守備の記録は例によって不十分ではある。しかしそれでもいろいろなことが見えてくる。

谷繁の守備記録。2012年まで。T-ERAはチームの防御率。CL-Rはリーグ順位。

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練習選手同然で入団した野村克也とは異なり、谷繁はドラフト1位のエリートだった。デビューの年から常に過半数以上の試合に出場してきた。高卒で、捕手というポジションでは稀有のことだ。

当初から強肩で鳴らし、盗塁阻止率は常に.350を上回っていた。とくに2001年には81回走られて44回刺している。阻止率.543。
中日へ移ったのは32歳の時だが、以後も肩はほとんど衰えていない。4割以上を4度も記録。2011年に.270と落ち込んだが昨年は.361と復活している。

RFは守備範囲を示す数字だが、中日に移籍してからの方が向上している。もっとも、捕手の場合、奪三振数が増えればRFが増えるので、軽軽な判断はできないが、少なくとも衰えていないということは言えよう。

T-ERAは谷繁が所属したチームの防御率。CL-Rはリーグ順位。
MLBには捕手防御率cERAという数値がある。その捕手が受けていた時の防御率だ。その捕手のリードを示す数字とされる。防御率は捕手だけで決まるわけではないから、信ぴょう性には疑問があるといわれるが、一応の目安にはなろう。NPBではcERAは出せないが、谷繁のような正捕手の場合、チームERAからある程度のことが言えそうだ。

谷繁が在籍した2球団でのERAは、横浜が3.96、リーグ平均順位は4.1位、中日が3.10、平均順位は1.8。
これでは谷繁が入団したからERAがよくなったとは言えない。良い投手がいる球団で捕手を務めたから数字が上がったという見方の方が妥当だろう。

しかし、谷繁が入団する前後での両球団の投手成績を比べれば、ある程度のことは言えそうだ。色つきの部分が谷繁在籍時。

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谷繁が抜けた横浜(DeNA)はERAが下落し、順位も落ちている。反対に中日は急上昇している。

2002年の中日への移籍は、バッテリーの強化を目指す山田久志監督(当時)の意向によると言われる。中日の正捕手だった中村武志は移籍を志願し、横浜へ。結果的に正捕手の交換トレードのようになった。

山田-落合中日は以後投手王国を築きポストシーズンの常連になるが、その要として谷繁の存在は大きかった。
横浜は以後、成績が下落している。

これらの事実関係を谷繁の移籍だけで説明できるとは思わないが、強豪チームを作る上で谷繁元信が不可欠なピースであることだけは間違いないと思う。