観光振興は主婦売春と同じ/純丘曜彰 教授博士
オリンピックを控え、昨今、日本中が観光振興の狂乱状態。とにかく、外貨獲得。インバウンドだ、ツーリスムだ、世界遺産だ、と、行政から民間まで、大騒ぎ。バブルからちょうど三十年。その崩壊から四半世紀。あの後、「観光地」がどうなったか、もう忘れたのか?
ようするに、マーチャンタイズ、マネタイズ、だ。地元のなんでもないものでも、なんでも商品にして、カネにしよう、ということ。どうでもいい岩でも、どうでもいい階段でも、ノラ猫でも、ノラ山、ノラ海でも、インスタ映えする、とか、あのアニメの舞台はここだ、とか、うまく世間を情報操作し、外から客が集められさえすれば、その客に群がってカネをむしり取れる。
で、それがどうなるか、よく考えてみろ。最近の京都や鎌倉の、ひどいこと、ひどいこと。裏路地のドシロウトの家まで、玄関先を改造して、観光客相手の商売。そんなん、ほんにみっとものぉあらしまへんかえぇ、なんて言っていた人も、翌日には突然、店を始め、昨日までブランド服をちゃらちゃら見せびらかしていたのに、取って付けたような、妙ちくりんな揃いの作務衣に半被なんか着て、家族総出で朝から大声で客引き。裏には不釣り合いな、ド派手な外車が並ぶ。まるで『木村家の人びと』に出てくる隣の雨宮家のよう。落ち着いた、静かな古都の風情なんか、もうどこにもありゃしない。
マッチ棒の山は、一本や二本、抜いても、大丈夫だが、みんなが一斉に引き抜いて奪い合えば、すぐに崩れ、元も子も無くなる。観光産業なんていうのは、でかい顔をしているが、しょせんは、もともと他人のフンドシで相撲を取っているようなもの。地元の人が日常で大切にしてきた生活の風土、努力して守ってきた地域の景観をネタに、客集めして、カネを儲けている。郷土愛を名目に、みんなを無償でボランティアに駆り出し、自分だけはエグく商売三昧。だが、全員がそんな観光業者になったら、ウリになる風土も景観もあったものじゃなかろう。
行政とつるんだ悪徳観光業者は、たしかに儲かる。だが、一般住民からすれば、年柄年中どこもかしこも法外な交通渋滞で、近所に買い物に行くバスさえ、まったく使いものにならなくなる。食料品や日用品の物価も、ケタはずれに高騰する。わけのわからないヨソ者だらけで、旅の恥はかき捨て、とばかりに、そこら中にゴミを投げ捨て、どこでも踏み込んで土地を荒らし、夜はもちろん昼でも一気に治安が悪化する。だれに文句を言っていいのかもわからず、みんなとりあえずは黙っているが、あるとき我慢の限界をを超え、一斉に売り逃げる。
建設業などは、当座は観光振興のおこぼれに預かるが、それだって、不動産を買った連中は、まともに地域の住民になるわけでなし、投資だけが目的の外国人だの、別荘であっても相続の分割だので、いずれどれもこれも所有者不明になり、管理費も、税金も、滞納。外からやってきた観光客目当てのホテルや商店はもちろん、昔から地元でやってきた業者だって、客がいなくなれば、ビルや建物をほったらかして夜逃げ。町は荒れ放題になる。
つまり、三十年前、バブルで沸いた軽井沢や清里、越後湯沢が、数年とたたず凋落し、その後もずっと苦しみ続けているのと同じことが、いま、観光、観光、と騒いでいる地方や町でかならず起きる。ファンダメンタルを喰い潰す外部不経済、つまり、公害で、いま一時的に過去の貴重な資産をカネに換金しているだけ。タコが足を喰っているようなもの。それも他人の足だ。民泊だのリゾートだの言っているところは、いずれその不経済の負担を引き受ける住民さえもいなくなり、町そのものが廃墟になる。つまり、拙速な観光戦略は、長期的には地域に負の生産性しかもたらさない。
主婦や女子高生が売春でもすれば、たしかに目先、カネにもなるだろう。だが、家庭は荒み、家族は壊れ、人生に未来は無くなる。そして、観光も売春と同じ。もともと風土や景観は、見世物じゃない。売り物じゃない。それは、地元の人々が長年かけて築き上げてきた地域全体の大切な共有財産だ。もちろん、その価値を理解してくれる人なら、お客として、新住民として迎え入れもするだろうが、その財産そのものは、いくらカネになっても、本来は絶対にマーチャンタイズ、マネタイズしてはならないものはず。にもかかわらず、行政や観光業者が、それを私的に売っ払うのは、他人の妻や娘に売春させ、目先のカネをせしめて喜ぶヒモ男と同じ。連中のうまい口車に騙されると、歴史ある大切なふるさとが切り売りされて、失われるだけ。
(by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka. 大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン。専門は哲学、メディア文化論。最近の活動に 純丘先生の1分哲学vol.1 などがある。)