「サードドア」のような成功へのマスターピースを見つける方法とは?(写真:peshkov/iStock)

発売からたちまち12万部突破のベストセラーとなった、アレックス・バナヤン著『サードドア:精神的資産のふやし方』。

「未来の設計はできない。でも走っているうちに、その蓄積が自分の未来を決定していくものです」。高橋亀吉賞受賞作『良質な社会と自己訂正能力』やベストセラー『中小企業新時代』などで著名な中沢孝夫・福井県立大学名誉教授はそう語る。高校卒業後、26年間働いたのちに45歳で大学進学、経営学への道を切り拓いた中沢氏は『サードドア』をどう読んだのか?

「喪った日々の他にもう喪うものはない」

『サードドア』を読み終わったとき、「喪った日々の他にもう喪うものはない」という言葉を思い出しました。詩人の鮎川信夫の一節です。この本は、まさに若さの特権で描かれたものですね。僕自身の記憶とも重なって、バカというのは本当に向こう見ずなものだよなあと懐かしくもなりました。


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著者で主人公のアレックス・バナヤン氏は、典型的なアメリカのサクセスストーリーの実現者そのものではありますが、一方で、今のアメリカが持っている大変なところも背負っている世代です。

アメリカでは『ジェインズヴィルの悲劇:ゼネラルモーターズ倒産と企業城下町の崩壊』(エイミー・ゴールドスタイン著・2019・創元社)という本に描かれているように、ゼネラルモーターズに勤めれば老後まで安泰で、高卒や短大卒の人間でも中間層として生きていけるという時代が終わってしまった。それがトランプ大統領の登場にもつながっています。

僕はもともと、平凡な庶民の生涯も、それはそれですばらしいものだと考えています。高卒や州立大学を出たノンエリートの勤労者にとっては、消防署や警察署、郵便局、あるいは製造業のいい会社に入れれば幸せだという世界観があるものなんですよ。アメリカは多様性がありますから、そういった勤労者の世界の一方で、アメリカンドリームを抱え込んで走っていく人もいる。それが、『サードドア』のアレックスですね。

ただ、このひたすら走っていく、18歳のアレックスの思い込みの強さは相当なものです。だって、客観性が何もないんですから。何か目的があったのかというと、「ビッグネームと会いたい」。これだけです。

ビル・ゲイツやスピルバーグなど数々のビッグネームにぶつかっていきますが、そこで概念化したいことがあるわけでもなく、ただ「会えば何か学べるだろう」という虫のよさがある。それで7年間にわたって走ってしまうなんて、これはちょっとすごいことだと思いましたね。

人は、ある程度功成り名を遂げると、なにか新しいことをやろうと思い立っても、なかなか手をあげにくくなりますよね。がむしゃらに挑戦しようとしても、できそうなことやよさそうなことを分別して、自然に勝手に選んじゃう。そうならないすばらしさ、価値の高さを、アレックスはこの本で体現しているんです。

ビッグネームの身になれば、もう中高年になった人間が、18歳の子どもと会ったところで、何か議論して学べることもないわけです。でも、仕方ないから会ってやるかと思って会ってみて、こいつは育ててみたいな、学習能力があるなと思うと、なにか語りかけてやる。ただ、それを受け手がきちんと理解できるかどうかは別だということも、うまく描かれていますね。

読者の体験の厚みが理解を深める

今思えば、ゲイツが話してくれたこの教訓に感謝すべきだった。でもそのとき僕は、ただ座ってこう考えていた。

“本当に……? それだけ? 聖杯はどこにあるんだ?”

なぜ僕はそこまでものわかりが悪かったのか、その理由に気づくのにしばらくかかった。僕はバズフィードで育った世代だ。ゲイツの深い話は、「世界一の大富豪の知られざる10の秘密」みたいなツイートや要約記事に載るような派手さがない。だから僕には、その場では価値がわからなかったのだ。(STEP5「サードドアを開けて」より)

アレックスは、当初、せっかく語ってもらった話をそれほど理解できていないんですよ。これは、彼にはまだ知識づけの厚みがないから、しょうがないことだと思います。


中沢孝夫(なかざわ たかお)/1944年生まれ。福井県立大学名誉教授。博士(経営学)。ものづくり論、中小企業論、人材育成論を専門とする。高校卒業後、郵便局勤務から全逓本部を経て、20年以上の社会人経験を経た後に45歳で立教大学法学部に入学を果たす。1993年同校卒業。1100社(そのうち100社は海外)の聞き取り調査を行っている。著書に『転職の前に―ーノンエリートのキャリアの活かし方』(ちくま新書)(撮影:尾形文繁)

僕は高卒で郵便局に入って6年現場で働き、その後は組合本部で20年働きました。そして、45歳で立教大学法学部に入った。大学では、本当にすばらしい講義がたくさんありましたよ。

ある先生は、「教育、宗教、思想というものには、共通点がある。学んだ人間が、『自分は他人が知らない正しい真実を手に入れた』と思い込むところがあり、それを人に伝えて教えたくなるという点だ」とおっしゃいました。

僕は、そういう人を社会経験上たくさん見てきましたから、ああ、なるほど、僕が学んできたマルクス主義もまさにその典型だと納得がいって、感銘を受けました。ところが、若い学生たちの評判はとても悪かった。先生の言っていることは、「なんのことやらわからない」とね。

どうしても、話す側の言葉の持っている厚みや背景知識と、聞く側の能力には、ズレがあるものなんです。読書だって、名作と呼ばれる本でも、わからない人にはわからない。福沢諭吉の『福翁自伝』も、20歳で読むのと、40歳で読むのとではまったく意味が異なります。

