ジャカルタ在住7年目となる元JKT48仲川遥香(画像は『Haruka Nakagawa 仲川遥香 2019年2月3日付Instagram「Happy sunday」』のスクリーンショット)

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AKB48やインドネシア・ジャカルタを拠点とするJKT48で活躍した仲川遥香は、48グループを卒業してからも人気のあるタレントだ。インドネシアに移住して7年目となる彼女が、誕生日である2月10日にファンミーティングを行い多くの人から祝福された。

27歳になった仲川遥香が11日、SNSで「みなさんへ みなさん本当にいつもありがとう!! 感謝で一杯です」と切り出して「両親」や「おばあちゃん」について綴っている。

インドネシアでは家族を大切にする人が多いことから、「インドネシアにはこないの?」「あまり会わないの?」と家族について聞かれることが少なくない。仲川はそのたびに何とか取り繕ってきたが、「自分の心も辛くなるのでいつも本当の事を言おう」と思いながらタイミングが見つからなかったという。ジャカルタに在住して6年が経ち、27歳になった今、「そろそろ言ってもいいタイミングかな」とカミングアウトしたものだ。

彼女は3歳頃に両親が離婚して父親に引き取られたので、母親の顔は覚えていない。物心がついた時からおばあちゃんと暮らし、児童養護施設に入っていたこともあり当時の友だちもいるという。

父親は仕事であまり家に居なかったので「おばあちゃんが母と父の代わり」だった。おばあちゃんに感謝しつつ、やはり小学生や中学生時代は「正直辛かったし寂しかった」と明かす。小学3年生からは、遠足などの行事は自分でお弁当を作ったそうだ。

おばあちゃんの体調が悪くなって入院した時には児童養護施設に入ったが、優しいスタッフに恵まれ「正直楽しかったです。周りにいる子がみんな同じ気持ちでなんか本当のお姉ちゃんは妹みたい」だったと振り返る。

仲川はこれまでこうしたことを「恥ずかしい」気持ちから、話す勇気が無かったという。そのためファンには「母の日」や「父の日」にそれを隠して対応したことを「すみません」と詫びている。

インドネシアでもインタビューで「家族に会いたいですか?」「お母さんやお父さんに会いたくなりませんか?」と聞かれると悲しかったが、それでも「JKT48メンバーやスタッフさんが、家族みたいで正直楽しかったです!」「メンバーには甘えたり怒られたり体調悪い時はつき添ってくれて。そんな経験は今まであまりなかったので嬉しかったです」というから周りに救われたようだ。

「インドネシアに来て日本にいた時よりも何倍も強くなりました!」という仲川遥香。「いつか私も結婚してそしたらすてきなお母さんになりたいです! そして自分と同じような経験は他の子供達にして欲しくないです! だから今同じ経験にいる子供達に伝えたい。きっといつか素晴らしい愛に包まれる時がくるよって!」と前を向く。

これからはさらに活躍して、おばあちゃんに恩返しをしたいそうだ。また「私が今ここにいるのはお母さんとお父さんのおかげです!」と感謝を忘れず、父親とは幼い頃の分まで思い出を作り「結婚式はバージンロードを一緒に歩いてほしいし孫も見せてあげたいな」と願っていた。

そんな仲川遥香は、2017年9月11日にSNSで「2018年、日本インドネシア国交樹立60周年親善大使に任命されました」とおばあちゃんの着物を着た姿を公開していた。「おばあちゃんがいなかったら今、私はここに立っていないと思う」と話したこともあり、今回の告白を受けてその言葉を振り返るとさらに感慨深いものがある。

画像は『Haruka Nakagawa 仲川遥香 2019年2月3日付Instagram「Happy sunday」』のスクリーンショット
(TechinsightJapan編集部 真紀和泉)