すでに1587年、今は亡き秀吉公が伴天連追放令を出し、連中を長崎の平戸に追いやったはずだ。にもかかわらず、連中はそれを無視して大坂城に駆け込んで来て、ようやくに助かったこの男を、即刻、海賊として処刑すべきだ、などと、幼い秀頼公に奏上する。なにかおかしい。大老家康は、本人から直接に話を聞くことにした。 1600年4月、かつてキリシタン大名大友宗麟が支配していた豊後(大分)臼杵城沖に難破船が漂着した。ところ