5部リーグ(関東リーグ1部)での再スタートとなった4月1日の今季開幕戦@浦安陸上競技場に臨むブリオベッカ浦安 ©️PICSPORT
5月から6月は、調子を崩す人が多い時期だという。新年度スタートから精神的に落ち着かない。そこにゴールデンウィークでワンブレイクが入る。するとリズムが整わなくなる。

あるいはこういう悩みもあるのではないか。受験や就職活動で第一志望に行けなかった。なんとか自分を納得させ、4月には新たな門をくぐった。しかし1カ月経ってもやっぱり馴染めない……そこに梅雨がやってくる。

そんな時こそ、彼らの姿を。ブリオベッカ浦安。

1983年の高校選手権決勝などで山梨・韮崎高のドリブラーとして衝撃を与えた羽中田昌監督率いるチームは、現監督就任前の去年まで4部相当のJFLにいた。しかし”まさか”の展開が続き2017年秋にあえなく降格の憂き目に。だが、この春からの5部リーグ(関東リーグ1部)での戦いを受け容れ、とにかく前を見て戦う。彼らはどんな日々を過ごしているのか。千葉県浦安市の練習場、試合会場で話を聞いた。

撮影 岸本勉 中村博之(PICSPORT)/動画編集 田坂友暁/取材・原稿 吉崎エイジーニョ



最寄り駅はJR京葉線・舞浜駅。
クラブ公式サイトにはこう記されている。ホームスタジアム「浦安陸上競技場」に向かうためには、ディズニーランド隣接のイクスピアリを抜けていくのもよいルートだ。

スタジアムの周辺にはリゾート地を思わせるヤシの木。すぐ先には東京湾も見える。2−1で勝利した4月1日のリーグ開幕戦後には会場付近でユニフォーム 姿のままの選手とファンが談笑するシーンも見られた。ホームゲーム恒例の「お見送り」だ。「選手もファンも楽しんでいます。だから浦陸のスタジアムも楽しい雰囲気が味わえると思うんですよ。それを楽しんでいただければ」(羽中田昌監督)

今季開幕戦(さいたまSC戦)でのゴールに喜ぶ浦安の選手たち(青)

夢の国。あたたかい風景。
ブリオベッカ浦安のホームタウン千葉県浦安市にはJリーグクラブが羨むような恵まれた環境がある。人口約16万人。東京駅から20分強の距離にある。それでいてホームタウンエリアが重複するようなチームは少ない。
浦安周辺には企業が多い点もかなり恵まれている。「ジョブ支援」が採用されている。選手の多くが午前中にトレーニングをし、午後に働きにいく体制をサポートしてくれる。

加えて、近くにはディズニーランドがある。年間約3000万人を動員する超有名施設からの誘導も望める。

キャプテンの富塚隼はこの街で生まれ育ち、小学校2年生の頃チームに入団。以降、ユース、トップチームと昇格した。

「ディズニーランドは子供の頃からキャッキャ言っていた場所です。その横でまさか試合ができるとは思っていなかったんで、まさに夢のような気持ちですね」

一つのクラブで16年以上プレーする。Jリーグクラブにもなかなかいない存在だ。それほどに幸せな時間を過ごしている。

「小学校2年生のときにここでやっていた友達に『一緒にやろうよ』と誘われて、なんとなく入団したんです。母も自転車で行けるから、と理解してくれた。練習ではミニゲームばかりやってました。それがサッカーの楽しみだからと。今、トップチームのチームメイト・秋葉勇志さんは当時高校生コーチでした。一緒にボールを蹴った思い出がありますね。まさかこんなに長くここにいられるとは…」

クラブ初の下部組織出身のプロ契約選手は、昼間にユースチームのコーチを務めながら、選手生活を続ける。

キャプテンの富塚隼。「このチームが一番好きだということには自信があります」


まさかの降格。「負け始めた時に上手く考えられなかった」



しかしそんな夢の世界にも、”現実”が待つ。
ブリオベッカは昨季、降格を喫したチームなのだ。
 
1989年に少年サッカーのチーム「浦安JSC」として発足した歴史あるクラブ。00年にトップチーム(成人男性の部)を発足させた。千葉県3部リーグ(当時8部)からコツコツと16年かけて4部のJFLまで昇格し、2014年には”ブリオベッカ”に名称変更。その後、天皇杯3回戦で浦和レッズと対戦したり、元日本代表の都並敏史氏をブレーンに迎えるなど、クラブ体制を整えてきた。いつの日か、Jリーグに。そんな絵もおぼろげながらに見えてきた。

しかし2017年シーズン、夢へ向けた道のりが逆行を余儀なくされる。

JFLでシーズン通算6勝8分16敗。16チーム中15位に終わった。14位との勝ち点差わずか1で、降格の憂き目に遭った。

本当に1つのゴールが決まっていれば、あるいは1つのゴールを止めていれば展開は違った。チームはシーズンの半ば過ぎ、7月30日から10月22日まで9試合連続未勝利の記録を刻んでしまった。富塚はシーズンの苦しみをこう振り返る。

