渡部建の不倫報道、“週刊誌に売った女性たち”にフィフィ「加害者の自覚をもつべき」
6月11日発売『週刊文春』で報じられた、アンジャッシュの渡部建の不倫報道。その倫理観を問う声や、妻である佐々木希さんに対するさまざまな声が溢れるなか、本当に考えるべき点は別にあるとフィフィは指摘する。
* * *
今回の問題は、その行為の内容を聞いていると、一般的な“不倫”ではなく、妻以外の人との“性癖”を満たすための遊びだったんだなと。要するに、たびたび報じられる“多目的トイレ”という行為に及んだ場所、1万円を渡すという金銭的なことや、LINEで上から目線に指示するなど、そのやり取りからして“俺様なプレイ”も、すべてをひっくるめたその“構図”自体が彼の性的嗜好なんだよね。「お金は持っているんだから”プロの方”にお任せしたら良いのに」「もっとやり方も場所もあるだろうに」という声もあるけど、それじゃダメなんですよ。背徳的な構図そのものに興奮しているわけだから。
また、これは不倫の場合にも言えることなんだけど、夫婦間に問題が有る無しに関わらず、ほとんどの場合パートナーとの関係がどうであれ関係ないわけ。例えば、どんなに可愛い奥さんでも、普段仲が良くても、本人はそのプレイをしないと満たされないわけなので、この類の話題に夫婦間のことを持ち出して分析しても意味がないと思います。
つまり、“不貞行為をされて奥さんが可哀想だ”とか、“あんなにキレイな人でもされてしまった”といった、夫から“された”という言い方は間違っているし、“奥さん側にも何か問題があったんじゃないか”といった詮索(せんさく)をするような考え方に至っては、もはや奥さんに失礼ですよ。彼女を追い詰めることになりかねません。そこを切り離して考えないといけないと思います。
週刊誌に“売った”側の罪
不貞行為をした夫側に関しては、裏の顔に失望した、汚いといった声もありますね。でもそもそも性癖というのは人それぞれで、いつも表で見せている顔とは違う場合がほとんどです。みなさんも自分の胸に手を当てて考えてみてください。誰しも普段は隠しているからわからないだけで、裏表があるのは当たり前。なので、そこばかりをクローズアップするのはおかしいと思います。ただ、それがどうしても多目的トイレのようなマナーに反する場所でないと満たされないといった性癖は、治す必要があると思います。治療のための特別なプログラムを受ける必要があるかも知れません。
今回の件で一番問題なのは、このことを被害者の顔をしながら週刊誌に売った女性たちだよね。売った側に非はないのかと。私は彼女たちのモラルも疑っています。
たとえ仮にひどい扱いを受けて怒っていたとしても、怒りに任せてそれを“週刊誌に売る”という行為はどうかと思いますよ。もし私が妻の立場で彼女たちに同じことをされたら、訴えると思います。世間に晒すことで、私の社会的地位や名誉まで傷付け、子どもにもその重荷を背負わせることになるので。
まして彼女たちにしても、奥さんがいるなんて知らなかった、といった言い訳が通用しないなかで、その行為自体何も正当化されないわけでしょ。自分が奥さんから訴えられてもおかしくない状況ならば余計に、直接ご夫婦と話し合うなり、ほかにやり方はあったはずです。自分たちのことを被害者だと思っているのかもしれないけど、性癖というナイーブなものを世間に晒して、関係ない奥さんや子どもまで巻き込んだという点で、自分たちもまた加害者なんだと認識すべきだよね。
まだ現在は、「週刊誌に情報提供した側」への罪は問われない風潮があるけど、今後プライバシーの侵害や誹謗中傷に対する意識が強まってくると、“売った人はどうなのか”ということも問われる社会になっていかなければならないと思います。
〈構成・文/岸沙織〉