ナウル国際空港。国内便はなく、国際便だけが運航している ©木村昭二

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 ベストセラー『永遠のゼロ』で知られ、NHK経営委員でもある百田尚樹氏が、軍隊を持たない国として南太平洋のバヌアツやナウルを挙げ、「家に例えると、くそ貧乏長屋で、泥棒も入らない」などと発言したことが問題になっている。“絶対平和主義”の名のもとに自衛隊の存在自体を違憲とするひとたちへの批判なのだろうが、ナウルは国土面積が21平方キロしかなく(伊豆諸島の新島が面積27.83平方キロ)、人口にいたってはわずか9322人だ(2011年)。そんな国を日本と比較しても仕方ないと思うのだが、こんなことでもなければ日本人がナウルの名前を耳にする機会もないのも確かだ。

 ナウルは小国にもかかわらず、とても興味深い歴史を持っている。これについてはフロンティア投資家の木村昭二氏による俊逸なルポがある。

[参考記事]
●木村昭二のどんと来い!フロンティア投資
「世界一の富裕国から破綻国へ大転落、リン鉱石の島・ナウルの未来はどうなうる?」

 この奇妙な島に興味を持ったのは木村氏だけではない。フランス人のリュック・フォリエは子どもの頃から世界地図帳を見るのが大好きで、「ナウルの首都ヤレン、人口500人」という記述に魅了されたのは10歳の時だった。ひとびとがゆたかで幸福に暮らす太平洋の孤島は、「失われた楽園」のイメージにぴったりだった。

 大学生になったフォリエは少年時代の夢を実現すべく、テレビ局に企画を持ち込んでナウルのドキュメンタリー・フィルムの制作を手がける。その成果をまとめたのが『ユートピアの崩壊 ナウル共和国』(新泉社)で、これはとても面白い本だ。

 せっかくの機会なので、今回はリュック・フォリエの見たナウルを紹介してみたい。

「太平洋の孤島」ナウル

 赤道直下のナウルは「太平洋の孤島」といわれるだけあって、オーストラリアのブリスベンから3500キロ、パプアニューギニアからも2000キロ離れている。

 2005年11月、フォリエは念願のナウルに降り立ったが、「楽園」のイメージはたちまち裏切られる。空港ばかりか、島全体が停電で真っ暗だったのだ。

 翌日、レジ・オルソンという名のガイドが「島を案内しよう」といってフォリエを車に乗せた。ナウルには島を一周する道路があり、1990年代製の錆びた小型トラックばかりが走っている。全員が顔見知りらしく、レジは対向車が来るたびにドライバーに眉を上げて挨拶している。

 そのうちフォリエは、奇妙なことに気がついた。同じ場所を何度も通っているのだ。ガイドのレジにそのことを告げると、

「ナウル人は島を周回するのが好きなのさ。仕事や単なる暇つぶしで、1日に5回も6回もまわるんだ。週末には島じゅうのみんながドライブするのさ。若者なんかはグルグルまわっているよ」

 という返事だった。島はあまりにも小さく、30分でひとまわりできてしまうのだ。


 島めぐりが3周目になったところでレジは内陸にハンドルを切り、「この島でいちばん美しい」という珊湖(ラグーン)にフォリエを案内した。だがそこは雑草の生い茂るくすんだ湖で、傷みの激しい建物が点在していた。どの家の脇にもプラスチック製の大きな緑色の樽が置いてある。

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