「教職を取るだけのつもりだったのに……」

 獨協大4年の外野手・並木秀尊(なみき・ひでたか)は、父が中学校の教師だったこともあり、同じ道を歩むつもりで大学へ進学した。そして好きな野球を楽しむつもりで野球部へ入部。とくに上を目指そうとかプロを目指そうとか、そういった気持ちは一切なかった。


昨年末に行なわれた大学日本代表候補の合宿で注目を集めた獨協大・並木秀尊

 ところが昨年12月、愛媛県松山市で行なわれた侍ジャパン大学日本代表候補選手選考合宿に参加して、一躍注目される存在となった。

 全国から46人の精鋭が集まるなか、その”快足”が周囲の度肝を抜いたのだ。参加した選手のなかには、中学時代にあのサニブラウン・ハキームに100メートル走と200メートル走で勝ったことがある中央大の五十幡亮汰(いそばた・りょうた/4年)もいた。

 並木は50メートル走のタイム計測で、5.42秒だった五十幡を上回る5.32秒を記録した。

「同じようなタイプと言われていたので、負けないようにと思いました。周りから速いと言われていましたが、実際のところ自分でどれだけ速いのかわかっていなかったので、この結果は自信になりました。五十幡くんとは一緒に走っていませんが、きれいな走りで、相当速いと感じました」

 打撃でも、いま大学球界で注目されている早川隆久(早稲田大/4年)、竹田祐(明治大/3年)、森博人(日体大/4年)、木澤尚文(慶應大/4年)、森田晃介(慶應大/3年)、伊藤大海(苫小牧駒澤大/4年)らと対戦し、6打数3安打と結果を残した。その3本は、早川、竹田、木澤、といった東京六大学を代表する投手から放ったものだった。

「不安もありましたが、めったに対戦できないような名のある投手たちと対戦できて楽しかった。自分の力は出せました」

 この合宿で自信をつけたことが、プロを目指す大きなきっかけとなった。

 そんな並木の素質にいち早く目をつけたのが、獨協大の亀田晃広監督だ。

「身体能力はすごいものが(最初から)ありました。ただ、下級生の頃はそれを生かしきれていなかった。『このままでは使えない。4年間、代走要員だ』と煽ったこともありました。教員になるつもりで大学に来たこともあり、野球を楽しんでいるだけでしたね。

 ただ、ウチらは(首都大学野球リーグ2部で)7季連続2位。自分たちでなんとか1部へ、という思いが並木にも出てきたのでしょう。2年の秋ぐらいから積極的に練習に取り組むようになり、中心選手に成長しました。打撃技術も年々上がってきました」

 3年になると、春・秋ともに打率.364をマークし、リーグのベストナインに選出。盗塁も、春は7個、秋は6個と結果を残した。亀田監督は言う。

「性格は気分屋的なところがあるのですが、しっかり自分を持っているし、身体能力はかなり抜けている。日本代表でも勝負できる選手になったと思い、推薦文書にビデオをつけて全日本大学野球連盟に提出しました」

 並木は小学2年から野球を始め、中学では地元(草加市)の軟式チーム・中根ファイターズに所属。おもに三塁と捕手を任されていた。高校は市立川口高(現・川口市立川口高)に進み、入学当初は捕手だったが、2年から俊足を生かすために外野手に転向した。ただ、さしたる実績もなく、どこにでもいる普通の高校球児だった。並木が振り返る。

「自分ではあまり意識していなかったのですが、たしかに足は速かったです。小学校の時に草加市の陸上大会で勝ったこともあるし、高校の体育祭ではダントツでした。

 その足を生かすため、今は陸上やアメフト選手たちの鍛え方をYouTubeや本で勉強しています。練習では、スクワットやジャンプなどで瞬発力を鍛え、長距離よりも30メートルや50メートルダッシュを数多くこなしています。それに風呂上がりには、必ず足の筋肉をほぐしています」

 並木が目指すプロ野球選手は、ロッテの荻野貴司。理由は「俊足で同じタイプの外野手だから」だという。

 何気なく野球部に入部した並木だが、今や押しも押されもせぬ足のスペシャリストに成長し、プロ入りを熱望するまでになった。今秋のドラフトで指名されれば、獨協大初のプロ野球選手が誕生することになる。

 現在、コロナ禍の影響でリーグ戦開幕のメドは立っていないが、試合が始まれば並木の”快足”に目を奪われることになるだろう。