今やゲームの分野において、知らない人はいないぐらい世界的な知名度を誇る「任天堂」。しかし、最初からゲーム分野で成功をおさめていたわけではなく、ゲーム分野に進出するまでは「ラブホテル経営」など数多くの事業に手を広げていたことが知られています。YouTubeのPolygonチャンネルで投稿されているムービーを見ると、任天堂創業から約130年間の歴史がよくわかります。

The Incredible History of Nintendo: 129 Years in the Making - YouTube

「マリオ」「ヤクザ」「樹皮」、これら3つにはある共通点があります。



実は、これらの3つ全てが任天堂の成功に不可欠でした。



任天堂は、2018年4月20日に「Nintendo Labo」を発売する予定です。多くのファンは子ども用の厚紙おもちゃを作るという発想に驚いたと思いますが……



任天堂はルーツに立ち返ったと考えると納得できます。



任天堂は、スーパーファミコン、SNES(Super Nintendo Entertainment System)が登場する100年以上前の1889年に「任天堂骨牌」という会社名で創業しました。



当初は花札の製造を行っていました。当時の花札は、クワ科の植物の樹皮や粘土を使用した和紙に手塗りして作られていたそうです。



花札は大ヒットし、任天堂は量産体制を確保するため大量の従業員を雇うことになりました。



その後、ディズニーの絵柄などが入ったトランプや、かるた……



アダルト向けの物まで製造し、任天堂はさらなる飛躍を遂げることになります。



特に大きな貢献をしたのは「ヤクザ」でした。



ヤクザは、カジノに相当する賭博場で花札を使用していました。プロの賭博師は、意図的に花札に傷をつけたりしてイカサマを行う可能性があったため、ゲーム毎に新しい花札を使用していたことから、任天堂に膨大な利益を生み出すことになりました。



1963年には社名を「任天堂株式会社」に変更し……



1963年〜1968年の5年間でいろいろな事業に手を出します。



タクシー事業、食品会社、ラブホテルチェーン……



そして最終的に、「おもちゃ」「ゲーム」事業に乗り出します。



任天堂の最初のおもちゃは、当初製造ラインの管理を任されていた横井 軍平氏が考案しました。



当時の任天堂の社長は山内溥氏で、横井氏がマジックハンドのようなものを作り、暇な時間に伸ばして遊んでいる姿を見て、「商品化しろ」と指示したそうです。そして、横井氏が「ウルトラハンド」を開発し販売したところ、大ヒット商品になりました。



その後、横井氏は小型のピッチングマシンである「ウルトラマシン」や……



リモコン掃除機のチリトリー



簡易版ウソ発見器のラブテスターを開発しています。



1973年には、アーケード用のガンシューティングゲームの開発に乗り出しました。



そして、1977年には家庭用ゲーム機の「カラーテレビゲーム15」で任天堂は大きく飛躍することになります。



横井氏はカラーテレビゲーム15の開発には関わっていないものの、その後の「ゲーム&ウオッチ」の開発に携わり、宮本茂氏が中心となって開発する「ドンキーコング」の監督、そして、「ゲームボーイ」シリーズの発展に導いています。



つまり、私たちの知っている任天堂が作り上げてきた成果のほとんどは、創業から約90年後のことになるというわけです。



しかし、任天堂はカードゲームの製造をやめておらず、記事作成時点でもオンラインでトランプを購入することができ……



コントラクトブリッジの大会の1つである「任天堂杯」にエントリーすることもできます。



もし、任天堂が厚紙に絵柄を描くような「新しいおもちゃ」を作って、変な方向に走ったなと思ったら……



任天堂の成功が「手塗りの樹皮から始まった」というルーツから考えてみると面白いかもしれません。