ハビエル・アギーレ監督

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 果たしてこれは、予定どおりなのだろうか。11月5日に発表された日本代表のメンバーは、率直に言って理解に苦しむ。

 遠藤と今野の復帰である。 

 所属クラブでの好調ぶりとパフォーマンスを見れば、代表に選出されてもおかしくない。5か月前までは名を連ねていたわけで、それから急激にうまくなることはないが、急激にレベルダウンすることもない。彼らは計算できる戦力だ。

 気になるには、アギーレ監督が「どこ」を見ているのかだ。

 2018年のロシアW杯へ向けた長期的視野に立っているなら、遠藤と今野の選出には首を傾げざるを得ない。4年後の遠藤は38歳で、今野は35歳である。2014年現在のレベルを保っているとしても、彼らに見劣りしないタレントを見つけることはできるはずだ。できないようでは困る。そもそもアギーレ指揮下の4試合で、遠藤と今野の不在を痛切に感じる場面はなかった。
 
 だとすれば、来年1月のアジアカップで結果を残すための時限的な復帰と考えるのが妥当だ。遠藤とともにプレーすることで、柴崎岳や田口泰士が学ぶところも多い。
もっとも、若手の指南役としてベテランを必要とするならば、チームの立ち上げ当初がふさわしい。年内最後のテストマッチで遠藤と今野を復帰させたのは、やはりアジアカップを見据えたものと考えていいだろう。
 
 アギーレの周辺に耳を澄ますと、彼と彼のスタッフは依然として選手の把握に努めている現実が浮かび上がってくる。そこでは、年齢も、プレーする国も関係ない。とりわけ海外組の招集に前のめりで、ザッケローニが呼ばなかった選手にも関心を示している。クラブでほとんど出場していない田中順也を9月、10月に招集したのも、そうした考えに基づいていたのだろう。
 
 個人的に危惧するのは、「テスト」の繰り返しによる目的の自然消滅である。

 コンフェデレーションズカップの出場権がかかるアジアカップは、結果を残さなければいけない大会である。僕はそのように理解しているのだが、選手の入れ替えが繰り返されている結果として、チームとしての練度が完全に置き去りにされている。

 アジアカップまでの6試合で、練度の高さを求めるのは間違っているかもしれない。そうだとしても、チームの核となる選手さえはっきりせず、コンセプトもぼんやりとしたままの現状は、あまりに物足りない。所属クラブで4−3−3に馴染んでいる選手が少ない現状では、クラブのやり方を代表へ生かすことも期待できないだろう。

 何よりも不満なのは、ブラジルW杯がまったく生かされていないことである。日本人選手の良さも、日本代表の良さも、ブラジルW杯の反省も、何ひとつ反映されないまま2014年が終わろうとしている。それもまた、アギーレが「どこ」を見ているのか分からない理由である。