川口 雅裕 / 組織人事コンサルタント

写真拡大

「一を聞いて十を知る」は、採用・就職においてはご法度だ。面接官は、応募者の十を知らねばならないが(もちろん限界はある)、そのために聞き出した内容が一では困る。一しか聞いていないのに、その人の全てを分かったように合否を決めるのはただの見た目、感覚採用である。応募者は、会社の十を知る必要があるが(これにはもっと限界がある)、一どころかwebサイトや説明会で提供された広告的なアピール情報だけで会社を判断していることも多く、これは偏差値だけで受験する大学を決めるのと同じような安易な選択だ。このように面接官も応募者も「一を聞いて十を知る」ような姿勢で、十分に相互理解をしないまま選択しあっており、当然のようにミスマッチが生じている。

問題は、両者とも質問力に欠けていることだ。面接官は学生が準備してきた回答に対して踏み込んだり、別の観点から質問したりできず、「最近の学生は、何を聞いても事前の準備が周到なので、よく分からない」と悩む人が多い。つまり、その学生ならではの物事の見方や価値観が出てしまうような質問、準備することが不可能な質問などを投げかける力に欠けている。一方、学生からは、「何を質問していいか分からない」「変な質問をしたら、評価を下げるかもしれない」「質問の内容によっては、失礼に当たるのでは・・」といった声を聞く。

質問は、アクティブな行為である。自分の興味・関心を相手に伝え、それに対する的確な回答を求める。相手が話したくないこと、立ち入ったことに踏み込むケースもあるし、質問を重ねるというのは相手の回答に対する物足りなさを表明することにもなりかねず、場合によっては勇気も必要になる。

質問は、学ぶ姿勢を表している。一方的に与えられた情報だけで分かったような気になって、何の疑問も湧かないのは、そもそも関心がないか、いやいや取り組んでいるか、しっかり習得・蓄積しよう、身に付けようという意欲がない証拠だ。

また、質問には忍耐が求められる。常に的を射た、端的な回答が返ってくるはずはないが、それにじっと耳を傾けなければならない。そこで話をさえぎったり、流してしまったりしているようでは、その後の対話がうまく継続、成立しにくいからだ。

さらに、質問は技術がいる。イエス・ノーで回答されないように訊く、事実だけでなく思考や感情を訊く、詳しく説明を求めたり、それを要約して確認したりする、仮に・もし〜と前提を変えた上で訊いてみる、自己評価を訊く、第三者視点を提供して評価させる、などの技を身に付ければ、より深く正確に理解できる。

採用・就職といった重要な場面で効果的な質問できないのは、普段、質問していない証拠だろうと思う。質問できない理由は、知りたいという欲求に乏しい、学ぶ意欲が低い、傾聴に必要な我慢ができないからである。そして、質問しない習慣がついてしまうと質問する技術も磨かれないので、いつも凡庸な対話に終ってしまう。そう言えば、相手の話に対して常に「自分は」と返すようなアピール、説得・説教ばかりやっている人が増えているような気もする。そういう人に限って、「一を聞いて十を知る」や「以心伝心」の重要性を説いているような気もする。