「尊敬する人物は親です」という答えが損な理由/増沢 隆太
・不適切質問?
「尊敬する人物」を聞くのは違法という意見がありますが、法律上面接官が聞くこと自体は自由です。答を強要されたり、答によって採用を決めてはいけないというのが本来の主旨です。もちろん圧倒的に強い立場にいるのは面接官ですから、質問すること自体、相当慎重にすべきものです。私が企業側の面接官トレーニングを行う場合、特に注意するのは経営者クラスの方です。全く悪意のないまま、セクハラ質問や出自・親の身上といった、不適切な質問をしてしまう人は人事専門家ではなく、面接の素人である経営者に多いからです。
不適切質問はそれ自体が問題になるというより、結果として選考から外した際に、「不適切な質問をされて落とされた」とエスカレーションすることがあり得ます。出自や親の身上は、どうみても経営上の判断基準になるとは考えられないため、そもそも質問としての意味が無く、排除すべき質問です。しかし一方、「尊敬する人物」は、その人の思想ではなく、思考プロセスを見る上では一定の価値のあるものだと思います。
就活をする圧倒的多数の新卒学生だけでなく、中途採用に応募する20代30代の方でも勘違いしている人が多数に及びますが、面接で求められているのは「答」ではありません。期待している正解を答えたから採用しているのではなく、「なぜ・いかに」そう答えたのかという思考を見て判断するために質問をしているのです。その思考が伝えられない、判断できない、評価に結び付かない答をしても、面接では意味がありません。
・面接で期待されるのは「応え」であって、「答」ではない
若者が答えを「盛る」といって、誇張することがありますが、そもそもそこで聞きたいのは答ではありませんから、実は盛ろうが盛るまいが、採否には関係ありません。結局原形をとどめないほど盛っても、説得力ある「考え方」を伝えることができるなら自己責任でやっても良いでしょうが、普通は無理です。
理系学生の面接指導をする機会が多いため、特に大学院生が多い理系学生は、そもそもバイトもサークルにも入らず、研究に取り組んでいる人が多いのですが、それこそ盛る必要がないのです。理系大学院生を採用するような、その多くは大企業で、バイトをしたかサークルをやったかで採用を決めるような企業はありません。
問われているのは「答」ではなく、どう「応え」るかです。地道な研究活動に打込んでいること、研究活動を通じての気付きや人間関係、目標設定やベンチマーキングなど、それこそ企業活動に直結するエピソードは、実は研究室内にいくらでも転がっているのです。
・尊敬する人物は親?
親を尊敬するなという意味では全く無く、「尊敬する人物が親」と答えたことによって、どんな思考が伝えられるでしょうか。「親孝行な人」くらいの印象は伝わるかも知れませんが、面接では数限りない人が「親」と答えています。親孝行だから採用ということはまず考えられませんし、面接官の気持ちとしては、そもそも親以外に尊敬する人はいないのかと思ってしまいます。
面接は企業から採用したいという評価を得るための場です。少なくとも幹部や新卒でも将来の幹部候補になる有名大学の学生であれば、「親を尊敬している」という答えを通じて、企業にアピールできる思考や能力を伝えるのは、至難の業でしょう。むしろビジネス界の偉人や歴史上の人物といった方が当たり障りもなく、なおかつ自分の慎重さや忍耐力、目標設定や実行力などをアピールするのにはずっと楽だと思います。
そうであれば、説明も難しく、アピールにもつながらない「親」ではなく、親の次に尊敬している人物を挙げてはどうでしょう。要は企業が欲しいと思える能力アピールになるかどうかでの判断です。いい歳した転職希望者が、面接で親と答えているようでは、およそ幹部社員としての登用は難しいでしょう。
・言いたいことをいう場が面接ではない
ちなみに私自身が転職の際、ある面接でこの質問を受けた際、米中国交正常化の立役者・キッシンジャー博士を挙げました。面接官は大いに関心を示してくれました。彼曰く、「多くの日本人候補者は徳川家康と答えるが、私が本社にレポートしても本社の人間はまずその評価をできない。キッシンジャー博士というのは初めて聞いた答えだが、功利主義的実行力を説明するうえでとてもわかりやすい」といわれたことがあります。そうです、バリバリの米系企業の外国人マネジメントとの英語面接でした。
間違ってもその際に大村益次郎とか河井継之助とかアフマド・マスードとかでは説明が難しいだろうと想像したからです。自分の言いたいことや、正直な思い「だけ」を伝えるのが面接ではありません。「相手」によっても伝え方を変える、コミュニケーションの原則をしっかりと踏襲して意思疎通を図ることが面接というコミュニケーションの目的です。親を尊敬しているかどうかは面接の目的ではないということを理解し、臨んで下さい。