世界中の海にあまた浮かぶ原油タンカーですが、ひとたび事故を起こせば、環境や経済活動に重大な影響を及ぼしかねません。なかには実にささいな人為的ミスが、2兆円規模の経済損失につながったケースも見られます。どう防ぐのでしょうか。

東シナ海のタンカー沈没事故、その後どうなった?

 化石燃料からのエネルギー転換が叫ばれて久しいですが、世界中の海上にはいまもなお、365日24時間、実にたくさんのタンカー(油送船)が航行しています。1隻で膨大な量の原油および重油や軽油といった燃料を運ぶことができますが、それゆえ、これが事故などで大量に流出するようなことになれば、自然環境や経済活動に重大な影響を与えかねません。


1997年7月2日、東京湾にて油流出事故を起こした「ダイヤモンド・グレース」(画像:国土交通省)。

 記憶に新しいところでは2018年1月上旬、東シナ海にてパナマ船籍タンカーSANCHI号がコンテナ船と衝突し沈没する事故が発生しました。海上保安庁の発表によると、積荷は「コンデンセート」という揮発性の高い軽質油が約11万1000トンとのことで、ほか船で使用する各種重油が約2120トン残っており、そしてこれらが流出し拡散していきました。事故発生当時、とある海外の研究機関が公表した流出油の拡散予測が日本列島の大半を取り囲む実に絶望的なものであったため、一部で大きく取り沙汰されもしました。

 この事故は海上保安庁による防除作業や、流出量が限定的だったこと、「コンデンセート」が揮発しやすいものだったことなどもあり、沈没船由来と見られる油状の漂着物が奄美大島など鹿児島、沖縄両県の海岸で見られたものの、2018年3月時点において被害状況は上述の予測より小さく推移しています。3月13日(火)には環境省が、沖縄周辺や南九州沿岸などで2月中に実施した水質検査において、環境基準値を超えるものはなかったと発表、事態は収束へ向かっていると見られます。

 このように、ひとたび起きれば実に大きな影響を与えるタンカーの原油流出事故ですが、原因は実にささいなことである場合もあります。その一例に、国土交通省 海難審判所が明治時代以降の「日本の重大海難」のひとつとして数える、「油送船ダイヤモンド・グレース乗揚事件」が挙げられるでしょう。

かくて事故は起きた 「ダイヤモンド・グレース」の場合

 日本郵船は2018年3月15日(木)、同社の原油タンカー「ダイヤモンド・グレース」による原油流出事故から20年が経過したことを受け、これを題材とし、教訓を風化させないことやグループ社内の安全意識の向上、およびその取り組みを広く周知するために制作した安全推進ビデオの記者説明会を開催しました。

 1997(平成9)年7月2日、日本郵船の原油タンカー「ダイヤモンド・グレース」は原油25万7042トンを積載し、川崎港(京浜港川崎区)の京浜川崎シーバース(原油やLNGなど喫水の深い液体貨物運搬船の積荷を搬出入する海上の係留施設)へ向かい航行していました。東京湾の入口である浦賀水道の南方沖合で水先案内人が乗船、警戒船2隻を配置しつつ浦賀水道を通過したのち、同日午前10時5分、東京湾中ノ瀬西端の浅瀬へ乗り揚げます。


事故詳細が書き込まれた、当日使用された海図より。「底触」とは、浅瀬に船底が触れること(2018年3月15日、乗りものニュース編集部撮影)。

 国土交通省の資料によれば、乗り揚げ、つまり浅瀬に船底が接触した際、「ダイヤモンド・グレース」は船体および油槽に亀裂や凹みなどの損傷を受け、結果約1500キロリットルの原油が流出したといいます。流出した油は油回収船や人力の汲み取りにより、7月4日21時30分ごろまでにそのほとんどを回収。また油処理剤の散布による処理も施され、事態は収束に向かいました。

 事故発生当初、流出原油は1万5000キロリットルと伝えられていましたが、もしその量だったら漁業や観光への影響はもちろん、沿岸の工場における冷却水が汚染されるなどし、およそ2兆円の経済的損失だったといわれているそうで、「私はこの場にいられなかった(=日本郵船はなくなっていた)のではないかと思います」と、説明にあたった同社海務グループ安全チームの本元(ほんがん)さんは話します。

大きな事故の小さすぎる原因

 事故のもっとも大きな原因は「コミュニケーションエラー」といいます。その詳細はビデオの再現ドラマにも描かれていましたが、誰かがほんのひと言、声をかけるだけで避けられたという、実にささいなものでした。

「船橋(ブリッジ)にいた水先案内人、船長、そして当直航海士の3人が、浅瀬の存在に気づいていたんですが、ちょっとした確認を怠ってしまったがゆえに、発生した事故といえます」(日本郵船 本元さん)。


説明にあたった日本郵船海務グループ安全チームの本元さんは船長経験者(2018年3月15日、乗りものニュース編集部撮影)。

 事故を受け、日本郵船社内でもさまざまな取り組みがなされたといいます。社員教育はもちろん、CMC(危機管理センター)が設けられ、実践に則した訓練も実施されているとか。今回のビデオ制作も取り組みのひとつですが、事故の記憶を風化させないといった理由のほかにも、コミュニケーションエラーを避けるために上司、部下、所属、忖度なく意見をぶつけあう「オープンコミュニケーション」の実施に力を入れて制作したそうです。

「IoTなど、当社もそうした新しいものを追い求め、さらなる安全レベルを上げていくのはもちろんですが、どれほどそうしたものが発達していったとしても、最後に差別化を図れるのは人間のヒューマンタッチな部分かと思われますので、そうしたことを忘れずに、いま我々がやっている20年間の取り組みを今後もマンネリ化することなく続けて行きたいと思っております」(日本郵船 本元さん)

 なお事故発生21年にあたる今年の7月2日にはイベントを予定しており、今回制作したビデオも活用する構想があるそうです。

【写真】1997年7月2日、東京湾における油の流出状況


「ダイヤモンド・グレース」からの油流出状況を記した海図。担当者がヘリから確認し記録した。「SW」などは風向き(2018年3月15日、乗りものニュース編集部撮影)。