日大生が就活で取るべき「守りの戦略」/増沢 隆太
・燃え続ける炎への対処の見本は江戸の町火消し
当初の予想をはるかに上回る大炎上で、連日新聞もテレビもこの話題で満載。私もテレビやラジオ、週刊誌といったさまざまなメディアから取材をされまくり、組織論や危機対応コミュニケーションの立場でコメントしています。
たまに見かける大火災のニュースでは、何日間も鎮火せず燃え続ける火事があります。一度燃え上がってしまった炎を消すことは、現在でも容易なことではありません。消火技術も未発達だった江戸時代、町火消しは消火ではなく、建物を破壊することで延焼を最小限で食い止めるのが仕事だったといいます。電動ポンプなどないのですから、これは実に理にかなった火災対応といえます。
燃え盛る炎上事件では、江戸火消しのように、燃え盛る火を消そうと無理をしても無駄どころか、返って火を大きくする可能性すらあります。大批判を呼んだ大学本部での前監督、コーチの記者会見での司会も、確かにあの進行はあり得ないものではあるものの、取材側にも問題が多い点は指摘されています。しかし今の流れで取材側の非をいくら訴えても、聞く耳を持ってもらうことは無理でしょう。どんな行動、発言であっても批判されるというのが炎上状態なのです。
・炎上下の戦略
ここまで危機が進んでしまった今、できる一番のことはこれ以上の燃料を投下しないことです。日本大学各学部長が、学生宛にお詫びや説明のメールを送ったという報道がありました。しかしその内容が各学部のメールをすべて取り寄せた結果、コピペ?と思われる同じ表現が多用されるなど、せっかくの行為がまたもや「やらかし」と映ってしまったのです。
学部長自ら学生に説明すること自体は、悪いどころか正しい姿勢です。しかし今は炎上下。何をやっても批判されるのだという環境を甘く見てはいけません。つまりここは「より丁寧に誠意を見せる」というような「攻め」の動きに出る時ではないのです。各学部の独立性が高い日本大学であっても、本件は学長から全学生にメッセージとして送ることは可能でしょうし、学部長名で送りたいのであれば、全学部長連名で統一メッセージにする手もあるはずです。
統一メッセージを送れば送ったで、「事務的なメッセージを送った」という批判も起こることでしょう。どう転んでも批判されるのが炎上です。しかしコピペ呼ばわりと事務的では、どちらがましかという、「よりまし」な視点で行動を決めるべきなのが今の状況といえます。
守りに徹することは、炎上という制御が利かなくなった環境下で取るべき数少ない戦略です。イチかバチかの勝負をかけるタイミングではなく、「少しでも良い方」ではなく「少しでも批判が起きない方」という消極策を取ることです。学部長メールも、変に「学部長」とオリジナルな味付けをするくらいなら、始めから学長名で発信して「事務的」批判を受ける方がまだましという、きわめて消極的な判断こそすべきことと思います。
・日大生の就活も「守りの戦略」で
今就活ピークを迎えている日本大学学生にとっては、この事件の火の粉が降りかかってきていることでしょう。どう対応すべきか、これまた被害をゼロにするとか、この話題で高評価を得ようという積極策は取らず、「守りの戦略」に徹すべきです。
面接などで面接官や応募先企業の人からこの話題を振られても、一発ホームランのような名言をいおうとしなければ良いのです。全否定も全肯定もせず、当たり障りないノラクラした内容に徹します。結果としてこの話題の印象が残らないことこそ、守りの面接の勝利だといえるでしょう。
どれだけ工夫したところで、大学側を擁護しても批判しても、説明は難しくなります。そんな不利な戦いに自らはまる必要がありません。さらにいえばこの問題への意見によって少なくとも採用が確定することは考えられません。しかし説明の持って行き方を間違え、妙な大学批判にすれば組織対応や組織への忠誠心など非常にめんどうな流れになる恐れがあります。
反則をした選手の会見はすばらしいものでしたが、そっちに話を持っていったところで組織における内部通報者の扱いのような、これまたものすごくめんどくさい領域に行ってしまう可能性があります。正しい行為である内部通報者が批判され、退職に追いやられるような理不尽も社会では存在しています。
・事件より恐れるべきは自分のメンタル
決してうまい説明やきれいごとをいおうとせず、ノラクラとおざなりな会話に終始という消極作戦で十分戦えます。「マンモス大学なんで自分とは関係ない世界のことのように感じます」的な、他人事コメントなども良いでしょう。それで責任を追及される恐れはありません。アメフトとも大学執行部とも何の関係も無い一般学生に、不祥事の対処責任を問い詰めるような愚かな面接官だとしたら、その会社はやめておいた方が良いです。
一番大事なのは、自らの気持ちに負けないことです。学長や理事長でもない一学生が、大学を背負っている訳ではないのに自分が批判されていると感じたり、自分の言うこともあたかも事件当事者への批判のように聞く耳を持ってもらえないのではないかと疑心暗鬼に陥らないようにしなければなりません。
面接はコミュニケーションの場。ただでさえ緊張して思うように進まないのが普通である面接の場面で、自分で自分を縛ることこそが最大の危険といえるでしょう。事件と一般学生は何一つ関係ありません。責任も一切ありません。他人事のようにノラクラやり過ごすことが自分のミッションだと心得、ぜひ就活クライマックスに臨んで欲しいと思います。