TPP(環太平洋経済連携協定)の「事前交渉」が、極めてまずい状況に陥りつつある。
 4月16日、ニュージーランドが日本のTPP交渉参加に向けた事前協議において、関税撤廃の例外を一切認めない方針を表明した。

 農業国であるニュージーランドにとって、現在、進行中のTPP交渉における国益は、アメリカ(日本ではない)に農産品の例外を認めさせないことだ。ニュージーランドが日本に対し農産品の例外を認めると、TPP交渉においてアメリカにも認めざるを得なくなってしまう。結果的に、ニュージーランドは日本の交渉参加に拒否姿勢を示しているのだ。
 とはいえ、日本政府はTPP交渉に参加しようとしている。そうなると、対ニュージーランドの交渉は、最終的にはどうなるだろうか。当たり前の話として、「日本のTPP交渉参加」と「日本の対ニュージーランドでの譲歩」が交換される形の交渉になってしまう。

 先日のアメリカとの協議でも明らかになった残酷な事実は、現在の日本政府が行っている交渉は「目的が非対称」であることだ。
 先方は「日本に譲歩させること」が目的であるにもかかわらず、こちらは「日本をTPP交渉に参加させてもらうこと」になってしまっているのだ。これでは、「交渉力」も何もあったものではない。

 もっとも、筆者が問題視しているのは対ニュージーランドの交渉の話ではない。対アメリカの協議である。何しろ、TPPとは日本が交渉に参加したとして、日米両国で全GDPの8割を占める。日本にとって、TPPとはあくまで対米問題なのである。
 先日の対米協議において、
 「自動車について、アメリカ側の関税はTPPで定められた最も長い期間である10年間は撤廃しないこと」
 「日本が書類上の審査だけで輸入を認める自動車台数を2000台から5000台に引き上げること」
 「かんぽ生命の新規業務を日本政府が当面は認可しないこと」
 といった「日本の譲歩」と引き換えに、アメリカ側は日本のTPP交渉参加を支持することになった。日本側の各種の譲歩と引き換えに得られたものは、「日本のTPP交渉参加容認」のみである。
 ちなみに農産品について、日本側は「センシティビティ(具体的には関税を撤廃できない農産品の分野があること)を認識させた」と主張しているが、アメリカ側の説明では一切触れられていない。別に、農産品について「関税の例外を認めさせた」という話でも何でもないのだ。

 非常に問題だと思うのは、上記の「協議結果」は、我が国がTPPに参加しようがしまいが「有効」になってしまうことだ。日本がTPPに参加せずとも、事前協議におけるアメリカとの合意は実質的なEPA(経済連携協定)として機能してしまう(日本の国会の批准は必要だが)。
 さらにまずいことに、日本とアメリカの「協議」は、今後も続けられる。外務省の「日米間の協議結果の確認に関する佐々江駐米大使発書簡」によると、「(日米)両国政府は、TPP交渉と並行して、保険、透明性/貿易円滑化、投資、知的財産権、規格・基準、政府調達、競争政策、急送便及び衛生植物検疫措置の分野における複数の鍵となる非関税措置に取り組むことを決定しました。これらの非関税措置に関する交渉は、日本がTPP交渉に参加した時点で開始されます」とのことである。

 連載第18回で解説したが、TPP、いやアメリカの「狙い」は、日本の農産品の市場だけではない。むしろ、金融サービス(保険など)や知的財産権、政府調達(公共事業など)、競争調達などの非関税障壁の撤廃、さらには「投資の自由化」がメイン・ターゲットなのである。
 便宜上「非関税障壁」と呼んでいるが、金融サービスや知財、公共事業などに関する「規制」とは、我が国固有の文化、伝統、慣習に則り制定された「法律」である。アメリカは自国企業の日本市場におけるビジネスを拡大するために、我が国に「法律を変えろ」と言ってきているのだ。

 最悪のケースは、「投資」について、アメリカの投資家の内国民待遇やISD条項が「非関税措置」として合意されてしまう事態だ。内国民待遇とは、ここでは「アメリカ国籍の投資家について、日本の投資家と同等に遇するか、もしくは優遇せよ」という話になる。
 さらに、ISDとは日本に投資した投資家が、我が国の規制により損害を受けた場合などに、世界銀行(アメリカの影響力が極めて強い)傘下の投資紛争解決国際センターに、日本政府を訴えることができるという仕組みである。

 日本が奇跡的にTPP交渉で「交渉力」を発揮し、過去の合意事項を覆していったとしても、同時並行的に行われる対米協議で上記の「非関税措置」について合意してしまうと、元の木阿弥となってしまう。
 アメリカ側としては、日本に各種の非関税障壁(と、彼らは呼んでいる)撤廃や投資の自由化、ISDの導入を並行協議で押し付けることができれば、
 「別に、日本はTPPに参加しなくても構わない」
 という話になってしまうのだ。
 何しろ、当初のアメリカ側の目的は達せられたことになるのである。

 率直に言って、筆者は安倍政権のTPPに関する交渉力について疑問視していた。妥結直前に「駆け込み」で交渉に参加する国が、過去の合意事項を覆すことなど不可能に近い。
 とはいえ、それ以前の問題として、日本がTPPに参加しなくても、アメリカとの協議次第では「国の形を変えられる」ほどの規制緩和、自由化を強いられることになってしまう。
 別に読者を煽りたいわけではないのだが、極めて厳しい事態になってきた。

三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。