引退後の今もなお、彼の華麗なゴールは世界中のサッカーファンの脳裏に刻まれている。1994年にはその圧倒的なシュートスキルでセレソンを世界一へと導いた。魅惑的なプレーの背景にあった哲学、独自のサッカー観などについて、ロマーリオが語る。

ワールドサッカーキング 11.08.04(No.185掲載]
インタビュー・文=マウリシオ・サヴァレーセ、構成=宇都宮浩


 速く、激しく、カリスマ的。現役時代のロマーリオはゴールを奪うだけでなく、そのプロセスにおいても常に観衆を魅了するストライカーだった。時に、大胆不敵な言動で問題児扱いされることも多かった彼は、引退後も政治家の道を選択して周囲を驚かせた。現在、43歳。議員となった彼が忙しいスケジュールの合間を縫って取材に応じた。独特の尊大さやユーモアは失わず、思慮深さも感じさせたインタビュー。そのプレーの背景にあった思想、ワールドカップでの戦い、父に対する想いなどを語った。
「俺はバルセロナを愛していた。でもリオが恋しかったんだ」

オランダやスペイン、ブラジル以外の国でプレーするチャンスもあったのでは?
ロマーリオ──1999年に、監督のボビー・ロブソンがPSVを離れてイングランドに行った。その後、俺にイングランドへ来ないかと誘ってくれた。クラブの名前は覚えていないけどね。でも、俺としてはリオに残りたいと思ったことを覚えている(ロブソンは1999年から2004年までニューカッスルの監督を務めた)。リオは俺が良い気分でいられる場所だからね。ただ、俺はイングランドでも良いプレーができたと思う。どんな場所でもフットボールはフットボールだし、ゴールはゴールだ。

長くヨーロッパにとどまらなかったことを後悔している? なぜ、世界最高の選手としてのステータスを捨てて、バルセロナを離れ、フラメンゴのためにブラジルに戻ったのだろうか?
ロマーリオ──俺はバルセロナを愛していた。でも、リオが恋しかった。バルセロナは、リオ以外の場所で唯一、住んでいて楽しかった場所だ。でも、両親や友達の多くがリオにいる。俺は愛する人たちを必要としていた。ビーチや音楽が必要だったんだ。それが馬鹿げたことに聞こえるのは分かっている。多くの問題を抱えるクラブばかりのブラジルでプレーするために、世界最大のクラブを離れたんだからね。でも、俺はリオで幸せになりたかった。自分の人生がリオにあるのを分かっていたんだ。バルセロナでは大金を稼いだし、長い間、契約を延長することもできた。うれしいのは、バルセロナの人たちが俺の決断に理解を示してくれたことだ。今では、ヨーロッパで過ごすため、10年以上も南米を離れる選手が多い。だが、当時のブラジル人選手はそんな風に考えなかったもんだ。

君はかつて「いつでも夜は友達だ」と話していた。年を取るにつれて、その考えは変化した? 最近も夜遊びをしている?
ロマーリオ──年を取るに連れて、物事は変わるものだ。娘のアイビーが俺を大きく変えた。時々、出掛けることはあるけど、今は家にいるのが好きだな。もし妻に会うのが何年か早かったら、俺はこんなに間違いを犯さなかったと思う。俺には子供が6人いるけど、もっとたくさんの子供ができていたかもしれないな(笑)。彼らは俺に、家にいる理由を与えてくれる。

君はフットボールの世界を離れた今、政治に関わっている。これには多くの人が驚いているけど、政治の世界にはもう慣れた? 政治の世界とフットボールの世界を比較して、今、どう感じているだろう?
ロマーリオ──2月の初めから、連邦議会議員として働き始めている。これは俺の初めての挑戦だ。特別な助けが必要な子供たちを支えたいんだ。俺は、自分には政治に関わることができるだけの賢さがあると信じている。今の同僚が、俺がフットボール選手だったからじゃなく、議員として敬意を抱いてくれると確信しているよ。

「ペナルティーエリアの天才として、記憶しておいてほしい」

君を最も理解してくれた監督は誰だろう? 君にとってベストの監督は誰だった?
ロマーリオ──2人いる。まずは(ヨハン)クライフ。バルセロナでは、あたかも彼が俺のそばでプレーしているかのような感じだった。彼は欠点を理解し、長所を伸ばすことができる。ピッチの中でも外でも最高の存在の1人だ。もう1人の監督は、ジョエル・サンターナだな(ロマーリオをヴァスコ・ダ・ガマとフラメンゴ、フルミネンセで指導した)。彼は試合を読む方法を知っていたし、試合を変えることができる監督だった。

君はジョゼップ・グアルディオラとプレーしていた。彼が監督になったことには驚いた? それとも、予想していたことだろうか?
ロマーリオ──彼は俺が見た中でも偉大な守備的MFの1人だ。リーダーシップ、スキル、力強さ、頭の良さ……。ペップ(グアルディオラの愛称)は選手としてすべてを持っていた。それに、彼はクライフから学んだ。彼は最高の存在から学んだわけだから、偉大な監督になることは分かっていた。ペップは常に素晴らしいフットボールを大事にしていると思う。

影響を受けた選手やヒーローと捉えていた選手は?
ロマーリオ──ヒーローはいなかったな。父親を除いてね。彼は俺の師匠でもあった。でも、子供の頃は、レイナウドのプレーを見ることが好きだったな。彼はアトレチコ・ミネイロでプレーしていた。セレソンのメンバーとして出場した1978年のワールドカップではいま一つだったけど、俺は彼の能力や知性をたたえているよ。彼のスタイルが俺を刺激することはなかったけど、聡明なFWで、俺はとても好きだった。

お父さんが望んだために、君はアメリカFCで1試合プレーした。お父さんは君にどれほど大きな影響を与えたのだろう?
ロマーリオ──父は俺の師匠だ。俺は人間として彼に大きな借りがある。選手としてもね。彼は多くの人がそうでなかった時でも、本当に俺を信頼してくれたし、俺のそばにいてくれた。俺が知っている良いことのほとんどを教えてくれたのは彼だ。俺の人生で父と比較できる人間なんていない。神様は父を連れて行ってしまったけど、今でも彼が俺を支えてくれていることは知っている。彼はどこにいようと、俺のために泣いてくれて、俺とともに笑ってくれているって分かっている。

最後に、君はフットボール選手としてどのように記憶されていたいだろう?
ロマーリオ──「ペナルティーエリアの天才」かな。これはクライフの表現だけど、俺にとってはうれしいフレーズだ。あのエリアで俺に匹敵するのは、サッカーの歴史上、ペレだけだと思っている。
【浅野祐介@asasukeno】1976年生まれ。『STREET JACK』、『Men's JOKER』でファッション誌の編集を5年。その後、『WORLD SOCCER KING』の副編集長を経て、『SOCCER KING(twitterアカウントはSoccerKingJP)』の編集長に就任。『SOCCER GAME KING』ではグラビアページを担当。