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ネットでの自分自身を取り戻す

ソーシャル時代の中心にあるパラドクスとは、私達は同時に過剰かつ過小に何かをシェアしているという事だ。

過剰なシェアというのは、友達や家族、同僚その他多くの人が、ちゃんと読むことなど到底不可能な量のアップデートをキリもなく流し続けていることだ。

そして過小なシェアとは、TwitterやFacebookに投稿する時、公衆もしくは現実世界の付き合いとは関係ない、いい加減な意味での「友達」にプライベートを晒しているという感覚があるため、シェア出来るものもそれなりになってしまうという点だ。

このパラドクスに対し、急速に伸びているモバイルにおけるカテゴリ、メッセージアプリが解を示してくれる。

なぜメッセージングがソーシャルのニーズを満たすのか

これまで私は、メッセージアプリが携帯メールやSNSを隅に追いやった事や、なぜこういったメッセージアプリに決定的な主流のアプリがないのかについて見てきた。

スマートフォンとモバイルブロードバンドの台頭は、メッセージアプリが世界中のユーザーの心をつかんだ理由の1つだが、その人気ぶりの説明としては十分ではない。これを理解するために、メッセージングの心理学を考えてみたい。

その昔、SNSでは自分にとって居心地がよく、自分を表現できる空間があった。私が大学の新入生の時、Facebookで30人、Twitterで10人の私をフォローしている知り合いがいた。この仲間内のネットワークはプライベートなことをシェアできる親密な空間だった。

しかし状況は変わった。Twitterは今ではオンライン版の町の広場ともいえる、明らかにパブリックなところだ。Facebookでは少しマシにも思えるが、私達が投稿したものは大人数の友人やフォロワーに拡散し、アップデートやブランド広告の写真に混じってしまう。好みや嗜好についてすらチェックの対象にされる。

Facebookがプライベートなメッセージサービスを提供する前、ユーザーはお互いにパブリックウォールに投稿していた。サービスが学生に限定されているようであればこれでも良かった。が、その親がFacebookを始めだすと、プライベートなやり取りの方法の必要性は明らかとなった。ティーンエイジャーはFacebookを手放さない。しかし彼らはプライベートなやり取りをSnapchatの様なアプリで行うようになった。

ネット上の人格によって振舞を変える

パブリックなSNSでは、素の自分を晒すことは困難だ。友人や家族に見られる為、私達はそこで語られる日常をいかに素晴らしいものに見せるかについて頭を悩ます。

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そしてそれは個人的な考えや意見を他人とシェアするという事にはならない。ミシガン大学の研究によると、Facebookアカウントを持つ学生が多い大学ほど、物議を醸すような話題について語られることは少なくなるという。

その研究者はこう書いている。

Facebook上の友人が多いユーザーほど、人や情報へのアクセスが増加するにも関わらず、Facebook上で政治やゲイの人権といった様な話題について語る事が少なくなる。

こういった話題はFacebook上で否定的な反応を呼び起こすため、しばしばこういった投稿は皆が慎む事がある。投稿を見ている人数が少ない場合、オンライン上の人格は現実のそれにより近い傾向がある。

コミュニケーションの手段が増えるに連れ、何をシェアするか、どこでそれをシェアするか、そして誰とシェアするかについて考え出すようになった。
Facebookで何かを自慢する投稿をしたユーザーは、Snapchatでその自慢できることを達成するのにどれだけのフラストレーションが溜まったかについて書き足した自分撮りを友達とシェアしているかも知れない。このフラストレーションとはずっと続く感情ではないが、だからこそ読まれた投稿は消えてしまうSnapchatは最適な媒体と言える。

この屈折したコミュニケーションは定着しているのだろう。Forresterのアナリストであり、レポート「メッセージアプリ:モバイルはSNSの新しい顔だ」を書いたトーマス・ハッソンは、人々は友人とのコミュニケーションに複数のアプリを使うようになるだろうと述べている。

「ソーシャルメディアのエコシステムはそもそも分断している。個人が幾つかの人格を持ち、それらをアプリの性質によって使い分けているという性質からくるものだ。これらのアプリは人格のマネジメントのツールであり、繋がっている間は別の人格を決め込んでいる。」

メッセージを通じた新しいSNSづくり

ソーシャルネットワークでは友達か知人か、フォローしてるかしてないか等という形で人をグループ分けする事を求められる。Google+では馬鹿げたことに、知っている人全員を一つかそれ以上の重複した「サークル」にカテゴライズすることを求めてくる。しかしメッセージアプリではこういった制約となるカテゴリー分けを排除し、その時その場で友人グループを形成することが出来る。

「ある場合においてはグループを小さく保ち外部から見られないよう壁を作るというのは安全であり、それはメッセージアプリが提供するものだ」とメディア心理学研究センターのディレクターであるパメラ・ルトレッジは言う。「人が集まってメッセージンググループを作ればそれはプライベートの壁に囲まれたソーシャルネットワークである。」

ティーンエイジャーはこの様なシフトのモデルと言えるだろう。親ではなく友達とチャットするためのスペースを欲しがる若者および、その他のプライベートな空間を欲しがっている人々のおかげといえる。

ルトレッジは「プライバシーおよび、プライバシー保護のための設定に対する要求は増している。全面的にそうだというわけではないが、Snapchatの狙いがそのままズバリ人気を呼んだように、プライバシーに対する人々の懸念を見て取ることが出来る」という。

企業がもともと言っていたように、Snapchatの情報はサーバーから実際に消えるわけではないのだが、撮ったビデオや写真がいつまでもタイムラインに残るのではなく、見られた後に消えてしまうというアイデアは人々を安心させるものがある。

Snapchatの消えてしまうメッセージというのは同サービスの特徴だ。他のチャットサービスはそれぞれに異なった特徴がある。KiK’sのステッカー、WhatsAppのロケーションシェアリング、Lineのビルトインゲームなどだ。これらは全てお互いのやり取りを豊かなものにするためにある。これらに共通して言えるのは、メッセージは対話のやり取りを記録しておくためのものではなく、コミュニケーションの流れの一部であると考えている点だ。

「これらのメッセージアプリはいくつもの異なった感じの推移的なコミュニケーションを提供するものだ。お互いがしゃべる時、それらの言葉が書き留められてずっと残るという事はない。これらのアプリは、お互いの直接対話を模倣するものだ」とルトレッジはいう。

「私達は何でもいいから当たりが欲しい。アプリの開発者たちはユーザーを最終的に定着させる為にどのような機能を提供できるのかを見つけ出そうとしている」

毎日のように新しいメッセージアプリが出てくるが、その中から最終的に勝ち残るのは、ユーザー達の友人が使うアプリだろう。そしてそれは1つとは限らない。

FacebookやTwitter、LinkedIn、Tumblrがそれぞれ異なった目的で使われるように、友達やグループの趣味ごとに、最も適合したコミュニケーションを提供できるアプリが選ばれる事になるだろう。

メッセージアプリの隆盛は、パブリックなソーシャルネットワークの凋落を意味するものではない。むしろこれは、ネットのユーザーが内輪のジョークや子供の写真などは、現実にいる本当の自分のことをよく知っている小さな仲間内でシェアするのがベストかも知れないと気付きはじめた兆候なのだろう。

イラスト提供:Nigel Sussman

Selena Larson
[原文]