■J1残留確定。躍進の陰に角田の活躍あり。
 10月2日、第28節仙台-C大阪戦。仙台はセットプレーで前半2得点を挙げ、終盤PKで失点するも2-1で勝利。昨シーズンは最終戦まで決めることのできなかったJ1残留を、なんと6試合を残した10月上旬にあっさりと決めた。シーズン当初の目標だった一桁順位もほぼ達成可能な状況にあり、チームはACL圏内の3位以上も狙おうとしている。

 東日本大震災の被害を受け、マルキーニョスが契約解除となった時には、暗澹たる空気も漂ったが、赤嶺真吾がチームのエースストライカーとして成長し自身タイ記録の12得点を挙げ、太田吉彰がFWとして活躍できるようになり、終盤に来て柳沢敦のコンディションが上がったことなどでマルキーニョスの穴は埋まり、チョビョングクらの加入で守備力も向上したことで、結果的にチームは上位へ躍進。「V-Shift」という高みを目指すべく掲げた今年のスローガンは達成されつつあると見て良いであろう。

 この躍進を支えた選手の一人として挙げられるのが角田誠だ。角田は出場停止・負傷で欠場した2試合を除く26試合に出場。ボランチの不動のレギュラーに定着した。加入当初は屈強なフィジカルを武器とした守備が評価されたが、徐々に上がって行ってミドルシュートを決めるなど、攻撃面でも評価を上げ、ここ数試合では的確なパス出しによるゲームメイクの部分でも冴えを見せている。今の角田は仙台の守備のみならず攻撃をもレベルアップさせていると言えるだろう。

■もう一皮剥けたい、と仙台への移籍を決意
 角田は京都のアカデミー出身でユース年代の代表選手としても活躍し、将来を嘱望されてきた。しかし、一度名古屋に移籍し、再び京都に戻るという移籍を繰り返す中、パフォーマンスが安定しないシーズンもあり、フル代表を狙うには至らなかった。また、ポジションも当初はセンターバックだったが、サイドバックなどでプレーすることもあり、昨シーズンの京都では加藤久監督の方針の下、ボランチやサイドハーフなど高い位置でプレーすることもあった。そして角田は2011年、仙台への移籍を決意した。

 角田は新加入会見で仙台への移籍に際しては「正直、今回の移籍はかなり悩んだ。しかし、仙台がこれから目指すものもあって、僕自身ももう一皮剥けたいと思って、その考えが一致した」と悩みながらも、自身のさらなるパフォーマンス向上を目指し、移籍を決意したと語った。ただ移籍を決めてからの決意は相当なもので、見知らぬチームへの不安があるのではないかと聞くと「このくらいの年齢になるとやることはわかっている。名古屋に移籍してきた時とは心境が違う」と強い決意を語った。

 上述のように角田は様々なポジションをこなし、ユーティリティな選手としても活躍したが、仙台では当初からボランチとしての起用を考えていたようだ。角田は「自分はボランチという言葉は守備的なイメージがあって好きではない。今のボランチは前にも出るので、プレミアリーグのような『セントラルMF』という考え方」と既に中盤でのプレーイメージを膨らませていた。

■仙台の基本技術の高さに驚く
 1月の合流初日、感想を聞くと「思った以上にみんな基本技術がしっかりしている。悪い印象は全然無い」と想像以上に仙台の選手の基本技術が高いことに驚いたようだった。仙台は堅守速攻のイメージが強いが、普段の練習は長いボールを蹴ってばかりではない。ほぼ毎日ポゼッション練習を行っており、パス練習やシュート練習にも様々な工夫を凝らしている。外から見た仙台と、実際に中に入って見てのギャップは感じていたようだ。

 震災を経て中断明けの川崎戦を前にした4月の関東キャンプでも、「仙台の攻撃のクオリティは高い。僕は主に守備から。そこから先はセキ(関口訓充)、リャン(梁勇基)、(富田)晋伍にボールを預ければ何かが起きる」と仙台の攻撃陣への信頼を口にしている。