純丘曜彰 教授博士 / 大阪芸術大学

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 トラック数十台を擁する、この道五十年の運送会社社長が語る、「近ごろ、シロウトたちがごちゃごちゃとうるさいが、プロのドライバーは腕が違うんだよ、140キロくらい出したって、まったく問題ないんだ、だいいち、そうじゃなきゃ、商売にならねぇ」。ちょっと奥さん、どう思います、こういう独善的な「専門家」って?


 なんだか昨今、こういうカリスマ専門家様の勘違いを、あちこちで見かける。うちはいい水、出しているもん、1杯800円で当たり前、とか。これはアートだ、わいせつじゃない、とか。専門家の間では通用してわかりあえる、一般国民は残念だが理解しない、とか。国民によって、選挙によって選ばれた国会議員なんだから、決めるときには決められる、とか。


 「みずみずしいスイカ」事件、というのがある。いろいろ細かな論点はあるのだが、ざっくり言うと、スイカ六切のストック写真がパクリかどうか、という話で、その控訴審判決(平成12(ネ)750)にこうある、「被控訴人会社は,写真については,事実上,同一のものでない限り著作者人格権あるいは著作権の侵害とはならないというべきであると主張し,写真業界においては,これが定説であるという。しかし,被控訴人会社の主張は,写真の著作物については,著作権法の規定を無視せよというに等しいものであり,採用できない。仮に,被控訴人会社主張のような見解が写真業界において定説となっているとしても,そのことは,誤った見解が何らかの理由によってある範囲内において定説となった場合の一例を提供するにすぎず,著作権法の正当な解釈を何ら左右するものではない。


 ようするに、写真業界の「定説」だかなんだか知らねぇが、そんなもん、写真業界の中だけの誤った「定説」で、著作権法の正当な解釈からすれば、屁のつっかえにもなんねぇぞ、ということ。運送業や飲食店、アーティスト、政治家の「定説」なんぞより、法律や社会常識が優先するに決まってんだろ、ということ。当たり前と言えば当たり前なのだが、「専門家」というのは、おうおうに、法律や社会常識の方が間違っている、だからこれでいいんだ、というようなムチャを言う。しかし、裁判所からすれば、ごちゃごちゃ抜かすなら、まずちゃんと社会に説明し、一般国民を納得させ、立法ないし法律改正してからにしてくれ、そうでない限り、うちは知らんよ、という話。


 上の判決には、もう一つ、重要な言及がある。「被控訴人会社は,被控訴人カタログを発行するに当たり,他人の著作者人格権あるいは著作権を侵害するものを掲載することのないように調査すべき注意義務がある。」この見解は、今年のアマナ裁判(平成26(ワ)24391)にも引き継がれている。こっちは、ストックフォトの大手アマナの写真を使っていながら、ネットで拾った、著作権があるとは思わなかった、との言いわけ。それに対する判決は、「Eの経歴及び立場に照らせば,Eは,本件掲載行為によって著作権等の侵害を惹起する可能性があることを十分認識しながら,あえて本件各写真を複製し……たものと推認するのが相当であって,本件各写真の著作権等の侵害につき,単なる過失にとどまらず,少なくとも未必の故意があったと認めるのが相当というべきである。」「仮に,Eが本件写真をフリーサイトから入手したものだとしても,識別情報や権利関係の不明な著作物の利用を控えるべきことは,著作権等を侵害する可能性がある以上当然であるし,警告を受けて削除しただけで,直ちに責任を免れると解すべき理由もない。」「原告ウェブサイトにおいて,本件各写真のサムネイル画像のコピーが可能であったとか,当該ウェブサイト上の写真自体に識別情報がなかったとしても,そのことによって,本件掲載行為に際して,被告の被用者であるEが尽くすべき注意義務が軽減されるものとはいえない。


 これは、著作権の問題に限らない。ようするに、たとえ「第三者」(直接の加害者や被害者でない)であったとしても、「専門家」なら、自分の扱う物事が法律に触れないかどうか、事前にチェックする「注意義務」がある。たとえば、シロウト同士のネット売買ならともかく、公的な古物商の免許を持つ専門家の古本屋が、しかるべき十分なチェックもせずに万引などの盗本を買い入れれば、ただちに免許没収。そもそも、盗品が持ち込まれただけで、むしろすぐに警察に通報する義務がある。つまり、「専門家」は、むしろ一般国民以上に重い義務を負う。あとで問題になってから、削除した、モノを返した、本来の持ち主にカネを払おうとした、だから、いいんだ、などと責任を免れることはできない。


 運送業でも、飲食店でも、アーティストでも、政治家でも、専門家というのは、法律や一般国民に優越する特権身分ではない。むしろ専門家であるならば、一般国民以上に、みずから率先して法律や社会常識を遵守する「注意義務」を負う。専門家の立場から、いまの法律や社会常識は間違っている、と批判するのはいいにしても、だからといって、勝手に法律や社会常識を破ってよいことにはならない。専門家といえども、他の一般国民と同等の国民のひとりにすぎず、「専門家」であるということもまた、あくまでその社会の中での存在である、ということを忘れてはならない。


(大阪芸術大学芸術学部哲学教授、東京大学卒、文学修士(東京大学)、美術博士(東京藝術大学)、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン、元ドイツ国立グーテンベルク大学メディア学部客員教授。専門は哲学、メディア文化論。)