好きな仕事で、伸びる。/喜田 真弓
アシストが設立された1972年当時、コンピュータは大きな企業だけが所有して使用する、特別な機械だった。販売する「ソフトウェア」という言葉が一般的になったのは、1980年代に入り、コンピュータが一般的になってからだ。

【趣味と仕事の繋がりで成長する社員】
株式会社アシスト  経営企画室 広報部 伊藤 真之 (Masayuki Ito)
― 2006年、アシストに入社。データベース事業部に配属。2009年、東日本顧客支援室に異動。2012年、広報部配属、現在に至る。


1990年代、パソコンの普及とともにインターネットの時代が到来する。ビジネスでも個人でもインターネットの利用は当たり前となり、Web開発者、Webデザイナーといった新しい職種も生まれる。Webとは、HTMLという言語で文書の論理構造や見栄えを記述し、文書の中に画像や音声など文字以外のデータや他の文書の位置(ハイパーリンク)を埋め込むことができる、インターネットやイントラネットで用いられるドキュメントシステムだ。


2006年に大学を卒業してアシストに入社した伊藤真之の世代にとっては、コンピュータもインターネットも当たり前、すでに生活に欠かせない道具の一つであった。大学での専攻はソフトウェア情報学部。だが伊藤は、ITの基礎を勉強したものの、技術的なことにはあまり興味が沸かず、むしろITビジネスに興味津々だったという。


インターネットがビジネスや生活を一変させるという期待から、アメリカではドットコム銘柄が急騰するも2000年初頭には早くもバブル崩壊を迎えていたが、日本では、ウェブページ制作請負会社を設立したホリエモンが買収したライブドアがラジオ放送局を買収するなど注目を集めた時期でもある。また、インターネットでの広告事業を行うサイバーエージェントが東証マザーズに上場し、ブログサービスの提供を開始するなど、インターネットが日常の話題となった時期だった。


「当時のライブドア堀江貴文社長の31歳にして時価総額で1,000億円とか、サイバーエージェントを作った弱冠26歳の社長の起業哲学とか、社長モノの本をたくさん読んでいました。いつか自分でビジネスを立ちあげてみたいなあと思いつつ。ですから就職先はIT業界でも開発ではなく、よりビジネス的な仕事、というイメージで探していました。ただどのような会社か、という具体的な絞込みをして就職活動をしていなかったので、アシストに出会えたのは、アシストが「あ」行だったお蔭。結果的に開発ではなく販売を行うアシストに入社できたのでよかったです」と伊藤は言う。


入社して配属されたのはデータベース事業部であった。大学時代には興味が沸かなかった技術だったが、データベース技術者として経験を積むうちに仕事が面白くなり、2009年、今度は顧客支援室に異動になる。技術担当としてお客様先に訪問し、お客様の課題を聞いて提案するという活動だ。


「技術と営業、両方の知識を必要とする仕事で、共に知識や経験面において力不足の中で、周りはエース級の社員ばかりでしたから、とても刺激的で良い経験でした。でも、自分には正直いって向いてないなあ、と感じていました」と伊藤。顧客支援室で仕事をしながら、もっと自分に向いていて、自分の力が一番引き出せるフィールドはなんだろう、といつも考えていたという。2012年、広報部へ異動になる。


「製品マーケティング系や広報に興味がありました。特に上司には何も言っていませんでしたが、Webが得意で趣味で作っていることを上司は知っていて、営業ポータルを作ろうという話が出た時に声がかかったこともあったので、それが理由かと思いますが、広報に異動になり、すごく嬉しかったです」