忖度と親分子分の文化/野町 直弘
先日、山一證券の自主廃業に関するテレビドラマ「しんがり」を見る機会がありました。
これは山一證券が自主廃業決定後に社内調査委員会が発足し、その委員会が実名入りで調査報告書を作成・発表したというのをドラマにしたものです。この時の調査報告書の実物はWebで閲覧することもできますが内容を読んでみると、山一證券の社内でどのような不正が行われ、2600億円もの簿外債務がどうやって増えていったのか、という事実関係が克明に記載されています。お手盛りになりそうな社内調査報告書ですがその徹底した調査には高い評価がなされているようで、それも理解できるでしょう。
この調査報告書には直接書かれていませんが、巨額の簿外債務のそもそものきっかけは社内の派閥抗争だったようです。事業法人本部のトップを社長にするために法人向けビジネスの業績拡大を目指したことから運用利回り保証や損失補てんを迫られ、それが株価の下落と同時に膨らんでいったとのこと。
つまり親分子分の関係で親分を社長にするために禁じ手に手を出してしまい、親分もそれを見て見ぬふりをしてきたものが大幅に膨らみ、誰もが隠さざるを得ない位の金額になってしまったようです。
読売新聞社が執筆した「会社がなぜ消滅したか」という本にはこの辺りの経緯も詳しく書かれていますが、その本には「背信の階段を昇る」と表現されています。またこの「背信の階段を
昇る」ことが山一社内では昇進につながったというように特定の誰かの責任ではなく、会社全体の体質の問題が、この不正の原因となったとのことです。
このように、上(親分)が指示をしなくても下(子分)が自主的に不正を働く(便宜を図る)と聞くと「これって何かに似てないか」と感じます。そう。最近話題になっている公共セクターの「忖度」事案です。
山一證券の自主廃業は1997年のことでした。それ以降民間企業ではコンプライアンス意識は高まる一方です。不正を正すことはあたり前である、という意識が徐々に根付いていると言えます。しかし、それでも民間企業においても未だに不祥事は相次いでいる状況です。しかし最近の公共セクターの事案を見ると公共セクターのコンプライアンス意識はとても鈍く、依然20世紀型のように感じます。
また「忖度」というのは一番始末に負えない事案です。
親分・子分の関係やその企業や団体の文化の下、明確な指示がなくても、それが上司のため、会社のため、組織のため、という発想で不正を起こしてしまうからです。
そしてちょっとした不正が積み重なり、大きな事案になってしまうのでしょう。これは本当に危険です。何故なら誰かが指示している訳ではないので責任の所在がはっきりしない、誰も責任を取れないからです。
ちょっと前に問題となった決裁文書の書き換え問題も未だに誰がやったのか、何を目的にした改ざんなのかはっきりしません。このような忖度文化は、間違いなく過去の負の遺産です。その企業や団体トップの過去の言動や、歴代トップが社員に対して暗黙に忖度を強いてきたことがその原因と言えます。
そういう組織のトップに就任した場合には、心して組織に向かわないとエライことになります。言っても言っても、歪曲して話が伝わるからです。トップが全く意図していない方向に忖度されることもあり得ます。
忖度文化を崩すためにはトップ自らがコンプライアンスの意識を高め企業や団体内に対して徹底しなければなりません。不正は許さないという強い意志を伝えることで、良い方向に忖度させなければならないのです。
「しんがり」というドラマの中では社内調査委員のトップだった組長(と呼ばれた)常務がチーム内に良い影響を及ぼしているシーンがありました。「あの人だんだん組長と似てきたね。」と。このように良い方向への忖度は真似たいものです。
一方で不正を図ったり、不公平に便宜を図るような忖度文化が未だに残っている企業や団体には危険性を感じざるを得ません。