F-1世界選手権シリーズチャンピオンを目指す17歳、笹原右京くん。

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自分に子どもができたら付けたい名前、実はいくつか用意してあるんです。恥を忍んで公表すると、「弘行」、「日明」、「靖幸」などなど……。どれも、自分が敬愛する著名人からいただいた名前であります。そういや、かの水道橋博士のご長男は「武(たけし)」くんと言うらしく。もちろん、師匠からあやかってるのでしょう。
しかし、躊躇の気持ちがないわけじゃない。親の愛情が、子どもにとって妙なプレッシャーにならないか? 果たして、名前負けしないだろうか? スクスク、大志を抱いて育ってくれるだろうか!?

……大丈夫かもしれない。私、見事な成功事例を発見してしまいました。今、レーシング界には超新星がいるんです。彼の名は、笹原右京くん。
そうです。その名は、「右京」! 現在17歳の彼はオーストリアにて留学生活を過ごしつつ、F1レーサーへの道を順調に歩んでいるというのです。

では、まずそのプロフィールを紹介しましょう。自動車修理工の父と熱狂的な片山右京ファンの母の間に生まれた右京くんは、6歳にしてレーシングカートデビュー。13歳の頃にはカートの世界ジュニアチャンピオンに輝き、2010年からは欧州のROTAX MAXレースに専念。そして2013年からは、フォーミュラーカーレースにステップアップ。なんとそれら全てが、ほぼ彼の人生設計通りに成し遂げられているというのです!
そんな彼の目標は、「F1世界選手権シリーズチャンピオン」。今まで狙いを外してこなかっただけに、どうにも期待してしまうじゃないですか。

この右京くんが2013年末に日本へ帰国したタイミングを見計らい、運良くインタビューさせていただく機会をゲットしました。彼がレースに懸ける思い、そして17歳が持つ素朴な素顔に迫ってみたいと思います!

――今までのレース人生がだいたい想定通りに来ていると聞いたんですけど、本当に凄いですよね……。それで、次に考えているのが「3年後のF1出場」。そして、目標が「F1世界選手権チャンピオン」。これ、いつくらいに達成できると想定してますか?
右京くん もう、できるだけ早くです。
――20歳でF1に出場しているから、この時期に制覇したいくらいの気持ち?
右京くん そうですね(微笑)。
――凄いな……!
右京くん やるからには、勝ちたいので。本音はトップチームから出たい気持ちが強いのですが、それはかなり難しいんです。まず中堅チームに所属し、目立つアピールをしていこうと思います。

【生まれる前から決まっていた僕の名前とレース人生】
――お父さんがダートトライアルのレーサーで、お母さんが片山右京ファン。ご両親からかなりの影響を受けたことと思いますが、ご自身で「レーサーになりたい!」と思うようになったのはいつからですか?
右京くん 保育園児の頃にレーシングカートを始めたんですが、その時はただ単に楽しいだけでした。でも、1〜2年後には「将来はレーサーになりたい」と思うようになって来て。
――でも正直、危険なスポーツですよね。ご両親から反対されたことはありませんか?
右京くん なかったですね。自分の両親はやりたいことを協力し、応援してくれる人たちなので。
――逆に、「お前はレースをやるんだ!」と押し付けるようなこともなかった?
右京くん ないですね。
――なるほど。レーサーになったのは、完全に“血”ですね。
右京くん はい。

【不況のしわ寄せがドライバーへ】
――現在、オーストリアではどういう生活を送っているのですか?
右京くん 今はオーストリアのザルツブルグにある全寮制のインターナショナルスクールに通っています。練習走行は金銭的な問題もあり、月に一回できるかできないかというレベルです。
――ということはホームページでも告知していらっしゃいますが、スポンサーや寄付は大募集ですね。
右京くん もう、いつでも……!
――お金かかるって言いますもんね。それで挫折される方もいらっしゃいますし。
右京くん 特に現代のモータースポーツって、お金がすごく重要になるんです。昔は“速さ”があれば道が拓かれていたと思うのですが、現在はお金を持って行き、どうにか乗らせてもらうという状況です。そして、それもチームによって額が変わってきます。

