なぜ、名古屋の町工場が世界一の「鋳物ほうろう鍋」を開発できたのか?

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「バーミキュラ」の人気が沸騰している。「どんな鍋よりもおいしくつくれる鋳物ほうろう鍋」として評判を呼んでいる。

一見、競合他社のカラフルな鋳物ほうろう鍋と似た印象だが、どこがそんなに違うのか。

詳しくは後述するが、バーミキュラは極めて高い完成度で無水調理ができる、世界唯一の鋳物ほうろう鍋なのだ。まずはこの鍋が開発された経緯を含めて順に追っていくことにしよう。

バーミキュラを開発したのは、名古屋市の「愛知ドビー」。キッチン用具メーカーとして聞き慣れない名前だが、一体どんな会社なのか。

愛知ドビーの創業は1936年。従業員数55名の、いわば町工場だ。かつて、この地域が繊維産業で栄えていた頃は「ドビー織り」という模様を織る繊維機械をつくるメーカーだった。しかし繊維産業が衰退してからは、船舶やクレーン車といった産業機械の鋳物部品の製作にシフトする。鉄を溶かして型に入れて成型し、それに穴を開けたり削ったりして部品に仕上げ、大手メーカーに納品する。いわゆる下請けの鋳物業者だ。

「昨今は取引先からのコスト削減要求が厳しく、このままでは会社が潰れる危険性に脅かされるようになってきた。生き残るための次の一手を探らなければならなくなったのです」

そう語るのは社長の土方(ひじかた)邦裕さん。邦裕さんの前職は豊田通商の財務部門に勤める為替ディーラー。「半ば父に騙されて」社長を継いだのが2001年。家業については素人同然だったため、専門書を読み込んだり社外の諸先輩に教えを請うたりして、知識と技術を自らに叩き込んだという。

「下請けである以上、仕事がなくても、図面をもらうのをじっと待つしかありません。やがて、ドビー織り機械を製造していた頃のように、独自商品を持つ“メーカー”に返り咲きたいと思うようになりました。そうすれば、販売方法も含めて世の中に積極的に仕掛けていくことができる」

家業再生の方向性は見えた。しかし、その独自商品とは一体何なのか――。

「新規事業に投資するお金も時間もないので、うちがすでにもっている技術や強みを生かすしかない。必然的にそれは『鋳物商品の何か』です。社運を懸けるのにふさわしい、唯一無二の付加価値のある商品を早急につくる必要がありました」

大きな転機は06年に訪れた。トヨタ自動車の経理部門にいた弟の智晴さんが退職し、専務として合流したのだ。兄弟二人三脚の日々が始まった。

■うちの会社なら、この欠点を改善できる!

「鋳物とは何か、どんな特徴があるのか」を探るうちに、鋳物の遠赤外線効果が、食べ物をおいしくする作用をもつことを知る。程なくしてル・クルーゼやストウブといった、当時から人気を集めていた「鋳物ほうろう鍋」に行き着いた。鉄の「効果的な熱伝導」とほうろうのもつ「保温性」により、素材の旨味を引き出しやすい温度を維持して加熱できるのが、鋳物ほうろう鍋の特徴だ。

「鋳物は産業機械の部品というイメージが強かったので、本当に鋳物鍋だとおいしくできるのか、半信半疑でした。でも、実際に海外製の鋳物ほうろう鍋と、“無水調理”ができるステンレス製の鍋の両方で料理をしてみると、確かに鋳物ほうろう鍋のほうがおいしくできたんです」

だが世界的に評価が高かったのはビタクラフトなど無水調理のできるステンレス製鍋のほうだった。無水調理とは、水をほとんど加えず素材のもつ水分で加熱調理すること。蒸気を逃がさない密閉性の高い蓋が必要なため、加工しやすいステンレス製の多層鍋メーカーのお家芸だった。鋳物ほうろう鍋はミリ単位で精密に成型するのは難しく、鍋と蓋の間にわずかな隙間ができる。そこから蒸気が漏れるため、完全な無水調理はできないのだ。

「でも、この鋳物ほうろう鍋の欠点を、弊社なら改善できる、と気づいたのです」と、専務の智晴さんは言う。実は、愛知ドビーの大きな特徴は、「鉄を溶かして成型する鋳物鋳造」と「鋳物を削ったり穴を開けたりする精密機械加工」の、どちらもこなせること。さして高い技術ではないものの、両方ができる企業はとても少なかった。

「鍋と縁を削り、蓋の密閉性を極限まで高めれば、無水鍋と鋳物ほうろう鍋の長所を兼ね備えることができる。それはきっと『世界一、素材本来の旨味を引き出す鍋』になるはずだ。よし、僕たちが世界一の鍋をつくろうじゃないか!」

土方兄弟はそう決意した。バーミキュラ誕生の裏には、日本の中小企業の底力と再生のストーリーが隠されていたのだ。

バーミキュラの主な製造工程は以下の通り。

(1)鉄を鋳型に流し込み、成型する「鋳造」。
(2)鍋と蓋の密閉性を高めるために縁を削る「精密機械加工」。
(3)ほうろうの吹きつけ&焼成。

(2)など、「バーミキュラの肝」でもある密閉性を高める技術を確立するのにも1年ほどかかったが、予想以上に難航したのが、(3)だった。

「鋳物にほうろうを焼きつけるのは、とても難しい技術だったんです。黒の釉薬は簡単ですが、カラフルな色を吹きつける技術はフランスで開発されているのみで、日本ではほとんど実績がなかった。でもキッチンを彩る雑貨としてのニーズも考えると、カラフルな色はどうしても必要な要素でした」

ほうろうは約800℃で焼きつけるが、740℃近くになると、鋳物の組織に含まれる炭素が気化し表面にプクプクと泡ができてしまう。この泡をなくすため、鋳物材質の改善や、ほうろうを焼きつける緻密な塩梅を手探りする日々が続いた。そして1年半後、ついに日本で初めて鋳物にカラーほうろうをかける技術の開発に成功したのだ。コンセプトの決定から完成まで丸3年かかった。2010年初頭、満を持して販売を開始する。

価格を抑えるために卸業者は通さず、直販に限定。その代わり値引きはしないと決めた。料理ブロガーなど発信力のある人に試してもらったりはしたが、大々的な宣伝を打ったわけでもなかった。それでも口コミで噂が広まり、発売前から予約が殺到。今に至るまで予約待ち状態は継続中だ。

実際に愛知ドビーでバーミキュラでつくったカレーを食べさせてもらった。切った材料を鍋いっぱいに入れて弱火にかけておくだけで、野菜の甘さがぐんと際立つのに驚いた。主婦はもちろん、料理研究家やプロの料理人までバーミキュラに惚れ込む人が後を絶たないというのも頷ける。

バーミキュラは「メイド・イン・ジャパン」であることに誇りをもっている。品質を保つには、日本の職人の高い技術と繊細な勘を発揮して、1つずつ丁寧につくっていくしかない。それが大量生産できない最大の理由だ。

(文・中沢明子 撮影・岡村昌宏、鈴木浩介)