C・ロナウドのポルトガルがトルコを順当に破った<br>【photo by DPPI/PHOTO KISHIMOTO】

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 岡田ジャパンがアウェーで、オマーンと引き分けたのとほぼ同じタイミングで、EURO2008が始まった。協会のお偉いサンは、その1−1の引き分けを「評価できる」と語ったそうだが、何に照らして評価できると言っているのだろうか。

 3次予選突破なのか。本大会進出なのか。W杯ベスト16なのか。はたまた、岡田サンがブチあげたベスト4なのか。ここに来て、日本代表の目標は、すっかりボヤけてしまったような気がしてならない。前回のジーコジャパンとまったく同じ道を辿っている。そこの所をハッキリさせないと、岡田ジャパンの善し悪しは語れない。観戦のポイントも見えてこない。そこに触れて欲しくない人たちのペースに、次第にはまりつつあるというべきだろう。気をつけなければならない。

 目標を設定するためには、確固とした世界観がなにより必要になる。しかし日本のサッカー界に、それをキチンと語れる人はどれほどいるだろうか。協会の中では、先日、アドバイザー契約をしたオシムぐらいしか見当たらない。そこがこの世界の最大の問題だと思う。

 そのオシムもユーロの観戦に現地に訪れている。オーストリアにある自宅から、各会場にせっせと通うつもりらしい。協会の日本人スタッフはどうなのだろうか。ユーロとどう向き合うつもりなのか。少なくとも僕は、ユーロやチャンピオンズリーグの現場で、過去に見かけた試しはない。世界観を語れないワケはそこにある。外務省不在。外交官不在。代表監督が岡田サンになってしまった理由でもある。関係者が集うそうした場所に、積極的に顔を出さなければ、外国人監督を、自らの力で探すことは難しい。知り合いの絶対数が、少ないことが、いまの日本の好ましからざる状況を作り出してしまっている。

 いま僕は、チューリッヒのホテルでこの原稿を書いているのだが、混沌とした日本がとても空しく感じられる。ユーロに出場している16か国と、日本が互角に戦える日はいったいいつ訪れるのだろうか。正直、日本がとても遠い国に感じられる。

 昨日はジュネーブで、ポルトガル対トルコの試合を観戦した。いまいちパッとしないトルコを眺めていると、ピッチに描かれるデザインが、日本に近いことが明らかになる。ポルトガルは逆に非日本的。抽象的な言い方をすれば、トルコのサッカーは猫背で、姿勢の良いポルトガルと比べると、姿勢の悪さが目立った。両肩が張れていないので、背筋が伸びてこないのだ。胸の透くような若々しさに欠けるサッカーなのだ。これでは番狂わせは起きない。

 試合後、ジュネーブ23時45分発の特別列車で、チューリッヒに向かったわけだが、そこで感心させられたのは、乗車券がタダだという点だ。報道陣はファーストクラスが、観客はセカンドクラスに、お金を払わずに乗ることができる。トラムやバスなど、市内交通なら分からないでもないが、試合当日は、国内全ての乗り物がタダになる。さすが鉄道の国、スイスだ。車内には、電源コンセントも完備されているし、ワイヤレスランも飛んでいる。ジュネーブ〜チューリッヒのおよそ3時間の旅は、抜群の快適さだった。

 チューリッヒ中央駅到着は深夜2時42分。僕のホテルは、郊外にあるので、普通ならそこからタクシーを利用するしか手はないが、鉄道の国、スイスは違う。大会期間中は、真夜中でも市内交通を動かしているのだ。しかも繰り返すが値段はタダ。駅には係員も大量に配備されているので、外国から来たファンも安心して観戦旅行ができる仕組みだ。

 日本ももう一度オリンピックやワールドカップを開催したいというのなら、このホスピタリティは見習うべきである。2016年、東京五輪の招致委員会の人は、視察に来ているのだろうか。目を見張るべき点は、サッカーの中身だけではない。ピッチに描かれるデザインだけではない。大会2日目にして、僕は早くもユーロの旅に快適さを見いだしている。


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