昔のレーシング界は、「チームが優秀なドライバーを見つけ、大金を払ってマシンに乗せる」という図式であった。確かにトップレーサーに関して言えば、その流れがまだ当てはまることもある。しかし、参戦したての新人に関しては「何十億円というお金を払い、ようやくレースに参戦できる」という構図になっているそう。

右京くん なぜそうなったかというと、参戦コストが物凄い高くなってきちゃって。チームの経済的な状況が悪くなり、スポンサーに頼るしかないのですが、どの世界も経済的に良くはないじゃないですか? ドライバーの持参金が重要になってしまうんです。
――要するに、世界的な不況が影響しているわけですか。
右京くん かなり影響していると思います。

【初心者なのにトップタイム】
2012年秋、右京くんはフォーミュラチーム「ユーロ・ノヴァ」からオファーされ、イタリアでテストを受けている。その時は、ほぼ“初心者状態”。しかも一年ぶりのフォーミュラーカーという状況であった。しかし、他の経験者に引けをとらないタイムを残し、高評価を獲得!
その2ヶ月後に再びテストを受けると、その場にいるドライバー全員に勝るトップタイムを記録してしまった。そして、その場で「来年、お前を乗せたい」と同チームからラブコールを受けている。

――なぜ、そんな上手く乗れたんですか? 頭の中でシミュレーションできてたんでしょうか。
右京くん 一年前にちょこっと乗ってたのもありますし、イメージできていたのもあったし。例えば、レーシングカートのシャシーって色んなメーカーがあって、それぞれ特色があるのですが、速く走らせるためにはドライバーがシャシーに運転を合わせていかないといけないんです。
――普通車でも、それはありますよね。いつも乗ってる車と他人の車は勝手が違う、みたいな。
右京くん 「あの車だと綺麗に曲がるのに、これは曲がりづらい」とか、ありますよね。僕はカートレース時代に色んなメーカーのカートを乗ったことで適応能力が鍛えられたのかなと思っています。当時は年間25〜30戦に参戦し、レースの無い土日も毎週練習している子どもでした。

【片山右京の言葉があるから、今の笹原右京がある】
――右京選手の好きなレーサー、憧れているレーサーって、どなたですか?
右京くん ……(熟考)。正直、今、頭の中にいっぱいいるんですけど(笑)。現代のF1ドライバーだと、キミ・ライコネン選手、フェルナンド・アロンソ選手、ルイス・ハミルトン選手が、僕の中のトップ3になります。
――なるほど。その一方で、同じお名前である片山右京さんとの面識は当然あると思うんですけど……
右京くん 実は、昨日も右京さんと一緒に仕事をさせていただきました。
――そうだったんですか! 片山右京さんとの初対面って、いつ頃ですか?
右京くん 実は、0歳の時に会ってたらしいです。全然、記憶にないんですけど……(笑)。その後、右京さんのレースやテストを観に行くようになると、右京さんも段々「右京くんだよね」と認識してくれるようになりました。
――そんな、片山右京さんを尊敬されていると思いますが……
右京くん  はい。
――どういった部分に影響を受けましたか?
右京くん 自分が生まれた翌年が、右京さんのF1参戦最後の年でした。同じ名前ということもあり昔の右京さんの映像を観るのですが、単身でヨーロッパへ行き、「外国人選手に絶対負けない!」という気迫を前面に押し出してて。もうパッと見ただけで、それが走りに表れているんです。そこは凄いというか、尊敬というか……。はい。
――右京選手も、ドライバー席に乗り込むとスイッチが入るタイプですか?
右京くん そうですね(笑)。やっぱりレーサーは、スイッチ入っちゃうと思います。右京さんの「絶対負けない!」という気持ちは、やっぱり自分にも。右京さんが行ってた当時のヨーロッパって、人種差別が残っていたと思うんですよ。物凄かったと思います。それでも腐らず、諦めず、立ち向かっていく姿って、カッコイイ。今も昔ほどではないですが、ちょっとした部分の差別っていうのはまだまだあって。自分はそれを跳ね返す気持ちで、いつも戦っています。
――片山右京さんの背中を見て、ということですよね。右京さんから掛けられた言葉で、印象的なものはありましたか?
右京くん 自分がレーシングカートを始めて半年経たない頃でした。その時はまだ趣味程度のレベルでレースに取り組んでいたんですが、立て続けに体調を崩してしまい、カートへのモチベーションが無くなっていったんです。両親も高いお金を出してカートを買ったのに……。そんな時期に右京さんのテスト走行を観に行き、右京さんに「どうしたら速くなれますか?」と質問しました。そしたら「鉄棒でも縄跳びでも、練習しなければ上手くならないし、速くならないよ」と言われ、そうだよなと自分の中で思うようになって。あの時に言葉を掛けられていなければ、カートも続けてないだろうし、今は普通の高校生として学校に通ってたんじゃないかなと思います。
――その時は、今ほど親しい間柄ではなかったんですか?
右京くん ただの一ファンでした。
――そうでしたか。それは、確実に影響を受けてしまいますよね。

