新潟で迎えたプロ4年目のシーズンは、リーグ戦23試合に出場。多くの出場機会を得たが、結局ゴールネットを一度も揺らせなかった。写真:徳原隆元

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 ゴールを決めることが難しいなんて、感じたことはなかった。
 
 もともとお祭り男の性分で、本番に強いという自負もあった。
 
 学生時代はもちろんのこと、アルビレックス新潟に加入してからだって、使ってくれさえすれば決められる、という自信がいつもあった。
 
 だが、ゴールはなかなか生まれなかった。
 
 プロ1年目と2年目は、いずれも公式戦で2試合にしか出られていないから、ノーゴールも無理はない。
 
 プロ3年目の2010年シーズンは、リーグ戦で4試合、天皇杯で2試合に出場したが、それでもゴールネットを揺らすことができなかった。
 
 雲行きがいよいよ怪しくなるのは、プロ4年目の2011年シーズンである。
 
 ナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)と天皇杯ではゴールを決めたが、肝心のリーグ戦では23試合に出場したにもかかわらず、スタンドに熱狂をもたらすことができなかった。
 
 会心に思えたシュートが、まるで導かれたかのようにポストやバーを直撃し、跳ね返されてしまう……。
 
「シュート練習では簡単に入るし、練習試合でもたくさん点が取れるのに、いざ公式戦になると何か違う自分がいた。正直、焦りはありましたよね。『どうやったら入るのか』『どうすれば入るのか』って、ネガティブじゃないけど、次第に追い込まれていった」
 
 初めて経験するスランプだった。
 
 プロ4年目もリーグ戦ノーゴールに終わった時、川又堅碁の前にはふたつの道が用意された。
 
 新潟に残って勝負するのか、それともJ2のファジアーノ岡山に期限付き移籍して武者修行をするのか――。
 
 悩めるストライカーは、岐路に立っていた。
 
「たぶん新潟は、積極的に残ってほしいという感じではなかったんですよ」
 
 自身の置かれていた状況を、川又が落ち着いた口調で振り返る。それでも当初は、新潟に残るつもりだったという。
 
「もう1年やれば、点を取れるんじゃないかっていう感覚があったし、J2に行 って結果を残せなかったら、戻る場所はないんだろうなっていう不安もあって」
 
 ささやきかけてくる内なる声は、「残留」 を勧めていた。
 だが、しばらくして川又は、新たな一歩を踏み出す決意を固める。
 
 挑戦をためらっていた川又の背中を押したのは、代理人だった。
 
「すごく煽られたんですよ。『目の前にボールがあったら、何も考えずに蹴り込むのがストライカーだろう。J2で点を取ってJ1に戻ればいいだけの話じゃないか』って」
 
 その言葉が川又のハートに火をつけた。
 
「そうだよな、何を弱気になっていたんだ、どのチームに行っても点を取れるのがFWじゃないかと。もともとそうした考え方が自分の原点だったし、結果を出せばなんの問題もない。この壁を乗り越えた時、もっと成長できるなって思えたので決めました」
 
 ここが、一番の勝負どころ――。
 
 覚悟を決めて、新天地へと旅立った。
 
―――◆―――◆―――
 
 DFを背負いながら身体を反転させ、左足を振り抜くと、鋭い弾道のボールがゴールネットに突き刺さった――。
 
 ずいぶんと時間が経った今でも川又は覚えている。ボールを捉えた足の感触も、身体全体から沸き立った喜びも。
 
 待望の瞬間は2012年4月1日、6節の徳島ヴォルティス戦で訪れた。1-1で迎えた82分、ペナルティエリア内でボールをキープし、無我夢中で放ったシュートがチームを勝利へと導いた。
 
「移籍してからのファーストゴールだったし、なによりもJ初ゴールだったんで、めちゃくちゃ嬉しかったですね。タイミング的にもちょうど良かった」