読書は読み手の知性が試されるので、知識づけの厚みのない人間がいくら先生に解説されながら読んでも、やはり浅い理解しかできないんです。

アレックス自身も最初はそうでした。でも、『サードドア』を読むと、彼の場合は、ビッグネームにぶつかって何度も挫折を繰り返していくことが、大きな成長の階段になっていることがわかります。『サードドア』は、読む人の知識の厚さ次第ではすばらしい本になるでしょうし、そうした知識を持たない人にはわからない。

この本に対して、「なんだ、ちゃんとしたインタビューもできないし、失敗ばかりじゃないか」という感想を持つ人もいるかもしれません。でも、僕に言わせれば、こんな若者に失敗以外の何を求めるんだよ、と言いたい。それが若さのいいところであり、この本のいいところでもあるんです。

誰かの名言を自分が実現することはできない

ウォーレン・バフェットになかなか会えずに煩悶しているアレックスが、エジソンやベーブ・ルースたちの残した名言をプリントアウトして、部屋中に貼るというシーンがありました。これもまた若者らしいところだと思いましたね。

有名人の名言は、確かにすばらしいものですが、その言葉のすばらしさを自分が実現することはできないんですよ。エジソンもベーブ・ルースも、いろんなことをやってみて、それを後になって振り返ったときに、初めて気がついたことが名言となったわけです。「諦めない人間を打ち負かすことはできない――ベーブ・ルース」。こんな言葉、若いうちに思いつくわけがありません。

アレックスも、数々の失敗を繰り返して、徒労に終わったり、うそをつかれて不信感を募らせたり、絶望感に打ちひしがれたり、ネガティブな気分をかなり味わっています。でも、そのネガティブな気分から得たものというのは、やはり体験した本人にしかわからないものです。

ですから、この本を読んだ若者が、自分もアレックスのようになろうと考えて真似をしてもダメなんですよ。そして、書いた本人も、もうこの本を超えるものは書けないかもしれない。彼は、『サードドア』というマスターピースを見つけ出し、ビッグネームとなって追われる立場になったのですから。

しかし彼は、今や世界中からいろんなリアクションを集めるようになっています。そこからまた次の壁を感じて、乗り越える能力を身に付けてゆくでしょう。この本には、彼は自分に何が欠けているかをつかむ能力を身に付けていった過程がちゃんと書かれていますからね。今後、彼はまた新たな成熟の段階に進むだろうと僕は見ています。

このように考えるのは、僕自身のライフストーリーを重ねるからです。大学に入って3年目、48歳の頃のことです。当時は『週刊東洋経済』が高橋亀吉賞を設けていて、「よし、これで賞金50万円を獲れば大学の授業料が払えるぞ」なんて思ってね。北岡伸一先生に読んでもらって丁寧な示唆をいただきながら必死で書き上げた論文が『良質な社会と自己訂正能力』(1992年高橋亀吉賞受賞)でした。

このときに組み立てたロジックは、僕にとってのマスターピースになり、僕はいまだにそれを超えられません。やはり1冊の本にそれほどのパワーを注ぎ込むということは、人生においてそう何度もできることではないんですよ。

僕がアレックスの年齢のときは、郵便局から組合の調査部に入ったばかりでした。そこで、地域ごとに条件の異なる場所で仕事をしている配達員への手当の基準を考えるために、全国の配達状況を調査することになったんです。

例えば、雪が何メートルも降る地方では、夏と冬とでは仕事の条件がまったく変わります。あるいは、長崎のように坂ばかりでバイクも自転車も使えない地域もある。東京となると、今度はものすごい量の郵便物があって、1日で2000通配達する人、100通配達する人という差が出る。

こういった実態を、季節ごとにそれぞれの地域を訪ねて話を聞くわけですが、いま思えば、ああいった調査には、圧倒的なパワーが必要だった。せっかくはるばるこの地域まで来たんだから、聞けるだけ話を聞こうということになって、家に帰る、東京に帰るなんてことはどんどん後回しになっていくんです。後先考えずに、朝から晩まで寝ないで走り回っているようじゃないと、できない仕事というものがあるんですね。

そして、調査結果を全国に配るためのリポートを作ったのですが、これは読んだ人が「ああ、よその地域もそれぞれの苦労があるんだな」と納得するためのものでもあります。そのために、誰にでもわかるようにやさしく書くということも覚えました。このときの経験は、後年、新たな現場調査に携わったときにもとても役立ちましたよ。

マスターピースを見つける時期は人それぞれ

『サードドア』では、アレックスが若さゆえのパワーで飛び出して、しかし大学への未練や親との折り合いなどを抱えつつ、「今日帰らないと期末試験が受けられない」という窮地に陥ったりもします。行き当たりばったりの繰り返しにも見えますが、僕はやはり、未来を設計することは誰にもできない、だからこうなるのだと考えます。とにかく走っているうちに、だんだんとその蓄積が自分の未来を決定していくのです。

アレックスは『サードドア』で、僕は『良質な社会と自己訂正能力』でマスターピースを見つけましたが、人によってそれを見つける年齢は違うでしょう。ふいに昔の落とし物を思い出して、そこから何かが生まれることだってある。たくさん落とし物をしていれば、また後でいくらでも拾い直せますからね。

そういう意味でも、この本は、ある程度の経験をした人が、自分を振り返るためにとても役立つ本だとも思います。とくに若い人は、効能を求めて本を読む傾向が強い。だから、理解できないものには飽きてしまいます。

『サードドア』は自己啓発本ではありません。ハウツーがあるわけでもない。だからこそ、経験を積んできたビジネスパーソンに読んでいただきたいですね。きっと深く理解できる部分があるでしょう。

(構成:泉美木蘭)