埼玉西武ライオンズ涌井秀章が、女性問題無期限の登録抹消になった。飯田則昭球団専務が22日に明かした。

 涌井は18日発売の写真週刊誌「フライデー」で女性問題が発覚。その後、球団による事情聴取が行われた。
 
 飯田専務は「涌井投手にはプロ野球選手としてどう振る舞っていくべきか考えてほしい。1軍で試合を続けながらではなく、一度考える時間と場所を持ってもらうという趣旨で決めました。(復帰時期については)未定です」と降格理由を説明。涌井は「野球でも私生活でも迷惑ばかりかけて申し訳ないとしか言いようがない」とコメントした。

 誤解を恐れずに言う。涌井はラッキーだった。なぜなら、少なくとも法律上の刑事事件には巻き込まれなかったからだ。

 「男と女の間には、深くて暗い川がある」は、能吉利人作詞、桜井順作曲の「黒の舟唄」の一説だが、川を渡る道中で思わぬ事件が起こることもしばしば。濁流に飲まれたプロ野球選手もいた。

 その選手は、武末悉昌。1949年に南海ホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)に入団したアンダースローの投手で、ルーキーイヤーには21勝17敗を記録。球界最多の183奪三振をマークした。
 そんな期待の新人投手が翌年、リーグ分裂を機に誕生した西鉄クリッパース(埼玉西武ライオンズ)にトレードで移籍することになったのには、武末がクリッパースの地元、福岡出身であることもさることながら、女性問題によるトラブルもあった。
 交際していたキャバレーのホステスに、投手の命とも言える右手首を切られたのだ

 鶴岡一人当時ホークス監督によると、武末がそのホステスと交際を始めたのは、婚約者を失った寂しさから。武末にはアマチュア時代、結婚を誓った婚約者がいたのだが、先の戦争で出征した間に婚約は事実上解消されてしまった。
 終戦直後、このようなことは珍しいことでは無かった。生きて帰らぬと思っていた出征兵士がひょっこり戻ってきたり、帰ってきたら婚約者が別の男性とすでに結婚していたことなどが社会問題になっていた。
 武末もその類の悩みを抱えており、見かねた先輩が武末をキャバレーに連れて行ったのだった。
 そこで意気投合したのが、そのホステス。彼女も、武末が出征した中国大連市からの引き揚げ者で、二人が深い関係になるのには時間がかからなかった。

 そして、刃傷事件に発展した。武末は、中野の宿舎を訪れたホステスに、口論の末、カミソリで右手首を切られたのだった。

 これが、プロ1年目に21勝、最多奪三振を記録した新人投手のトレードの背景だ。

 少なくとも五体満足に終わった涌井は、ついているが、ライオンズのファンとしては怒り心頭だ。19日付の更新「勝てば官軍」(http://blog.livedoor.jp/yuill/archives/51666701.html)でも書いたように、チームが低迷しているこの時期の女性問題には、涌井のプロ意識を疑わざるを得ない

 仏の顔も三度までとの言葉があるように、涌井はすでに、2度もファンの期待を裏切っている。1度目は昨年からの不調、2度目は今回の女性問題だ。
 打者は3度目のストライクコールでアウトを宣告される。涌井はもう、2ストライク。ファンはもう、ストライクの判定を聞きたくない。