「うまく千葉県1部、関東2部、1部と上がっていたので、勝ちグセがついていたのですが、負け始めた時に『こうしたらいいだろう』ということを上手く考えることができなかったんです」
 
笠松亮太はヴェルディユース、慶應大(キャプテン)とエリートコースを歩み、FC琉球を経て2014年にまだJFL昇格前(関東リーグ時代)のチームに加わった。

2017年のJFLでの苦しみをこう振り返る。

「サッカー人生のなかでもここまで勝てないということは初めてでした。内容はそこまで悪くないのに、大事なところで失点をして、点が取れなくて、勝てないという。すごくもがいたシーズンで」

選手内や監督と意見をぶつけあった結果、言い合いのような形になることも幾度かあった。笠松が続ける。

「すごく迷いもあって。チームの中の雰囲気も悪くしようと思っていないんですが、どうしても悪くなっていって。何がいけなかったのかなって、すごく難しいシーズンでした。ひとつひとつの甘さ、練習の中での甘さ。それがいけなかったと今は捉えています」

最後の3戦に3連勝し、必死の追い上げを見せた。順位を一つ上げ、15位に。場合によっては残留の可能性がある順位だった。上位チームが一つ上のJ3リーグに昇格できればよかったのだが……1位、2位のチーム(Honda FC,ラインメール青森)ともに昇格に関するライセンス(スタジアム環境など)を有さなかったため、これも叶わず。

結果、今季から、ひとつ下のカテゴリー、関東リーグ(5部相当)での戦いを余儀なくされている。

「落ちた時は凹みましたし、サッカーからちょっと離れたかったです」(富塚)

笠松は「精神的にかなりきつかった」。なにせ2014年に加入した頃のカテゴリーに逆戻りせねばならなかったのだ。

降格を喫したチームに、選手の大量退団が追い討ちをかけた。

徹底的に休むこと、そして観点を変えること。



それでも日々は続く。気持ちを切り替え、現実の戦いに挑まなくてはならない。

富塚は徹底的に休み、気持ちを新たにした。

「しばらく休んで、『やっぱりやりたいな』『緊張感のあるところで戦いたいな』と思ったんです。結局、落ちたのは誰が悪いのかと言うと、自分なので。自分にベクトルを向けました。もう一回、自分のせいなんだから、自分で取り返さないとダメだなと。やっぱり、自分はこのチームが好きなんで、JFLに戻すという気持ちが、自分の体を動かしてくれましたね」

今年29歳の笠松は引退を考えてもおかしくはない年齢だ。慶應大出身ということもあり、かつてのチームメイトにはJリーガーや大手企業に勤める者もいる。自身は5部で、午前の練習後、午後からは会計事務所で事務作業を手伝う仕事を続ける。

「いろんなコンプレックスはあるんですけど、そういうなかでも、自分自身、サッカーをこの歳でやれているのは色んな人のサポートがあってのこと。自分だけではやってこれなかったと思うんです。やめるのはいつでも簡単なこと。でも自分自身はまだ上に行きたいですし」

DF笠松亮太。2014年のチーム加入時には熱烈なオファーを受け、「自分が求められていると感じた」。

5部リーグでの戦いはけっして、”望む場所”ではないかもしれない。しかし、笠松は観点を変えて考えてみた。そこに立てることだって、じつは周囲の支えがあってのことなのだと。

「立てない人もたくさんいると思うんですよ。見方を変えると、そこにいることがすごく幸せなことかもしれない。上に行ける人は一握りかもしれない。だからといってこのカテゴリーにいることがダメなのかというと、自分はそうは思わない」

観点を変える。富塚も同様の考え方をしていた。

「やろうと決めたら、やれる環境があるじゃないか、と。環境は整っているし、練習場もあるし。チームも契約すると言ってくれている。ならば自分の人生をかけてもう一度、やってやろうという気持ちになりました」

落ち込んでる時間なんて、もったいない。



2018年になり、5部相当の関東リーグ1部での戦いが始まった。目標ははっきりと決まっている。

「間違いなく、JFLに戻るのが絶対的な目標です。逆にJFLから落ちて、もしかしたら去年以上に応援してくださる人が多いのではと感じています」(笠松)

セットプレー前のポジショニング争い。綿密な分析、トレーニングをもって毎週の試合に臨む

昨年までのJFLではホームの浦安陸上競技場のピッチが人工芝なため、リーグ側から使用許可が下りず、同県内の柏でのホームゲーム開催を余儀なくされた。しかし降格した今季からは、下部カテゴリーのため人工芝が許容範囲に。浦安での試合開催が可能になった。「おかえり」と言ってくれる地元ファンもいるという。

