セレッソ大阪は17日、1994年から1996年5月までC大阪初代監督として同クラブを率いたパウロ・エミリオ氏(80)が亡くなったことをクラブの公式サイトで発表した。

▽パウロ・エミリオ氏は、1994年にJFLに所属していたC大阪の監督に就任すると、1年でチームをリーグ優勝に導き、Jリーグへの昇格を果たした。また同年の天皇杯では、JFL所属クラブながら、ヴェルディ川崎(現・東京V)や浦和レッズ、横浜マリノス(現・横浜FM)に勝利し、準優勝に導いた。

▽C大阪の玉田稔社長とC大阪チーム統括部の森島寛晃氏がチームの公式サイトに以下のコメントを残している。

【玉田稔社長 コメント】

「大変懐かしい名前をこのような事で聞き本当に残念に思います。セレッソとして初めて臨んだ1994年のJFLでは『チームはファミリー』という言葉でクラブ、チームが一丸となって優勝を果たし、Jリーグ昇格を決めたことがつい先日のように思い起こされます。天皇杯の決勝までの大躍進も良い思い出ですが、エミリオ監督のためにも何としてもJ1昇格に向けて一丸となって戦うことが大切です。ご冥福をお祈りいたします。エミリオさんありがとうございました」

【森島寛晃 コメント】

セレッソ大阪Jリーグを目指して共に戦ったパウロ・エミリオさんが亡くなられたと聞き、とてもビックリし、とても残念な気持ちでいっぱいです。今でも自分のプロキャリアを積んでいく中で、セレッソ大阪というチームができ、Jリーグを目指した忘れられないシーズンをパウロ・エミリオさんと一緒に送れたことは、私の財産です。日々、チーム一丸、『チームはファミリー』と言われ続けていた言葉は今のセレッソの原点だと思っています」

「私も、あのシーズンを送る中で日々目標に向かってプレーし、またシーズンを通して得点への意識を一段と持つことの大切さを学びました。その後の日本代表へのチャンスにつながっていったことは今でも忘れられません。そんな、そんなエミリオさんが亡くなられたとお聞きしてとても残念でなりません。ブラジルに行ったときにまた再会を出来ることをいつも楽しみにしていたのですが、お会いできなくてとても寂しい限りです。 サッカー人としてサッカー界にたくさんの功績を収められたエミリオさんのご冥福を心よりお祈りいたします」