ブランディングの後進国であることを示した「東京五輪エンブレム問題」/川崎 隆夫
2020年東京五輪・パラリンピックの大会組織委員会は、9月1日に記者会見を行い、佐野研二郎氏がデザインした五輪の公式エンブレムの使用を中止し、新たなデザインを再公募すると発表しました。佐野氏については連日のように数々の「模倣疑惑」が報道されていますので、今回の判断は妥当なものだといえるでしょう。
しかし新たなデザインを再公募するだけで、今回の「エンブレム騒動」を終わらせて良いのでしょうか? 筆者は今回の問題を、単に「ロゴマークの類似デザイン問題」として捉えるのではなく、もっと上位の概念である「CI」(コーポレートアイデンテイティ)の視点から捉えて、再度徹底的に検証する必要があると考えています。
■CI(コーポレートアイデンティティ)とはなにか
wikipediaによると、CIとは「企業文化を構築し特性や独自性を統一されたイメージやデザイン、またわかりやすいメッセージで発信し社会と共有することで存在価値を高めていく企業戦略のひとつ。」と定義されています。またCIは、企業ブランディング(コーポレートブランディング)領域における重要施策のひとつとしても知られています。
筆者が大会組織委員会の記者会見をテレビで視て気になったことは、大会組織委員長の説明がデザインの視覚領域や審査員に関する説明に留まり、CI的な見地から今回のエンブレム問題を捉えた発言が皆無であったことです。
一般企業においてロゴマークを新たな制作する作業は、通常は企業ブランディング領域のひとつであるCIに関する領域として捉えられ、企業理念やビジョン、企業戦略などを企業とクリエイター等が共有化した上で、以下のようなプロセスを経て、ロゴマークの開発等が行われます。
【CIの実施プロセス(例)】
1.事前調整・・・・・・・・・・・目的や手法の共有、プロジェクト委員会の形成
2.視覚監査・・・・・・・・・・・視覚物件の現状評価・案件のリスト化
3.業界/競合調査・・・・・・・・デザイン動向・ポジショニング
4.経営トップインタビュー・・・・視覚イメージの方向感に関するヒアリング
5.開発基準の設定・・・・・・・・調査/討議などによる方向感のすり合わせ
6.プレゼンテーション・・・・・・デザイン開発〜プレゼンテーション
7.展開デザインの開発・・・・・・各種物件への展開デザイン・展開ルール
8.運用基準づくり・・・・・・・・ブランドガイドライン、チェックシステム等
9.発表/啓蒙施策・・・・・・・・社内向けブランド小冊子、映像、イベント等
<株式会社リスキーブランドのHPから転載>
上記のように企業がロゴマークを一新する場合は、企業理念やビジョン、経営戦略等を企業とクリエイターが共有化した上で、社内外のステークホルダーに対する調査を実施し、デザイン開発の方向性・コンセプトを定めた後に、デザインの制作作業に取り掛かることが常となっています。
また大手企業がロゴマークを広く公募して、応募作の中から良いデザインのものを選んだなどという事例を、筆者は聞いたことがありません。それは至極当然のことであり、ロゴマークは企業のブランド戦略に関わる重要なツールであるため、企業理念やビジョン等との関連性が重要であり、単に「デザイン的に優れた作品」が良いとは限らないからです。
大会組織委員会がエンブレムのデザインを公募するのであれば、前述の「CIの実施プロセス」の1〜5について、組織委員会と審査委員会の間で十分な検討が為されていなければなりません。そうでないと、エンブレムが単なる「審査員の好み」によって選ばれてしまうリスクが高くなってしまうからです。
現に今回は、審査員8名のうち半数の4名が佐野氏のデザインを推し、残り4名の審査員の意見はバラバラであったとの報告が為されています。筆者の推測ですが、これは審査委員会の中で、前述の「CIの実施プロセス」の「4.開発基準の設定:調査/討議などによる方向感のすり合わせ」が不十分であったことに起因するもの、と思われます。
東京五輪・パラリンピックは、多額の税金が投入されている国家プロジェクトです。単純に、審査員の好みで「デザイン的に優れた作品を選ぶ」といった次元で良いはずがありません。一般のデザインコンテストなどとは、目的や影響度が根本的に異なるからです。
しかしながら、同じスキームでデザインの再公募が行われた場合、「類似デザイン問題」についてはクリアできるものの、「東京五輪・パラリンピック」の開催意義やコンセプトの訴求、及び「日本や東京の魅力を伝える」といった目的に合致したデザインが本当に選択されるのか、甚だ疑問を感じざるをえません。
■世界に訴求する「日本の魅力」の整理・分析
政府は、昨年の6月 17 日観光立国推進閣僚会議にて決定した「観光立国実現に向けたアクション・プログラム 2014」の中で、東京五輪・パラリンピックの開催について以下のように述べています。
「2020 年に向けて、2000 万人の高みを目指すためには、「2020 年五輪・パラリンピック東京大会」の開催という、またとない機会を 活かし、世界の人々を惹きつけて、東京のみならず、全国津々浦々に開催効果を波及させるべく、オリンピック・パラリンピック大会開催後も 地域が力強く発展していくためのレガシーを生み出しながら、世界に通用する魅力ある観光地域づくりを行うことが重要である。」
つまり政府は、東京五輪・パラリンピックを観光立国の実現に向けた重要な戦略施策のひとつとして位置づけているのです。よって、そのシンボルマークである「エンブレム」も、日本や東京の魅力、文化を世界にアピールするためのツールのひとつとして捉えるべきであり、単に再度公募を行って、「類似デザインのない、デザイン的に優れた作品」を選べばよい、という次元で語られるべきではないでしょう。
またネット上においては、一般の人が制作した新エンブレムのデザインが、数多く公開されています。その殆どに「和のテイスト」が感じられますが、東京五輪・パラリンピックは日本で開催されるため、至極当然のことだろうと思います。
もちろん日本の魅力は、単に「和のテイスト」だけにあるわけではありません。日本の魅力は様々な領域に点在しているわけですから、それらを一度整理してみる必要があるはずです。しかし今回、ベルギーのリエージュ劇場のロゴに酷似した佐野氏のデザインが、審査員から最高の評価を得て選ばれたことから、組織委員会、審査委員会の中で「エンブレムを通じて日本の魅力・文化を世界にアピールする」という共通認識の形成はもちろんのこと、「日本の魅力」の分析についても、十分に検討されていなかったのではないかと感じます
■組織委員会、審査委員会にブランディングの専門家を
以上のように、筆者は「エンブレムの再公募」については、単にエンブレムのデザインを再募集するのではなく、CIの見地から、前述の【CIの実施プロセス(例)】の中に記載されている「1〜5の作業」をしっかりと行った後に、デザインの公募を行うべきであると考えています。そのためには、組織委員会の中にCIや企業ブランディングに関する実務経験豊富な人材を投入し、ゼロからCIの作業を実践していく必要があります。
また審査委員会についても、現在はデザイナーばかりで構成していますが、今後はデザイナー以外にブランドマネジメントの専門家や企業経営者など、ブランディングの実務に精通している人材を加える必要があるでしょう。
今回のエンブレム問題は、「ブランディング」に関する実務領域において、日本が後進国であることを世界に示した事例であるといわれても仕方がありません。よって再発防止のためには、組織委員会、審査委員会ともにブランディングの実務経験者をメンバーに加えることが必須であり、併せて標準的なCIの実務プロセスに沿った作業を、しっかりと実践していく必要があると思います。