1日、ヤフードームで行われたソフトバンク対オリックスの一戦は、5-1でソフトバンクが開幕3連勝。シーズン前こそ杉内俊哉、和田毅、ホールトンの主力3投手に加え、野手では攻守の要=川崎宗則が抜けたことで、大幅な戦力ダウンが不安視されたが、蓋を開けてみれば、ディフェンディングチャンピオンとして磐石の開幕ダッシュをみせつけている。

また、1日は先発した新垣渚が無四球完投で、2008年10月6日以来、1273日ぶりの白星を挙げたが、これもまたファンにとっては吉報といえる復活劇だった。

杉内とは義理の兄弟としても知られる新垣。2007年にはシーズン25暴投、2008年には1試合5暴投という不名誉な日本記録を作るなど、荒々しいピッチングもファンにとってはお馴染みの投手だったが、その野球人生はピッチング以上に波乱の連続だった。

松坂大輔と並ぶ有望選手の一人として沖縄水産から春・夏甲子園出場を果たすも、どちらも初戦で敗れ、結果を残せなかった新垣。それでも、98年のドラフトでオリックス・ブルーウェーブと福岡ダイエーホークスから1位指名を受けた。

だが、交渉権を獲得したオリックスに対し、ダイエー入りを希望していた新垣は入団を拒否。イチローを発掘した三輪田勝利スカウトが、獲得を厳命する球団と、門前払いをする新垣の間に立ち、精神的に追い込まれる形で、1998年11月、那覇市内で投身自殺するという事態に発展したのだ。

その後、九州共立大学へ進学した新垣は、2002年のドラフト会議において、自由獲得枠で福岡ダイエーホークスに入団したものの、8月にくるぶしを痛めて戦線離脱。球場では「新垣ドラフト事件」から、心ない悪質な野次が浴びせられることも少なくなかった。

2004年から3年連続2桁勝利を記録するも、2006年には虫垂炎からの急性腸炎により入院。翌年には前述した通り、暴投が目立って、当時監督だった王貞治氏から「暴投王」と揶揄される始末。その後も、度重なる故障と付き合いながら、1軍と2軍をいったりきたりの野球生活をおくった。

昨季に至っては1軍登板すらなかった苦労人だが、蓄積した経験と制球力は、戦力ダウンによるチームの窮地を救う勝利を呼び込むだけの力量に――。今ようやく“遅れてきたエース”新垣のプロ野球人生・第2章が幕を開けたのだった。

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