もちろんリーグの上位を比べれば、ポルトガルが凌駕しているだろうが、ドイツ進出の決断は環境がポイントとなった。

「ポルトガルは、あまり(組織が)しっかりしている国ではなかった。それに比べると、ドイツは環境に恵まれている。だからハセ(長谷部誠=ボルフスブルグ)とも話してみて決めました」

もともと1ヶ所に止まらず、いろんな国でやってみたいという願望があった。ドイツなら2部でも多くの試合でスタジアムが埋まるし、ヘルタ・ベルリンなどは軽く4〜5万人を動員する。

「他にそんな国はありえない。今は2部だけど、ここでしっかりとプレーして可能性を広げたいと思います」

■最たる成功例、香川真司
かつてドイツ人は、日本のことを「アジアのプロイセン(18世紀から20世紀初頭に栄えたドイツ北部からポーランド西部までの国)」と呼んだそうである。それほどドイツ人と日本人の性格は似ているが、反面サッカーに目を転じると持ち味が異なる。体格が対照的で、パワフルなドイツに対し、日本の選手たちは精緻な技術を誇る。つまりドイツという馴染み易い環境で、異質を提供しているのが日本で、その最たる成功例が香川真司なのだろう。

21日ヨーロッパリーグ、対パリ・サンジェルマン戦でも、スタメンで出場し、元フランス代表の大ベテラン、クロード・マケレレとマッチアップする形になったが、小刻みに視野から外れてボールを受けると、相手の裏をかいて適切なパスを送り、何度も拍手を誘った。

「ディフェンスラインは、それほど絞っていたわけでもないし、裏のスペースはあって、チャンスは作れていた」(香川)

そういう意味では64分の交代は不満そうだったが、ベンチに下がる時はスタンディング・オベーションだった。

一方シャルケ04に加入した内田篤人も、スタメンに定着しつつある。ただしまだ不動ではないせいか、多少ブレーキがかかり、無難なプレーを優先しているように映る。フランクフルト戦では、左サイドに位置するトルコ代表ハリル・アルティントップとマッチアップ。高い位置取りでカウンターの好機に絡んだ反面、1対1で振り切られ、決定機も作られた。

だが香川も内田も、21〜22歳でドイツ名門のレギュラーを掴んでいる。次の移籍でステップアップできるようなら、日本選手未踏の領域まで到達できる可能性を秘めている。いずれにしても、比較的精度の高いテクニックが養われたJリーガーにとって、ブンデスリーガは格好な登竜門と言えそうである。

※編集部注:チョンテセは、韓国籍のまま北朝鮮のパスポートを取得して、北朝鮮代表でプレーしている。

※このコラムは、10月29日に携帯版へ掲載したものの再掲です。


■Jマガアーカイブスとは?
携帯サイト『サッカーを読む!Jマガ』上の厳選コラムを、掲載していくコーナーです。

■著者プロフィール
加部究

1958年生まれ。東京都出身。立教大学を卒業後、スポーツニッポンへ入社。ワールドカップを取材するため会社を3年で退職。以降、1986年メキシコワールドカップから6大会連続で取材を行っている。近著に『ワールドカップ全史』(コスミック出版)がある。

携帯版閲覧方法
『サッカーを読む! Jマガ』公式携帯サイト

QRコードでのアクセス
docomo_qr



携帯各キャリア・メニューからのアクセス
・docomo:iMenu → メニューリスト → スポーツ → サッカー→【サッカーを読む!Jマガ】
・au:au oneトップメニュー → スポーツ・レジャー → サッカー →【サッカーを読む!Jマガ】
・SoftBank:Yahoo!ケータイ → メニューリスト → スポーツ → サッカー →【サッカーを読む!Jマガ】


【関連記事】
水戸ホーリーホック・木山隆之監督インタビュー「水戸での3年間を振り返って」【佐藤拓也】
11月23日のJリーグ・J1第32節
「智将・松田浩とともに成長する栃木SC」第12回【鈴木康浩】
2010・日本フットボールリーグ、天王山【浦山 利史】
横浜FC・岸野靖之監督インタビュー
FC町田ゼルビア・守屋実代表インタビュー【佐藤拓也】