しかし、またしても思ったようにはいかないことは起きる。

5月6日時点でリーグ戦5試合を戦い、3位につけるもののすでに2敗を喫した。上位リーグとの対戦を望めた天皇杯の千葉県大会決勝では、同じ関東リーグのVONDS市原の前に敗れてしまった。

ヘコんで当然だ。あるいは不貞腐れることも。なにせ昨年あと1ゴールを決めるか、守っていればこの場所にはいなかったかもしれないのだ。入試で言えば「あと一問でも正解していれば、合格したはずなのに」という話だ。しかも落ちた場所で負けてしまうのだ。

それでもブリオベッカは現実を受け容れ、前に進む。
今季からコーチに就任した鈴井智彦は、サッカー専門誌編集部勤務、ヨーロッパでのカメラマン活動を経て、指導者に転身。フリーランスとして一人で仕事に取り組む日々を経て、再び皆で戦える喜びを胸に「サッカー漬け」の日々を過ごす。

「なかなかガッツポーズして、叫んで、喜べるというのは、大人になってからはないじゃないですか(鈴井は1972年生まれ)。一番うれしいのは勝った時。第3節の流通経済大学FC戦では90分まで同点で、最後にゴールを決めて、勝った。一週間ずっと分析して、トレーニングして、その結果勝つという喜びは何にも替えがたいですよ」

今季開幕戦@浦安陸上競技場で羽中田監督(左)をサポートする鈴井。大分トリニータU-18などでのコーチ歴がある

その鈴井をチームに招き入れたのが、今季から監督に就任した羽中田昌だ。高校時代、山梨の名門韮崎高で伝説的なドリブラーとして名を馳せ、3年連続高校選手権ベスト4以上の実績を持つ。指導者としては後にJ2に昇格するカマタマーレ讃岐などでの指導実績がある。

「このステージになったからどうのこうの、選手たちがモチベーションが下がっているからどうのこうの、というのは考えたことがないです。サッカーを楽しんでもらう、目の前を楽しんでもらう。楽しんでもらうためには、俺が考えていること、浦安の目指すべきサッカーを受け容れてもらう。順応してもらう努力をしてもらう。日々、その努力をして、楽しんでもらって、今日がある。ただそれだけですよね」

どんなに苦しくとも、楽しまなければいい結果には繋がらない。羽中田にはそんな哲学がある。

「もったいないじゃないですか。せっかくサッカーやってて、サッカー楽しめなかったら。どこのカテゴリーだろうが、楽しんでいなかったら、楽しんでいく努力をみんなでやっていくべきだし」

試合中、テクニカルエリアで選手に声をかける羽中田監督。 今季開幕戦@浦安陸上競技場

楽しむ努力。自身は高校時代は、サッカー漫画の主人公のモチーフになるほどの華麗なプレーヤーとして知られたが、大学受験浪人時の交通事故で脊椎を損傷。車椅子での生活を余儀なくされた。時を経て、たった今を楽しむ努力を続ける。

「落ち込む時間があれば楽しんだほうがいいですよ。せっかく生きていて、人生で落ち込む時間があるのなら、楽しめよっていうことですよ。もったいないじゃないですか」


自身は1983年の事故後、サッカー界から離れ山梨で公務員生活を送っていたが、93年のJリーグ開幕を機にサッカーへの情熱が再び沸き起こり、退職。 指導者を志し、バルセロナに移住した経歴を持つ

「4秒ルール」に取り組むチーム



落ち込む時間がもったいない。それはピッチ上での出来事にも繋がる。

ミスに落ち込んでいる間に相手にパスを回され、ゴールに迫られる。羽中田は今季のチームにボールを奪われたら「4秒で取り返す」という点に取り組んでいる。また奪い返した場合も「4秒で速攻を仕掛けるかの判断」をし、ダメならばパスを組み立て直せ、と。ひとたびピッチに立ったのなら、徹底的に切り替えをやれという話でもある。

徹底的にヘコんで、ヘコむ時期が終われば前を向く。観点を変えて自分らの立場に感謝してみる。気持ちが切り替わったのなら、徹底的に楽しむ。ミスを引きず、すぐ取り返す努力をする。2018年5月、チームはそうやって時を過ごしている。

夢はどこか遠い世界にあるのではないのだ。
現実を積み上げた先の場所にある。

今日を戦うブリオベッカ浦安の姿をディズニーランドの真横で眺め、そんなことも思った。



<プロフィール>
ブリオベッカ浦安

1989年に「浦安ジュニアサッカークラブ」として設立。もともとは企業が支援するジュニア世代のサッカーチームがあったが、撤退したため消滅の危機に。保護者が存続を目指した年を設立年としている。クラブの目標は、厳密に言うと「Jリーグ昇格」よりもまずは「地域のジュニアを原点として世界で活躍できる選手を育成し」、「浦安および周辺地域市民が成長を見守りながら応援できる、地域に愛されるチームを目指す」としている。現在、トップからジュニアまで約230人が在籍する。トップチームのホームゲームには多くのジュニア選手が観戦に訪れる。