大人の思考力を左右するもの/川口 雅裕
考える力は、次の三つに左右される。
一つ目は、語彙の豊富さ。言うまでもなく、思考は言葉を使って行われ、言葉によってしか表現されない。従って、思考はどのような言葉を用いるかに大いに関係しており、大雑把な言葉による思考は大雑把で、語彙の乏しい人の思考に広がりが生まれることはない。論理的に考えようと思っても、論理の「論」は言葉という意味なので、言葉が貧しい人にはなかなか難しい。抽象的な状況を細分化するのも、拡散したアイデアや情報を集約するのも語彙力がモノを言うのである。
二つ目は、精神的な自立だ。人は自分の立場や役割、それぞれに異なる価値観や信条に縛られた思考・発言をしがちである。言い換えれば、人はその職業・肩書き・組織、教えられて染み付いた物事の見方や考え方に依存している。この依存状態を自覚しなければ、客観性・俯瞰性・実証性に乏しい、自分勝手な思考に終わる。精神的自立とは、依存先から自由になること。それは、幅広い分野における多様な立場、考え方、歴史的な事実・事例などを学び、それらの中に自分を相対的に位置づけられている状態と言える。専門家による耳を疑うような騒動・事件の数々、権力者や自称「識者」による呆れるほど軽い言葉の数々は、依存状態とそれによる考える力の不足を見事に表している。
三つ目は、型の習得。「心技体」にたとえると、一つ目の語彙の豊富さは思考の推進力となるもので「体」、精神的自立は考える姿勢や心構えであり「心」、型の習得は考える技術としての「技」である。フレームワークは、その典型だ。フレームワークは考える技術であり、これによって豊富な語彙と精神的な自立が効果的に活用され、より短時間で優れた発想や結論を導くことができる。また、豊富な語彙や精神的自立の獲得には時間がかかる(かなりの読書や多様な人生経験を要する)のに対し、技は習得が容易で、すぐに使うことができるという利点がある。
思考力を左右するのは以上の三点だが、昨今、どうも三点目の「技」にばかり注目が集まり過ぎている。多くのフレームワーク本や思考の技術に関する本が書店に並んでいて、よく売れている。確かに、考えるにも技術は重要だが、以上から分かるように技術に過ぎないという自覚もまた重要だ。語彙が乏しく、精神的自立も獲得していないのに、フレームワークを学んで良しとしている人がいる。そういう人には、「(自分でよく理解していない理論などを)カタカナを多用してごまかすアメリカかぶれ」、「フレームを使うが、語彙や知識がないのでフレームの中身が薄く、分かりにくい人」、「自分の立場を守ること、あるいは自分の目的の達成しか頭にない、ポジショントーク(自分勝手なストーリーを語る)ばかりの無教養な人」が少なくない。