【能年玲奈が、今までと違う気持ちにさせてくれた】
――ガラッと話題を変えたいと思います。プロフィールを拝見したんですが、右京選手、好きなタイプは能年玲奈ちゃんなんですか?
右京くん ……はい(笑)。
――可愛いッスよねぇ。
右京くん 可愛いですね(笑)。
――どういうところが好きですか?
右京くん 能年玲奈さんは、『あまちゃん』で知りました。最初の方はヨーロッパにいたので、全然観れてないんです。で、家に帰ってきて、『あまちゃん』っていうことも知らないでパッとテレビを観たら、「あっ、可愛いな……」って。
――パッと見で、ピンと来た!
右京くん 今までも芸能人で好きな方はたくさんいたんですけど、それとは違う感じですね。もう、直感的に「ピン!」って。すぐに「来た!」という感じで。
――天然の子が好きなんですか?
右京くん はい(笑)。
――まさに、天然ですよねぇ。
右京くん あれ程だとは思わなかったです(笑)。僕もこういったインタビューって得意じゃないんですけど、彼女もすごく言葉に詰まっちゃったりするじゃないですか。だから「似てるかもしれない」って(笑)。
――共感、覚えちゃいますか。
右京くん はい(笑)。能年玲奈さんは、会ってみたいなぁと思いますね。実物を見てみたい。

世界で戦いつつ、純真さも兼ね備えている笹原右京選手。ジャンルを背負うであろう彼の覚悟を、最後にご紹介しましょう。

右京くん ヨーロッパって、モータースポーツが文化なんですね。イギリスだと、その辺にいる農家のおばちゃんが「今日のフォーミュラ・ルノーはどうだった?」って。もう、知ってるんです。日本でモータースポーツを知ってる方は、非常に少ない。でも向こうだと、モータースポーツって日本で言う野球やサッカーみたいな存在なんです。だから「F1ってこういう競技なんだよ」って、日本の一般の方たちにできるだけ広めたい、という思いがあります。
――右京選手が道を切り拓く存在になりますね。
右京くん 今、日本人のF1ドライバーは一人もいなくなりました。若い子たちから「どうやったらF1ドライバーになれますか?」と質問されるんですが、現状、明確な方法って無いんですね。非常に難しい。だから今僕がやっていることを、僕より下の世代の子たちに道筋として伝えてあげたい。「こういうのもあるんだよ」って。ヨーロッパのドライバーたちは、F1を引退すると次世代の子たちに道を作ってあげるんです。引っ張ってあげる自然な流れができているんです。僕もF1に行って道を示してあげ、自分が引退した時は次の世代を引っ張りあげたい。そのためには僕がまずF1に行き、道を作りたいなと思います。

ご存じでしたか? 日本人のF1レースにおける最高位は、第3位。それどころか、表彰台に立つことさえ難しい現実があります。一方、他国はほとんどが優勝を経験しているそう。
文化の違い、人種差別等、様々なハードルがあるでしょう。しかし、そんな現状をブチ破る意気込みで、右京くんは日々戦っている。絶対に注目すべき若者です。
(寺西ジャジューカ)