセイバーメトリクスにはほとんど言及していないが、年度のリーグ打率の変動を補正したTBA(True Batting Average)という指標を考案するなど、記録を使って選手の真の実力に迫ろうという意欲を見せていた。筆者もその一人だが、宇佐美徹也のファンから「宇佐美チルドレン」とでもいうべき記録マニアがたくさん育った。

しかし、21世紀に入って宇佐美徹也が執筆活動をストップさせると、野球記録ブームは下火となった。セイバーメトリクスがMLBで重要視されるようになっても、日本野球機構(NPB)や主要メディアはほとんど取り上げなかった。

価値観が大きく異なるNPBとMLB

野球選手上がりの指導者や解説者は、野球経験のない素人が提示するセイバー系のデータへの抵抗感が強かった。

筆者はある年の春先にCS放送の野球番組に出演して、前年、登板過多だったある投手の今季に懸念があると述べた。その際、投手コーチ出身の解説者に「それはない」と、ぴしゃりと否定されたことがある。その投手はこの年、ほとんど働けなかったのだが……。

テレビ、新聞などのメディアがセイバーメトリクスをあまり取り上げないのは、現場やOBのアレルギーがあるからかもしれない。

NPBでは今、広島を除く11球団でトラッキングシステムを導入。選手のパフォーマンスのデータ解析を行っている。球団職員の中にはデータ専門家もいるが、このデータを球団がどこまで活用しているのか、疑問が残る。

春季キャンプの紅白戦では、記録スタッフが機器を使って球速やさまざまなデータを取っている。顔見知りの大学院生がアルバイトで計測をしていたが、彼は「データを取って職員に渡すのが僕らの仕事なんですが、選手上がりの職員はパソコンが使えないんで、結局、僕らが遅くまで残業して報告書を作ることになるんです」と嘆いていた。

日米の野球の「価値観」の違いを象徴的に示しているのが「沢村賞」と「サイ・ヤング賞」だろう。ともにシーズン最高の投手を選出するというものだ。

沢村賞には「25登板、10完投、15勝、勝率6割、200イニング、150奪三振、防御率2.50」という基準がある。「先発完投がエースの責任」という昭和の時代からの価値観がそのまま残っている。

2018年は、この7項目をすべてクリアした巨人の菅野智之が受賞したが、2019年は4項目をクリアした投手が2人いたが該当者なし。沢村賞の堀内恒夫・選考委員長は「賞のレベルを下げたくない」と語った。

サイ・ヤング賞には数値的な基準はないが、前述のとおりWARが重視される。ナショナル・リーグのサイ・ヤング賞は2018、2019年と10勝、11勝しか挙げていないメッツのジェイコブ・デグロムが連続受賞した。両年ともに最多勝は18勝だったが、アメリカの記者は勝ち星などではなく、WARの数値が高いデグロムを選んだのだ。

日米では野球の価値観が大きく変わってしまっているのだ。

進化する野球にふさわしい「言葉」と「数字」

昨年の「球数制限」論争でも、野球関係者は「データ」に強い拒否反応を示した。そして、「甲子園はそんなもんじゃない」「苦しさに耐え抜くことで鍛えられる」のような「あるべき論」や「精神論」を口にした。

プロ野球でも「9回完投してこそ投手」「つなぐ野球が基本」「エースの責任、4番の責任」など、精神論がまだ幅を利かせている。セイバーメトリクスは一部には愛好者がいるが、解説者やメディアでこれを理解している人はほとんどいない。

先日も巨人の原辰徳監督が野手登録の増田大輝を登板させたことで、古いOBから「相手打者に失礼だ」「巨人の伝統に反する」などと非難が集中した。しかし、今季の厳しい日程を考えれば、投手を温存したいと考える原監督の判断は的確だった。

MLBでは当たり前の戦法であるし、ファンにしてみれば「珍しい」と喜びこそすれ、問題視する人など、ほとんどいないはずだ。

野球は昭和の時代にナショナル・パスタイム(国民的娯楽)になった。その栄光が忘れられない「昭和頭」の野球人たちが、いまだに「伝統」や「精神論」を振り回している。若い人には理解しがたい、こうした権威主義が「野球離れ」に拍車をかけている側面は否定できない。

「野球記録」の世界は、野球という競技のさまざまな一面を見せてくれる。凝り固まった野球の価値観に、違う面から光を当ててくれる。野球人・ファンの視野を広げる意味でも、野球データがもっと普及してほしいと思う。